NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/9/13


田尻 大崎八幡神社 Tajiri Oosaki-hachiman-jinja Osaki Hachiman Shrine in Tajiri

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 田尻にある大崎八幡神社(おおさきはちまんじんじゃ)は、仙台市八幡町の大崎八幡神社、古川江合の八幡神社、岩出山の八幡神社の本家で知られ、一千年の歴史を持つ由緒ある神社である。
 神社から北に続く丘陵地は、奈良時代から平安時代にかけて大和律令国家が設けた新田柵(にったのさく)の跡とされている。
 天喜五(1057)年の前九年の役で、源頼義、義家の父子が奥州征伐の際、安倍頼時、貞任を攻め、田尻八幡北部にある天狗ケ岡で石清水八幡を祀り勝利を祈願した。その後、安倍氏を滅ぼし凱旋の途中、この地と胆沢、栗原の三箇所に石清水八幡を勧請したのがはじまりとされている。
 この神社は大崎氏の崇拝が厚かったため、正平一六(1361)年に社殿を再興し、大崎八幡と名のるようになった。
 その後、伊達政宗が大崎八幡神社を敬い、岩出山に移し、さらに仙台城下に華麗な権現造りの社殿を造営した。尚、神社は伊達家によって元のこの地に再建された。
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2007/3/15


事任八幡宮 Kotonomama-hachiman-guu Kotonomama Hachimangu Shrine

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 事任八幡宮(ことのままはちまんぐう)は、静岡県掛川市八坂にある神社である。祭神は、息長帯姫命、誉田別命、玉依比売命。
 創建時期は定かではないが、社伝では成務天皇の頃(84〜190年)とされている。
 平安時代の延喜式神名帳には己等乃麻知神社と記載されている。
 大同2(807)年、坂上田村麻呂が東征の際、桓武天皇の勅命によって、現在地へ遷座させたと伝えられる。
 枕草子に「思いのままに願い事が叶う」と記される、古い歴史をもつ神社である。
 康平5(1062)年、源頼義が岩清水八幡宮をここに勧請し、以来八幡宮を併称する。
 境内は広く、樹齢約千年の大杉や大楠など樹木が茂り、石垣に囲まれている。
 事任八幡宮は、静かな神域の森に囲まれた、古の社である。
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2007/2/21


伊美別宮社 流鏑馬 Imibetsu-guusha Yabusame 

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 伊美別宮社流鏑馬(いみべつぐうしゃやぶさめ)は、大分県国東市国見町の伊美別宮社にて行われる神事である。県選択無形民族文化財となっている。
 伊美別宮社は、平安時代の末期、岩清水八幡社の分霊を奉った事に始まる歴史ある神社である。
 伊美別宮社にて毎年10月15日に行われる流鏑馬は、江戸時代初期から途絶えることなく続く秋季大祭となっている。
 流鏑馬は、馬を走らせ、楼門前約100mの馬場にある3ヵ所の的を、馬上より射る事によって五穀豊穣と無事息災を祈るという行事である。
 この矢を持ち帰ると、無病息災・家内安全になると言われており、参拝者達が的に当たった矢を奪い合うのも行事の一部である。
 伊美別宮社流鏑馬は、勇ましくも厳かな、伝統的神事である。
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2007/2/6


清滝 Kiyotaki 

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 春は新緑、夏は涼、秋は紅葉、そして冬は幽玄の世界を楽しむ。四季折々を楽しめる清滝公園は水量の多さを競う場所ではないが、岩から湧き出てきた岩清水が、細雪の様に優雅に、カーテンの様にゆっくりと滝壷に降り注ぐ、繊細で美しい光景を見る事が出来る。
 細れ石(さざれいし)が大きな岩屏風となって、その上から岩清水が無数の水滴となって降り注ぐ様を見ながら、静かな滝の音色と、その他の自然の音色との調和を楽しむのは、轟音の滝では味わえない落ち着きがある。
 場所は、日本一とも言われる炭酸泉「長湯温泉」のある直入町で。水汲みを兼ねて訪れるのもいいし、秋には清滝と紅葉をダブルで楽しめる絶好ポイント。
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2007/1/30


鶴岡八幡宮 Tsurugaoka-hachimanguu Tsuruoka Hachimangu Shrine

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 鶴岡八幡宮は、神奈川県鎌倉市にある神社である。主祭神は、応神天皇、比売神神、功皇后。
 鶴岡八幡宮は、康平六(1063)年、京の岩清水八幡宮を鎌倉由比ガ浜郷に勧請し、社殿を創建した。治承四(1180)年、源頼朝が鎌倉入りすると、八幡宮を、この地、小林郷に移した。
 源頼朝がこの高台に社殿を作った時は、全国60余州を平定した時である。翌年には征夷大将軍になり、まさに絶頂期であった。
 以来、鶴岡八幡宮は常に鎌倉の象徴であり、幕府の儀式や行事は全てここを中心に行われた。また、武門の象徴として豊臣、徳川家から手厚い信仰を受けている。
 鶴岡八幡宮への信仰を背景に、鎌倉を中心に興った質実剛健の気風は、その後武士道に代表される日本人の精神性の基調となったとされる。
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