NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/9/12


けん玉遊び Kendama-asobi 

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 けん玉遊びとは、3つの皿と1つのけん先、そしてその本体に紐で繋がった玉を1セットとした玩具・けん玉をを使った遊びである。
 発祥地は、フランス、ギリシャ、あるいは中国など、諸説あるが、詳細は判明していない。
 日本へは安永五(1777)年頃にシルクロードを通じて伝わったと言われており、今使われている皿が3つ付いている「けん玉」は、大正時代に登場し、当時は玉を太陽、皿を月に見立てて、日月ボールと呼ばれていた。
 遊び方は、バランス良く球を皿の上に乗せたり、けん先に入れたりするというもので、球を置く部分、回数などによって勝敗を競う。現在では、全国規模の大会もスポーツ競技として行われている。
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三原山 Miharayama 

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 三原山(みはらやま)は、東京都大島町にある標高764mの三重式成層火山である。
 伊豆大島の中央に位置する三原山は、御神火様として昔からあがめられてきた神山で、ハワイのキラウエア火山・イタリアのストロンボリー火山と共に世界三大流動性火山の一つに数えられている。
 安永六~八年(1776~1779)の大噴火、昭和二五~二六年(1950~1951)の噴火、そして昭和六一(1986)年の大噴火と、三度の大規模な噴火によって内輪山から火口原の姿ができた。
 現在は、平静を保ち四季折々にすばらしい景観を見せており、山頂まで延びる遊歩道も復旧され、三原山山頂口付近からは、眼下に元町・海原、そして伊豆半島富士山を望む事が出来る。
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2008/7/15


相良人形 Sagara-ningyou 

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 相良人形(さがらにんぎょう)は、山形県米沢市に伝わる土人形である。東北三大土人形のひとつとされている。
 安永七(1778)年、米沢藩主である上杉鷹山(うえすぎようざん)が、領内の産業振興のため、藩士・相良清左衛門厚忠(さがらせいざえもんあつただ)に命じて製陶所を設けて作らせたのが起源とされる。
 清左衛門は諸芸に通じ、特に彫刻をよくしたので、その特技を活かして京都の伏見人形の型を学び、堤人形にも影響を受けながら、独自の人形型で土人形を創始し、自らの姓をいれ相良人形と呼んだ。
 相良人形は江戸から明治にかけて数多く作られ、中でも江戸期のものは古相良(こさがら)と呼ばれ重宝されている。
 現在は、鯉担ぎ・前帯女郎・像乗り童子など、100種余りが制作されている。
 相良人形は、とても可愛らしい、伝統の郷土民芸品である。
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2008/3/11


天草 高浜焼 Amakusa Takahama-yaki 

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 熊本県天草地方で焼かれる陶磁器類をまとめて、天草陶磁器(あまくさとうじき)と呼ぶ。平成一五(2003)年に国の伝統的工芸品に指定された際、新たに名付けられた呼び名で、高浜焼(たかはまやき)はこれらを代表する磁器の一つ。
 宝暦一二(1762)年、上田伝五右衛門が天草西海岸に産出される純度の高い陶石を使用して磁器を作るため、肥前の陶工を招いて高浜に窯を開き、白磁の生産をしたことに始まる。安永六(1777)年、長崎奉行によりオランダ向きの焼物製作を命じられ、染付色絵の欧風皿などの生産を行い、明治三三(1900)年まで続けられたが廃窯した。昭和二七(1952)年に再興され、現在は白磁の食器類を中心に作られている。
 現代の生活様式に調和する「白く」「薄く」「透明な」をモットーに、世界に誇る天草陶石の良質の原料を生かし、洗練された高度な技を駆使して焼き継がれている。
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2008/3/4


松笠風鈴(伊達鋳物) Matsukasa-fuurin(Date-imono) 

