NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/8/21


神爾の滝 Shinji-no-taki The Shinji Falls

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 神爾の滝(しんじのたき)は、滋賀県大津市北比良にある神爾谷中流にかかる、登山道の途中に存在する6つの滝の総称である。
 それぞれ、雌滝は落差13m、幅1mの直瀑、二の滝は落差13mの下段は2条となっている2段滝で、三の滝は落差5m、幅2mの直瀑、雄滝は落差18m、幅8mのハネ滝、五の滝は落差6m、六の滝は落差12mの3段滝となっている。
 実際に安全に見ることが出来るのは雄滝のみであるが、迫力があり、夏はとても涼しい。
 神璽とはいわゆる「三種の神器」のことで、古くから皇位継承の印として受け継がれてきた宝剣・宝鏡・勾玉を指す。
 この滝名との直接的関連はわからないが、滝が自然に織りなす姿かたちや、樹林の間から漏れる陽光に輝く光景などは、実に神々しく感じられる。
 神爾の滝は、勇壮で豪快な秘瀑群である。
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2007/5/31


妙立寺 Myouryu-ji Myoryuji Temple

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 初代藩主前田利家は、政治の理念を日蓮宗・法華経の中道精神に求め、藩を守る祈願所として妙立寺を建立。天正一三(1583)年のことである。その後、寛永二十(1643)年に、加賀三代藩主前田利常が現在の地へ移築・建立した。
 利常の頃は既に徳川幕府の基礎固めが整い、諸大名は幕府の隠密の動きに敏感になっていた。利常は隠密を欺くため鼻毛を伸ばしてバカを装った。が、その一方では産業を育て、芸能文化を勧め、いざという時の兵舎代わりとして寺院を移築、建立した。その中心が妙立寺であった。
 一見、二階建てのようであるが実は四階七層建て。隠し通路、隠し部屋、隠し階段、どんでん返し、逃げ穴、二枚戸、落とし穴として機能する賽銭箱、など、いたるところに仕掛け・からくりがある。別名、忍者寺、と呼ばれる由縁である。
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2007/2/6


竹田市黄牛の滝 Taketa-shi Ameusi-no-taki 

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 祖母山と阿蘇山、くじゅう連山に囲まれた竹田には、数々の美しい渓谷があり、その一つに「黄牛の滝」(あめうしのたき)がある。「豊後のナイヤガラ」や「大分のナイヤガラ」と言われ、龍にまつわる伝説が残っている。
 約25メートルの高さから流れ落ちる滝の迫力は、さながら龍が舞っているかの様。遊歩道が出来る以前は、地元の人も足を踏み入れた事のない幻の滝と呼ばれていた。
 その昔、龍が住み着いており、村人に危害を加えていたという。そこへ、一人の偉い僧侶が訪れ、子牛の首を滝壺に投げ込み、これを犠牲として龍を鎮めたと云われている。 
 黄牛(あめうし)は飴色(あめいろ)の毛色の牛の事で、古くは立派な牛として尊ばれた。この事から、滝の名前が付けられたとされる。
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2007/1/23


北畠神社庭園 紅葉 Kitabatake-jinjya-teien Momiji Red Leaves in Kitabatake Shrine Garden

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 北畠神社庭園(北畠氏館跡庭園)は、北畠氏ゆかりの庭園で、国指定の名勝・史跡である。
 秋を彩る北畠神社庭園の紅葉は、庭園との調和も素晴らしく、日本三大武将庭園に数えられる。
 北畠神社は、1530年、細川高国により北畠神社庭園が作られる。850坪、武家書院造庭園で、内から見て楽しむ池泉鑑賞式である。
 1643年に創始された三重県津市にある神社であり、祭神として北畠顕能を祀る、建武中興十五社の一社である。
 紅葉と共に、枯山水、米字をかたどった米字池など風雅な見どころも多い。自然の地形を巧みに活かした造形は室町庭園とも呼ばれ、野趣あふれる造りである。
 野性的なこの庭園は、当時の地方豪族の美的感覚を表わし、往時の面影を偲ばせてくれる。
 紅葉が一杯の秋には、今でも昔と変わらぬ景色を観賞出来る場所である。
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忍者屋敷 Ninjya-Yashiki Ninja House

