NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/5/31


津軽 福島城 Tsugaru Fukushima-jo Tsugaru-Fukushima Castle

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 約65万平方メートルの外郭と一辺約200mの内郭からなる近世以前では東北最大の城。
 発掘調査により、竪穴住居跡、外堀、内堀、土塁跡、門祉や柵柱列が発見され、古代から中世にわたる遺跡であると推定され、従来は、中世十三湊を支配し権勢を誇っていた安東(安藤)氏代々の居城であると伝えられて来たが、1992年の十三湊発掘調査の結果、堅固な土塁と大規模な掘に囲まれた本格的な城郭施設である事がわかった。
 また通説に反し、中世の遺物は全く出土せず、11世紀の土器が出土したことなどから、福島城は11世紀の城であった可能性が高く、内郭は兵士が集合したり、何らかの宗教的な儀式を行う場所であった、可能性が高いとされている。
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2007/2/16


畑谷城 Hataya-jyo Hataya Castle

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 畑谷城は、山形県東村山郡山辺町にあった城である。
 慶長5(1600)年、関ヶ原の合戦に伴い、奥羽でも山形を舞台に「出羽合戦」と呼ばれる戦いが始まった。
 西軍の上杉景勝と東軍の最上義光が激しく争った戦いで、東北版関が原とも言われる長谷堂合戦の前哨戦が、畑谷城で行われた。
 畑谷城を守る最上義光の部将、江口五兵衛光清は500ばかりの僅かな兵を率いて、直江兼続率いる2万の上杉軍を迎え撃った。
 だが多勢に無勢、畑谷城は落城し、江口光清は自刃した。
 しかし江口が上杉軍を足止めしたことで上杉軍の進撃は鈍り、長谷堂城攻略中に関ヶ原で東軍の勝利が確定したのである。
 現在、畑谷城の東麓、長松寺には江口五兵衛光清の墓と彼を顕彰する碑がひっそりと立っている。
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2007/2/14


九品寺 Kuhon-ji Kuhon-ji Temple

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 奈良県葛城山の東面に位置する浄土宗知恩院派の寺。山号は戒那山、「石仏の寺」の異名を持つ。
 聖武天皇の勅により、奈良時代に行基和尚が開基。その後、空海により戒那千坊の一つとして中興する。
 本尊は平安後期作の木造阿弥陀如来坐像であり、国の重要文化財に指定されている。
 境内に多数の石仏があることで有名。裏山には南北朝時代の豪族、楢原氏が南朝方に付き、北朝と戦った時に亡くなった兵士の慰霊を行なうために奉納したと言われる「千体石仏」と呼ばれる千八百体にもおよぶ石仏群が並ぶ。
 高台からは大和三山を一望することができることから、絶景の地としても人気である。
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2007/2/8


山内流 Yamanouchi-ryuu 

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大分県の臼杵市中津浦の海岸では、毎年8月、古流泳法「山内流」の水泳大会が行われる。百八十余年もつづく恒例行事だ。
 「山内流」の泳法は、江戸時代の文政五(1822)年、伊予(愛媛県)松山藩士山内久馬勝重が、臼杵藩士稲川冬吉に伝授したことに端を発するという。
 この泳法は、物を持って泳ぐのが最大の特徴。体を斜めにし、立ち泳ぎで泳ぐ。昔は、刀や鉄砲、弓、旗、槍などを持ちながら藩士たちが立って泳いだという。現在は、大きな旗を水面すれすれで振り回しながら泳ぐ「大旗振り」が、この水泳大会の目玉だ。
 「山内流」は、日本水泳連盟公認12流派のひとつとなり、伝統芸能として受け継がれている。現在は大分県の無形文化財にも指定されている。
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