NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/10/15


御幸の橋 Miyuki-no-hashi 

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 愛媛県西部を流れる肱川(ひじかわ)の支流川辺川。その上流域にある、四方を山に囲まれ面積の八割以上が山林という自然豊かな川辺町には、明治から平成にわたって架けられた八つの屋根付き橋が点在する。
 川辺川上流、秋知川に架かる「御幸の橋(みゆきのはし)」はその中でも最も古く、天神社の参道として安永ニ(1773)年に創設された。坂本龍馬が脱藩の際に渡ったという伝説も残る。
 現在の橋は明治一九年の大洪水により流失したが、祭礼に合わせるため氏子達の手によって再建されたもの。欅(けやき)材が使われ、屋根は杉皮葺で、釘は一切使用されていない。橋の長さは八・三mあり、幅員は二・七mとやや狭い。
 歴史ある橋文化を守るため、また村おこしの一環として「浪漫八橋(ろまんはちきょう)」と名付けられ、また県の指定有形民俗文化財としても大切にされている。
 
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2007/9/10


霧島山 Kirishima-yama Mt. Kirishima

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 霧島山(霧島連峰・霧島火山群)は、鹿児島県霧島市と宮崎県えびの市・小林市の境界にある火山群の総称である。日本百名山の一つに選ばれている。
 約30万年前に大噴火を起こした、加久藤カルデラの南縁に誕生した後カルデラ火山とされる。
 標高1700mの最高峰・韓国岳をはじめ、高千穂峰、中岳、大幡山、御鉢などからなっており、大浪池、大幡池、御池、六観音池など多くの火口湖が存在する。
 一帯は霧島屋久国立公園に指定されており、高地にはミヤマキリシマの群生地がある。
 高千穂峰の山頂には、アマテラスの孫ニニギが、降臨する際、逆さに突きたてたという天の逆鉾が立てられている。
 また、坂本龍馬夫婦の日本最初の新婚旅行地としても知られている。
 霧島山は、天孫降臨を伝える日本創世神話の地である。
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2007/8/9


三杯谷の滝 Sanbai-dani-no-taki 

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 木菱川(きびしがわ)上流にあるのが三杯谷の滝(さんばいだにのたき)。白い飛沫(ひまつ)を上げながら、岸壁を縫って15メートルを一気に流れ落ちる姿は圧巻。
 大洲市河辺町には全国でも珍しい屋根付き橋が町内各地に残され、また復元されている。かつて橋桁の腐食を防ぐために、橋の上だけでも雨露をしのげるようにという願いをこめて造られたものだという。これらの橋を「浪漫八橋」と呼び、三杯谷の滝はそのうちの一つ、龍神橋から眺めることができる。
 また、この周辺は坂本龍馬が倒幕実現のため脱藩したというルートとして知られる。
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2007/5/7


桂浜 Katsurahama Katsurahama Beach

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 高知県高知市南部に位置し太平洋に臨む海岸。
 砂浜の北東端に上竜頭岬、南西端に下竜頭岬があり、その間を弓形に砂浜が延びている。
 下竜頭岬には竜王宮の鳥居が立つ。浜には、幕末の志士、坂本龍馬像があり、遥か太平洋の彼方を見つめ、その下には箱庭のような桂浜が広がる。
 黒潮の流れる太平洋に南面したこの浜は、土佐民謡「よさこい節」にも歌われているとおり、昔から月の名所としても名高い。毎年この浜では、中秋の名月の夜に地元出身の歌人・大町桂月を偲んで「名月酒供養」が開催される。
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2007/5/1


寺田屋 Teradaya 

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 京都伏見の旅籠(はたご)、寺田屋。
 伏見は京と大坂を結ぶ要所であり、西国の大名や武士たちは、船で大坂に着き、淀川を三十石船で伏見まで辿ったのち京や江戸へ向かうのが一般的なルートであった。ここ寺田屋は伏見の薩摩藩邸にも近く、薩摩藩の下級藩士の定宿の旅籠であったが、そんなことから、幕末維新の「寺田屋事件」や「坂本龍馬襲撃事件」の舞台となったのである。
 明治以降の戦禍もくぐりぬけ、いまも当時の建物の姿を残し、旅籠として宿泊もできる。
 表には「寺田屋」と書かれた提灯がさがり、坂本竜馬が気に入っていた部屋は「坂本龍馬の部屋」として公開され、龍馬が所有の鉄砲や刀、そして肖像画が展示されている。もちろん、襲撃事件の折に付いた「刀傷」や龍馬が撃った「弾痕の跡」なども柱に残っている。
 京都の時間感覚はスパンが長い。ここでは、明治維新もついこないだのようである。
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2007/4/27


まんじゅう笠 Manjyu-gasa 

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 もともとは、日本全国で江戸時代以前から竹と筍の皮だけで作られていたが、その後一部に布地を使うようになり、高知県では明治・大正期にかけて最も多く生産された。
 県内では、芸西村(げいせいむら)の海岸地域の人々が副業として従事し、最盛期には約120軒で作られていた。
 江戸時代、坂本龍馬が脱藩する際に着用、顔を隠したことから「脱藩笠(だっぱんがさ)」とも呼ばれている。
 丸みを帯びた形状が美しく、日陰も大きい。風通りが大変良く涼しいという万能ぶりで、県内はもとより県外各地で販売された。
 昭和期に入り、需要は減少、現在では装飾用の民芸品として、1名の工芸士が生産しているだけとなっている。
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2007/4/25


霊山護国神社 Ryouzen-gokoku-jinjya 

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 「霊山護国神社(りょうざんごこくじんじゃ)」は、京都府京都市東山区にある神社。明治元年、日本の民主主義への転換期となった明治維新で、その実現のため命を落とした志士たちの霊を慰めるため、明治天皇が創建した。当初は「霊山官祭招魂社」と命名された。この地は幕末期、維新をなしとげた思想、「尊皇派」の志士たちが拠点にしていた場所である。1043人の志士たちの御霊が祀られており、その中には「坂本龍馬」「中岡慎太郎」「武市半平太」など歴史的人物の名が連なる。神社へ向かう参道「維新の道」を登りきると境内があり、霊山歴史館、尊皇派拠点となった霊明神社がある。
 毎年11月には京都高知県人会主催の「龍馬祭」が行われるなど、当時の人物、出来事などにまつわる歴史を垣間見ることができる。
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