NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/8/9


江戸刺繍 Edoshisyuu 

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 日本で刺繍が行われるようになったのは飛鳥時代のこと。中国から仏教が伝来し、金銅仏と並び刺繍による仏像、いわゆる繍仏(しゅうぶつ)が多数作られたのが始まりである。
 平安時代、公家社会が発達するにつれ、男子の束帯や女性の十二単衣(ひとえ)などの衣類に刺繍が登場し、安土桃山時代になると染めに刺繍を入れた相互性刺繍が多くなり、更に、装飾性を増していくようになる。
 江戸時代中期、天下太平の下で経済力をつけた町民階級が台頭し、あらゆる染色技術に刺繍も加えて絢爛豪華な着物を次々と生みだした。
 江戸の繁栄とともに江戸刺繍は隆盛を続け、当時、刺繍職人は繍箔師(ぬいはくし).縫物師(ぬいものし)とよばれた。
 江戸刺繍は図柄を置くときに空間を楽しむような刺繍の入れ方をするのが特色である。
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2008/2/18


浄瑠璃寺 三重塔(国宝) Joururi-ji Sanjuu-no-tou 

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 浄瑠璃寺(じょうるりじ)は京都府と奈良県の県境近く、当尾(とうのお)という山里にひっそりと佇んでいる。小さな山門をくぐると、史跡および特別名勝に指定されている庭園の池をはさんで、本堂と三重塔が向かい合っているのが見える。
 高さ16mと小ぶりな三重塔は国宝に指定されており、池の西側の高台に建っている。浄瑠璃寺創建から130年後の治承二(1178)年、京都一条大宮にあった寺院の塔を解体しこの場所に移築したと、当寺に伝来する「浄瑠璃寺流記事」(じょうるりじるきのこと)に記されている。
 構造上の特色は、初層内部に柱がないことで、心柱は初層の天井から立てられている。当時としては画期的な建物だったという。浄瑠璃寺に移築後、初層内部に仏壇を置き、その上に薬師如来坐像(国指定重要文化財)が安置された。壁面には十六羅漢像や飛天が描かれている。
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キセル Kiseru Kiseru

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 キセルは、煙管とも書く喫煙道具で、カンボジア語で管を意味する「クセル」が、訛ったものとされている。
 刻みタバコを喫う為の道具であるが、最近は紙巻タバコを小さく切ったり、そのまま先に差して喫う者も多い。
 起源は、15世紀にヨーロッパから東アジアへ鉄砲が伝来した頃、ポルトガル人が使っていたパイプを真似て作られたとされているが、正確には分かっていない。
 噛みタバコ全盛の江戸時代は、キセルがなくてはタバコが吸えなかった。そのキセルは、長さや太さ、形、材質などに様々な違いがあり、愛煙家は懐と相談して、それぞれ好みのものを所持していた。
 しかし実際にキセルを持てたのは、武士や大店の番頭、主人、女郎などで、庶民には禁止されている時期が多かった。
 キセルは、江戸時代には一種のステータスシンボルであり、情緒ある小道具でもあった嗜好品である。
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2007/12/26


華道 Kadou 

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 四季折々の草花や樹木などを花器に生けてその姿の美しさや「いのち」の尊さを表現し観賞する「華道(かどう)」は、いけばなに「道」としての側面を加えたもので、礼儀作法を大切にする日本の伝統的な芸術である。
 仏教が日本に伝来し、発展に伴って仏前に花を手向ける様になった事がいけばなとしての始まりで、草木や花を人間と同じ「いのち」のあるものとして見つめ、その美しさを花瓶の上で表現したものが華道とされる。江戸時代後期の文化・文政(1804〜1829年)に生花や挿花が流行し、池坊(いけのぼう)を中心に数多くの流派が全国に広がっていった。
 芸術としての華道は師から弟子へ伝承され、花を生ける技術だけではなく、人間的な面や生き方といった思想的なものにまで及んで受け継がれる。
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2007/12/4