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 三重県伊賀市上野には、伊賀流忍者博物館がある。その中にある忍者屋敷は、伊賀の土豪屋敷を移築した物である。
 伊賀地方では、この地で多く採れる薬草から秘薬の製造や、火薬の調合を行なっていた。その門外不出の秘密の製造方法を書き留めた巻物を狙い、賊の侵入がしばしば起こっていたという。
 そこで自衛のために、家の至る所にからくりを設け、巻物を隠したり、逃げるための時間を稼ぎだした。これらのからくりが、忍者屋敷と呼ばれる所以である。
 外観は何の変哲もないごく普通の茅葺きの農家だが、屋敷のあちこちに仕掛けが施されている。
 屋敷内ではドンデン返し、仕掛け戸、もの隠しなど、実演を交えて説明してくれる。
 伊賀の忍者屋敷は、戦国の昔を体感出来るアトラクション的建物である。
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2006/12/22


祖谷渓 Iyakei Iya Valley

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 祖谷渓(いやだに/いやけい)は、徳島県三好市(旧西祖谷山村)に位置する渓谷である。
 吉野川支流の祖谷川にあり、全長は10kmにも及ぶ。数十〜百mもの高低差と、生い茂る樹木によって、隔絶された深山幽谷の景観を擁する。一帯は平家の隠れ里として名高く、日本三大秘境を謳う地であり、山麓にへばりつくように住宅が点在する。
 祖谷川は暴れ川であり、河谷の急峻さもあって、川を跨ぐのは至難の業であった。そのために集落を跨ぐ橋が設けられた。それが西祖谷山にある重要有形民俗文化財のかずら橋である。東祖谷山には二重かずら橋もある。
 名物の祖谷そばが有名である。他に、蒟蒻などを産する。祖谷温泉が湧出してからは観光地としての魅力も一段と高まった。
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2006/12/18


若狭塗 Wakasa-nuri Wakasa-nuri lacquer technique

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 若狭塗は、400年前の江戸時代初期、小浜藩の漆塗り職人が、中国の漆器作りの技術にヒントを得て、海底の様子を図案化して始めたもの。
 その後改良が重ねられ、現在に続く卵殻金銀箔押法が完成。藩主酒井忠勝がこれを「若狭塗」と命名し、保護奨励した。
 これは、酒井家秘宝の漆芸とするだけでなく、他藩への技術の流失を禁止したほどの独特の技法。螺鈿、蒔絵、沈金などと違い、下地に松葉やヒノキの葉を置き、卵殻や貝殻を蒔いて色うるしを重ね、表面を研ぎだし、独特の文様を出す。
 代表的な意匠として、「菊水汐干(きくすいしおぼし)」がある。職人の長い時間と丁寧な手仕事が要求されるため、完成までおよそ一年の月日を要するという。
 堅牢優美で、熱気・水気にも変化しないことから、美術品として珍重されるばかりでなく、実用にも耐える。
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2006/12/17


鍋島藩窯公園 Nabeshimahanyou-kouen Nabeshima Fief Kiln Park

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 鍋島藩窯公園は、300年もの歴史をもつ大川内山の窯元群と、伊万里川をはさんだ対岸にある丘陵地を中心に整備された公園。
 公園内には古窯跡など歴史的文化遺産が点在する。鍋島藩窯の秘法を守ったとされる関所、磁器のオブジェや、レンガ造りの煙突や窯元が立ち並び、多彩な彩りの「大壁画」、また町並みを一望する展望台を設けた展望ゾーンなどがある。静かな街並みと自然に調和する。
 伊万里焼で作られた大きな14個の風鈴が奏でる「めおとしの塔」の鈴の音がどこからとなく聞こえてくる。日本の音風景百選にも選ばれた音色が美しく・優しく秘窯の里・大川内山に響きわたる。
 年中行事では春(4月)には窯元市、夏(6月〜8月)には風鈴まつり、秋(11月)には鍋島藩窯秋祭りが開催され、たくさんの観光客で賑わう。
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