NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/8/8


紅色(ベニ・クレナイ) Beniiro(Beni/Kurenai) 

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 紅色(ベニ・クレナイ)は、日本に古くから伝わる伝統色のひとつである。
 ベニバナは、西アジア原産のキク科の一年草で、四千年以上前のエジプトのミイラもベニバナ染めの布に包まれていた。
 中国を経て日本に伝わり、山形県最上地方が古くからの産地として知られる。
 古代日本では染料のことを藍と呼んでおり、古代中国の呉(くれ)から伝わった藍、という意味の呉藍(くれのあい)が転訛して「くれない」になったものとされる。
 べにの名称は江戸時代からで、近年では「紅(ベニ)」とよぶことが多い。
 紅色は、ベニバナで染めた紫がかった濃赤色の事である。黄色をした紅花を冷水の中で何時間も揉み続ける事により黄の色素を抜き、そこへ稲藁の灰汁を混ぜると真紅の赤が現れる。その汁をつかって着物地などを染色する。
 紅色は、かつては非常に高価な染料で、秘めた熱い想いを表す言葉ともされた伝統色である。
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2008/6/10


銅蟲 Doucyuu 

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 銅蟲(どうちゅう)とは、銅の表面に独特の鎚目(つちめ)と赤銅色を出すことに特徴を持つ銅製品で、広島県指定の伝統工芸品である。
 江戸時代初期、広島藩主・浅野長晟(あさのながあきら)がお抱の銅細工職人に創案させた技法といわれており、その職人の仕事振りに痛く感心した浅野公が「銅の蟲(むし)のようだ」といったことから、その名が付けられたとされている。
 その製法は、まず特殊な銅の合金板を焼き鈍して成型加工した上で、表面を金づちで叩いて槌目の模様を入れる。その後に稲藁で一品一品を燻すことで、他に類を見ない独特の深みと重厚感を持った赤銅色が浮かび上がってくる。
 表面は乾拭きすることで、年月と共に光沢や渋味が増し、漆黒の表目に浮かぶ赤銅色の独特の風合は、よりいっそう、その魅力を解き放つ。
 茶人や趣味人にも愛されたそれらの逸品は、主人の傍らで同じ年月を過ごしながら、日々、その輝きを増していく。
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2008/2/7


水の平焼 Mizunodaira-yaki 

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 熊本県天草地方で焼かれる陶磁器類をまとめて、天草陶磁器(あまくさとうじき)と呼ぶ。平成一五(2003)年に国の伝統的工芸品に指定された際、新たに名付けられた呼び名で、水の平焼(みずのだいらやき)はこれらを代表する陶器の一つ。
 水の平焼は、江戸時代末期の明和二(1765)年、山仁田窯を受け継いだ岡部常兵衛によって創業され、地名にちなんで命名された。三代目弥四郎が内国勧業博覧会に出品し受賞すると、水の平焼は一躍その名を全国にとどろかせることになる。五代目源四郎が釉薬(ゆうやく)を研究し、独特の海鼠色(なまこいろ)を完成させたことにより、ほかには真似のできないオリジナリティあふれる陶器として、その地位を確立した。
 代表的な青色や赤色の絵模様を描き出すため、土を掘って粘土を作り、釉薬の原料となる稲藁を焼くなど、先代が築き上げてきた技法を今も大切に守り続けている。
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2007/4/2


忍び駒 Shinobi-goma 

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 忍び駒は、岩手県花巻市にて造られる民芸品である。
 南部藩の昔から馬の産地として知られる岩手県には、数々の馬玩(馬の郷土玩具)がある。
 稲藁を材料にした素朴な裸の馬人形で、美しい布で飾られた花巻地方独特のものである。
 忍び駒とは、花巻地方の円万寺・馬頭観世音に古くから伝わる、縁結びや子孫繁栄、五穀豊穣などの祈願の使い駒とされる藁の馬人形の事である。
 里人はその祈願に際し、駒を人に見られぬよう深夜密かに観音前に供えて帰り、祈願成就した時はお礼のため先に供えた駒に五色の色布を着せ飾り、再び仏前に供える習わしであった。
 昭和41年には、郵政省の記念切手図案として採用されている。
 忍び駒は、今でも縁起が良いとして地域の人々に愛されている郷土玩具である。
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2007/3/29


盛岡 裸参り Morioka Hadaka-mairi 

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 盛岡の裸参りは、岩手県盛岡市近隣で行なわれる祭事の総称である
 盛岡市に藩政時代から伝わる伝統の裸参り。1月に盛岡八幡宮、北山の教浄寺、桜山神社など各地で行なわれる。
 無病息災、五穀豊穣を祈り、厄を落とすとされる。参加者は身を清めた後に下帯、腰に稲藁で作ったケンダイを巻き、素足に草鞋履き、唐辛子を含んだくわえ紙を口に挟む。
 行列は団体ごとに組まれ、纏、三宝を掲げた献膳、ハサミ持ちの順に列を組む。
 列の主役であるハサミ持ちは片手に3メートルの弊紙を挟んだ棒、もう一方に鈴を持ち、行列の前に位置し、ハサミを振り、鈴を鳴らして進む。
 南部盛岡に現在も受け継がれる、真冬の勇壮な行事である。
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2007/1/15


畳 Tatami Tatami

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 和室といえば、畳は必ずつきものである。
 日本の文化の多くは、古代中国や朝鮮半島など、外来のものが少なくない。しかし、「畳」は大和民族の生活の知恵が生み出したものである。
 その歴史は1300年とも言われる。平安時代では、かなり高級品として扱われた。貴族の邸宅に所々に置かれ、畳に鎮座している姿が描かれた絵がそれを物語っている。
 材料は「い草」や「わら」を使う。これらの植物は、蜂の巣のように細かい空洞がたくさんあり、これが湿気や害のある有機物質などを吸着する。また、空洞が空気のクッションとなって怪我などから守ってくれる。畳表のざらざら感は足裏を刺激して脳の活性化につながる。
 また、い草独特の香りがあり、アロマテラピー効果もあるという。
 日本の伝統のよさを思い起こさせる逸品である。
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