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2007/7/4


阿蘇の火まつり Aso-no-hi-matsuri 

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 阿蘇の火まつりは単独の祭りではない。三月、地域毎に数々行なわれる諸行事を総称して「阿蘇の火まつり」と呼んでいる。
 根子岳、高岳、中岳、烏帽子岳、杵島岳の阿蘇五岳を中心とした町村各所で行なわれる「野焼き」や「火文字焼き」、阿蘇神社の「火振り神事」などの「火」にまつわる行事がそれである。
 この祭りは、昭和五九年に始まった熊本県の「日本一づくり運動」事業の一環として始められた。
 本来農作業であった野焼きは危険を伴うため、それに代わるものとして「火文字焼き」を始めるなど、5市町村がそれぞれ特徴を活かした様々な催しにまとめられてきた。
 「火祭り」の一大イベントとなった「火文字焼き」は、350mもの「火」の文字が山の斜面を覆うという壮大さである。
 また「火振り神事」は、参道に集まった氏子や観光客たちがカヤの束に火をつけて振り回すという勇壮なもの。御前迎え(ごぜむかえ)とも呼ばれ、阿蘇神社十二祭神のうちの国龍神の結婚の儀式で、火まつりの幕開け行事である。
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2007/6/19


火の国まつり Hi-no-kuni-matsuri Hinokuni Festival

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 火の国まつりは、熊本県熊本市にて毎年8月11日~13日に行われる祭りである。
 熊本は記紀の昔から、景行天皇の不知火伝説、古墳時代の火君、そして阿蘇の火の山と、火との関係が深く、まさに火の国といえる。
 昭和五三(1978)年、その火の国の象徴として、第一回火の国まつりが開催された。
 初日に金峰山少年自然の家で彩火式を行い、その火は、市民会館前のシンボルタワーに点火され、「希望の火」として祭りの期間中、絶やされる事なく燃え続ける。
 メインイベントの「総踊り」では、総勢約6000人もの人々が、熊本の代表的な民謡「おてもやん」や、軽快なリズムの「サンバおてもやん」に合わせて熊本市内の中心部を踊り歩く。
 火の国まつりは、郷土色豊かな、熊本の夏の風物詩である。
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2007/2/21


八女石灯ろう Yame-ishidourou 

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 八女石灯ろうは、福岡県八女市にて造られる石灯ろうである。福岡県の特産工芸品に指定されている。
 日本庭園に美しさを添える八女石灯ろうは、寒さ熱さに強く、石苔がつきやすく、軟らかくて趣のある造形が可能という長所がある。その匠の技が創り出す造形には、気品さえ漂う。
 阿蘇火山帯の凝灰岩を材料とした灯ろう造りは、金槌で叩きながら音と感触で石の目を確かめる作業で、石材の切断と仕上げの研磨以外は石ノミ一本で行う。
 繊細で難しい手作業のため、一人前の職人になるためには十年以上の経験がいると言われている。
 八女石灯ろうは、伝統的な技術技法を受け継いだ素朴さと、優雅な形が多くの人を魅了してやまない、風情ある灯ろうである。
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2007/2/6


竹田市黄牛の滝 Taketa-shi Ameusi-no-taki 

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 祖母山と阿蘇山、くじゅう連山に囲まれた竹田には、数々の美しい渓谷があり、その一つに「黄牛の滝」(あめうしのたき)がある。「豊後のナイヤガラ」や「大分のナイヤガラ」と言われ、龍にまつわる伝説が残っている。
 約25メートルの高さから流れ落ちる滝の迫力は、さながら龍が舞っているかの様。遊歩道が出来る以前は、地元の人も足を踏み入れた事のない幻の滝と呼ばれていた。
 その昔、龍が住み着いており、村人に危害を加えていたという。そこへ、一人の偉い僧侶が訪れ、子牛の首を滝壺に投げ込み、これを犠牲として龍を鎮めたと云われている。 
 黄牛(あめうし)は飴色(あめいろ)の毛色の牛の事で、古くは立派な牛として尊ばれた。この事から、滝の名前が付けられたとされる。
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岡城跡 Okajyo-ato 

