長岡城(芋引形兜城) Nagaoka-jou
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長岡城(ながおかじょう)は、新潟県長岡市にある城跡だ。
もともとは南北朝時代に長岡市西蔵王付近に築城されていたが、元和二(1616)年、この地に入封した堀直寄(ほりなおより)によって信濃川からやや離れた現在のJR長岡駅周辺に新たに築城が開始され、代わって二年後に入封した牧野氏により越後長岡藩の居城として完成された。
その縄張りは梯郭式の平城で、周囲には栖吉川と信濃川が取り囲み、自然の外郭を形造っていた。
また、城の東側を流れる柿川から水を引いて堀を幾重にもめぐらしていた。
しかし戦国時代以後の建築であるために防御力はあまりなかったと思われ、慶応三(1868)年の戊辰戦争の際、幕府軍に属した城郭は、城下共々焼失している。
この城には逸話があり、ある新雪の積もった朝に一匹の白狐が長い芋の皮をくわえて歩きまわった跡が兜の形をしており、それを元に城の構えが考案された言われ、この逸話から芋引形兜城(おびきがたかぶとじょう)という別名も持っている。
もともとは南北朝時代に長岡市西蔵王付近に築城されていたが、元和二(1616)年、この地に入封した堀直寄(ほりなおより)によって信濃川からやや離れた現在のJR長岡駅周辺に新たに築城が開始され、代わって二年後に入封した牧野氏により越後長岡藩の居城として完成された。
その縄張りは梯郭式の平城で、周囲には栖吉川と信濃川が取り囲み、自然の外郭を形造っていた。
また、城の東側を流れる柿川から水を引いて堀を幾重にもめぐらしていた。
しかし戦国時代以後の建築であるために防御力はあまりなかったと思われ、慶応三(1868)年の戊辰戦争の際、幕府軍に属した城郭は、城下共々焼失している。
この城には逸話があり、ある新雪の積もった朝に一匹の白狐が長い芋の皮をくわえて歩きまわった跡が兜の形をしており、それを元に城の構えが考案された言われ、この逸話から芋引形兜城(おびきがたかぶとじょう)という別名も持っている。
- 住所
- 940-0062 新潟県長岡市大手通1丁目
- 名前
- 長岡城