茶碗 Chawan 

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 茶碗(ちゃわん)とは、現代では普通、ご飯を盛る陶磁器の器の事を指す。
 元々は茶を喫するための器として、奈良時代から平安時代にかけ、茶と共に伝来したとされる。
 当初、貴重な茶を楽しむための良質な器を茶碗と言ったが、鎌倉時代、喫茶の風習が広まるにつれ、碗形の陶磁器の総称となった。
 やがて、茶碗が陶磁器の総称となったため、ご飯を盛る器を飯茶碗、お茶を飲むための器を煎茶碗などと呼ぶようになった。
 茶碗の形状は、碗形のものが多いが、筒形や平形、輪形、半筒、端反、沓形などがある。また、天目形、井戸形のように茶碗の特徴が形状名になっているものもある。逆にその形状から筒茶碗、平茶碗等と呼ばれる茶碗もある。
 茶碗は、日本の一般的な食生活に欠かせない、陶磁器である。
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2007/11/20


香炉 Kouro 

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 香炉(こうろ)とは、香を焚き、楽しむための器であり、上面、または側面に大きく開口した筒、椀、箱、皿状の容器である。
 インドに起源をもつ香炉は、中国・朝鮮を経て、仏教の伝来後、間もない時代に日本にも渡来したとされている。
 香炉は、金属・陶磁器などで作られており、インドでは臭気を消すために利用されていたが、日本に伝わってからは、仏具として多く使われるようになった。
 焼香は人間の悩みを乗り越えて精進する事を意味し、また、塗香(ずこう)という、香りを身体にあてて清める方法があり、これを持戒として正しい生活を送る事を、仏道では釈迦が諭している。
 仏具としてだけでなく、工芸品としての香炉も存在し、居間や寝室でも香の香りを楽しめる。
 香炉は、香を焚くための仏具であり、伝統的な工芸品道具である。
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2007/11/14


伊賀組紐 Iga-Kumihimo 

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 伊賀組紐(いがくみひも)は、三重県伊賀市で発祥したとされる工芸品である。国の伝統的工芸品に指定されている。
 組紐とは、絹糸で主に金銀糸などを組糸に使い、高台、丸台、角台、綾竹台などの伝統的な組台を使って繊細な美しさを持つ紐に作り上げたものである。
 伊賀組紐の組紐技術は、奈良時代、仏教伝来とともに大陸から伝えられたとされ、経典や袈裟などに用いられた。
 武士階級の時代になると甲冑や刀剣の紐が多く生産されるようになり、武具類を中心とする組紐文化が生まれた。
 明治維新後の廃刀令で武家社会が崩壊してからは、江戸時代の伝統組紐の技術は和装に欠くことのできない帯締め、羽織紐へと移行していった。
 伊賀組紐は現在、和装だけでなく洋装にまで幅広く利用されている、伝統ある工芸品である。
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2007/11/13


切妻造 Kirizuma-zukuri The Kirizuma-zukuri Style

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 切妻造(きりづまづくり)とは、切妻屋根を用いた日本の伝統的な建築様式の事である。
 日本の木造住宅の屋根は、切妻造、寄棟造、入母屋造の3種類を基本とする。
 切妻造は、屋根の頂上部である棟から左右にくだる2つの屋根面で構成される。屋根が外壁面とまじわる部分にできる三角形を妻とよび、妻のある側面からみると、屋根を妻で切ったようにみえるので、切妻造の名がある。
 古墳時代には、切妻造の屋根が豪族居館を象徴した。
 しかし、奈良時代に中国から伝来した木造建築では、正面からみたとき、横方向への屋根の広がりが認識できる寄棟造の方が、格式が上とされていた。
 やがて、屋根の妻をみせる切妻造の象徴性と、寄棟造の正面形式の両方を兼備した入母屋造が、宮殿や貴族住宅、寺院において一番好まれるようになっていく。
 切妻造は、日本の古代建築の基本といえる木造建築様式である。
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