NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/2/12


鶴見古墳 Tsurumi-kofun Tsurumi Ruins

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 国指定史跡「川部・高森古墳群」(宇佐風土記の丘の古墳群)は、6基の前方後円墳を中心として、周辺に約120基で構成される。それぞれの前方後円墳は地形的には独立した場所に営まれ、その方向もバラバラである。前方後円墳以外の墳墓は耕作などによって墳丘を失い、現状では墓と認識できないものが多いが、前方後円墳を中心に、このように多数の周溝墓が集中する遺跡は大分県内ではここだけ。九州内においても特徴的な遺跡で、規模も宮崎県の西都原古墳群(約320基)に次ぐ。
 「鶴見古墳」は、赤塚古墳に始まる川部・高森古墳群の中で、最後に造られた前方後円墳で、6世紀の中頃に築造された。この古墳は、赤塚古墳の被葬者から代々にわたって宇佐地方を治めた首長の系列を伝える最後の古墳。また、古墳時代後期の葬送の典型的な一例として重要な位置を占めている。
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2007/1/25


こうもり塚古墳 Koumoriduka-kofun Koumoriduka Archeological Site

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 国指定史跡、「こうもり塚古墳」。六世紀後半に自然の丘陵を利用してつくられた全長約100メートルの前方後円墳だ。
 「こうもり塚古墳」の名は、こうもりが棲みついたことから付けられた。横穴式の石室は全長19.4メートルと、奈良県の石舞台古墳の石室に匹敵する大きさだ。長い羨道とその奥の玄室とから成っている。玄室には家の形の大きな石棺が納められている。この石棺は井原市野上町産の浪形岩(貝殻石灰岩)を材料とした、くり抜き式の石棺。ほかにも陶棺や木棺が納められており、後期古墳に一般的な、複数埋葬であったことが窺われる。
 この古墳は、大きな墳丘や内部の石室、石棺などに見られるように、多くの労働力を集められるほどの勢力を誇った支配者層の墳墓であることを示しているといわれる。
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2007/1/24


造山古墳 Tsukuriyama-kofun Tsukuriyama Burial Mound

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 造山古墳(つくりやまこふん)群は巨大前方後円墳、造山古墳と、その西側一帯に築かれた6基の中小規模の古墳とで構成される。岡山県下で第1位、全国でも第4位の規模(全長350メートル、後円部径200メートル、高さ24メートル、前方部幅215メートル)を誇り、国指定史跡にも指定されている。
 築造時期は5世紀後半と推定されており、墳丘規模・外表施設などの様子からみて、被葬者は5世紀前半の吉備を支配した「王」の墓と言われている。6基の中小規模の古墳は、その王に仕えた近臣たちの墓(陪塚)とされている。
 造山古墳に次ぐ近隣の作山古墳(総社市)、両宮山古墳(山陽市)などの巨大古墳の存在から、古代吉備がヤマト王権に対抗しうる強力な王権があったとする見解もある。
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