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 松笠風鈴・伊達鋳物(まつかさふうりん・だていもの)は、宮城県登米郡登米町で製造されている鋳物製の手作り風鈴である。
 鋳物のさらざらした表面に、虫が食いつぶしたような穴が無数に空いた模様が独特の風鈴だ。
 安永年間(1772~78)に登米の鋳物業者が、仙台藩主の所望により風鈴製作を手がけたのがその始まりとされ、その形が松笠に似ている所から松笠風鈴と命名された。
 以来、登米の名産の一つとして鋳物業者の子孫により作り続けられている。
 銑鉄と砂鉄で作る材料の配合などの製法や技法は、門外不出の秘伝とされ、今も子孫の手により頑なに守り続けられており、そうした秘法で一つずつ手作りされた風鈴は、金属特有の余韻の美しい澄んだ音色を放つ。
 その音色は、手作りのために全ての個体で異なった音を奏でる。
 自分のお気に入りの音色を求めて、ゆっくりと聞き比べてみるのも良いかもしれない。
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2008/1/24


一勝地焼 Isshouchi-yaki 

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 一勝地焼(いっしょうちやき)は、熊本県球磨村(くまむら)の一勝地に伝わる焼物である。
 江戸中期の安永五(1776)年、相良(さがら)藩士の陶工であった右田伝八(みぎたでんぱち)が、江戸で陶法を学び、その後一勝地の場所に優れた陶土を発見し、各地の陶工を招いて開窯したと伝えられている。相良藩の御用窯として保護を受けながら、高い格式を誇っていたが、明治中期に後継者がなく廃窯したという。
 その後、昭和一二(1937)年再興を図り、昭和三二(1957)年に、現在の成田勝人が継承、昭和四六(1971)年に新窯を設け、作陶を続けている。
 一勝地焼は、ほかの焼き物に比べて約一四〇〇~一五〇〇度という、かなりの高温で焼き、飴色の独特の色をだした、素朴な硬質の陶器をつくりあげる。
 茶器や大皿のほか、球磨地方独自の酒器「そらぎゅう」などが作られている。そらぎゅうとは、底が平らではないため、飲み干すまで机に置くことができず、「そら」とすすめられて「ギュウ」と飲み干すとの意味からその名がついた。
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2007/12/28


小沢式三番 Ozawa-shikisanba 

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 桧原村小沢地区に古来より伝わる「小沢式三番(おざわしきさんば)」は、鎮守である伊勢清峯神社(いせせいほうじんじゃ)の秋の例祭に行われる神事で、能の「翁」を歌舞伎舞踊化したものだという。関東に伝わる式三番は小沢地区の他にはニヶ所のみで、珍しい神事である。
 この歴史は古く、約三〇〇年前に一度途絶えたとされるが、甲州郡内地方から師匠を頼んで復活させたとされる。現存する翁の衣裳には明和七(1770)年八月吉日の日付が、面箱蓋には安永三(1774)年という年号がそれぞれ銘記されている。
 神事を行うに当たって、三役は別火斎戒(べっかさいかい)という、食事など全ての事を女性の手を借りずに自ら行って、一週間身を清める慣習が今も残っているという。
 五穀豊穣などを祈願するこの古式ゆかしい神事は、都の無形民俗文化財の指定を受け、地元の若者衆たちによって今も伝えられている。
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2007/12/10


碁石山 浪切不動明王 Goishizan Namikiri-fudoumyouou 

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 碁石山(ごいしざん)は、香川県小豆郡小豆島町の岩窟内にある真言宗の寺である。小豆島八十八ヶ所霊場第3番札所とされる。
 開基は不詳で、伝説では行基菩薩によって開かれたと言われる。
 安永三(1774)年、下野国の人である一翁道夢居士が、この岩窟内で念仏を唱えながら入定したとされ、岩窟内には、祈願の為の宝篋印塔(ほうきょういんとう)がある。
 浪切不動明王(なみきりふどうみょうおう)は、この碁石山に安置されている本尊である。
 海難事故を防ぐ不動明王としてはるか昔より、漁師や海運関係者に広く信仰され、多くの危難を防いだと言われ、弘法大師も止錫したと伝えられる。
 1番札所の洞雲山、3番札所奥の院の隼山とともに、験者が修行した道場とされている。
 碁石山の浪切不動明王は、地元の人たちから浪切さんと呼ばれて親しまれている不動明王像である。
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