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 史跡岡城跡は、大野川の支流である稲葉川を北に、白滝川を南に臨む標高325メートルの阿蘇溶結凝灰岩で形成された台地の上に築かれている。両河川は台地の先端部で合流し、天然の濠の役目を果たし、河川の内側は切り立った断崖絶壁になっており、深い谷に取り囲まれている。
 1185年、郷土の武将緒方三郎惟栄が、源頼朝と仲違いをしていた弟義経を迎える為、築城したと伝えられる。中世は志賀氏の居城となり、島津軍を退けた堅城として有名。現在残されている城郭は、中川公によって築城されたものだが、明治維新の時に取り壊されてしまったので、石垣がそびえ立っているだけだが、「兵どもの夢の跡」という雰囲気が感じられる。
 瀧廉太郎は、少年時代を竹田で過ごし、荒れ果てた岡城に登って遊んだ印象が深かったとされ、ここをモチーフにして1901年に中学校唱歌「荒城の月」を作曲、発表している。
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彦太郎池と久住連山 Hikotaro-ike-to-Kuju-renzan 

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 大分の宝と言われる「彦太郎池」は、天気が良く波が立っていない時には、湖面に「久住山」がきれいに映し出されて、合わせ鏡の様に水面に映り込む。また森林コースと高原コースの二つのトレッキングが出来、自然の散歩道をゆったりと楽しめる。
 九州の屋根と言われる「くじゅう連山」。「九重」と「久住」という字で、ごっちゃになりやすいが、「久住山」を主峰とした山々全体を「九重連山」と言う。阿蘇よりの玖珠に、九重(ここのえ)という地名があるので、1986年に名称が変更された時、阿蘇くじゅう国立公園の「くじゅう」はひらがなにされたという。
 山開きの行われる6月の上旬頃、高山植物として知られる「ミヤマキリシマ」が、絨毯を敷き詰めたように山一面をピンク色に染める。花期は5月下旬〜6月中旬と短命だけに、この時期は多くの登山者で賑わう。秋は紅葉が美しい。
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2007/1/30


鶴見岳 Tsurumi-dake Mt Tsurumi

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 大分県別府市の西方に位置する標高1375メートルの休火山。阿蘇くじゅう国立公園、くじゅう火山群に連なる。
 頂上からは眼下に温泉街、遠方は国東半島、四国まで見渡すことが出来る。
 春は桜やミヤマキリシマ、夏は新緑、秋の紅葉、九州地方では珍しい冬の樹氷と、四季折々に姿を変える。
 別府高原駅から山頂付近までロープウェイが敷設されており、一般客も気軽に登ることが出来る。
 海抜0メートルから山頂までのタイムを競う「べっぷ鶴見岳一気登山大会」、1月に山頂で行なわれる「鶴見岳大寒がまん大会」などのイベントも多く、市民や観光客を楽しませている。
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2007/1/26


五馬市くにち楽 Itumashi-kunitigaku Itsumashi-Kunichigaku

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 五馬市くにち楽(いつましくにちがく)は、大分県日田市天瀬町五馬地区に伝わる、五穀豊穣を願う秋祭り「五馬くにち」の一部である。大分県指定無形文化財。
 五馬くにちには100年以上の伝統があり、町内の4地区で、10月20、21日に金凝神社の本城くにち楽、22、23日に阿蘇神社の塚田くにちみこし、24、25日に老松神社の出口くにち楽、26、27日に玉来神社の五馬市くにち楽(総称して五馬くにちという)の順番で行われる。
 五馬市くにち楽は最後に行われ、陽気な囃子にのって天狗、コモラシ(子ガッパ)、大黒、福禄寿などが練り歩き、全員によるみだれ杖という杖踊りで、最高潮を迎える。
 五馬市くにち楽は、いつまでも人々の間に残したい、伝統の祭である。
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