NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/9/29


姥山貝塚 Ubayama-kaiduka 

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 姥山貝塚(うばやまかいづか)は千葉県山武郡にある縄文時代中期から後期のものといわれる貝塚である。また、国の指定史跡である。
 大正一五年に東京人類学会が行った発掘調査では、一連の住居跡から、子供1体、成人女性2体、成人男性2体の計5体の家族と思われる人骨が発見されたという。また、竪穴住居址の全容が平面的に捉えられたのは日本では初めての事であったとされる。この事が姥山貝塚を全国的に有名になったとされる。
 貝塚の大きさは東西約130メートル、南北120メートルの馬蹄型(C字型)と呼ばれる貝塚である。
 発掘された土器の多くは縄文時代中期から後期にかけてのものが多く、共同墓地と思われるものも発掘されているという。
 現在、姥山貝塚は姥山貝塚公園として市民の憩いの場所ともなっている。
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2007/2/12


鶴見古墳 Tsurumi-kofun Tsurumi Ruins

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 国指定史跡「川部・高森古墳群」(宇佐風土記の丘の古墳群)は、6基の前方後円墳を中心として、周辺に約120基で構成される。それぞれの前方後円墳は地形的には独立した場所に営まれ、その方向もバラバラである。前方後円墳以外の墳墓は耕作などによって墳丘を失い、現状では墓と認識できないものが多いが、前方後円墳を中心に、このように多数の周溝墓が集中する遺跡は大分県内ではここだけ。九州内においても特徴的な遺跡で、規模も宮崎県の西都原古墳群(約320基)に次ぐ。
 「鶴見古墳」は、赤塚古墳に始まる川部・高森古墳群の中で、最後に造られた前方後円墳で、6世紀の中頃に築造された。この古墳は、赤塚古墳の被葬者から代々にわたって宇佐地方を治めた首長の系列を伝える最後の古墳。また、古墳時代後期の葬送の典型的な一例として重要な位置を占めている。
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2007/1/26


角牟礼城址 Tsunomure-joushi Tsunomure Castle Ruin

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 角牟礼城址(つのむれじょうし)は、大分県玖珠町にある中世の山城跡である。
 角牟礼城址は、標高577mの角埋山に存在する。角牟礼城は、弘安年間(1280年)に森朝通によって築かれた。
 戦国時代には、交通の要衝の地であったため、玖珠郡衆により城はより堅固に修築された。
 天正十四(1586)年の島津義弘の侵攻にも、堅固な要塞は耐え、防ぐことに成功した。
 城跡には、穴太(あのう)積みの高さ約7m、長さ約100mに及ぶ石垣が残存している。
 他にも、豊臣時代の城主・毛利高政の頃の櫓跡及び虎口、礎石立ちの門の遺構、桁行5間・梁行3間の礎石建物などが、1993年からの発掘調査によって出土した。
 2004年、国指定史跡に選定される。
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堀越城 Horikoshi-jo Horikoshi Castle

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 弘前藩の基礎を築いた津軽為信(つがるためのぶ)が津軽統一の根拠地として利用し、大浦城から居城を移した文禄三(1594)年から、慶長十六(1611)年に二代藩主、津軽信枚(のぶひら)が現在の弘前城に移るまでの間、弘前藩の中心となった城。
 昭和六十(1985)年11月に国史跡指定を受け、現在は、史跡公園として整備するために、平成十(1998)年から継続して発掘調査が行われ、建物の柱のあとや、青磁・白磁、漆器などが出土している。
 現在は熊野神社の境内となり、国道7号が城を分断しており、神社の中に入り込むと、そこは主郭らしいつくりで土塁が積み上げられ、空堀の跡もよく残っており、古城という雰囲気が醸し出されている。
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七戸城 Shichinohe-jo Shichinohe Castle

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 鎌倉時代に創築されたと言われ、長い間七戸南部氏の居城であった。江戸期になってからは南部(盛岡)藩領となり、代官所が置かれていた。
 城は柏葉城とも呼ばれ、作田川、和田川合流点付近の、北西から市街地へ延びる比高40mの洪積台地の先端を利用して造られている。遺構は本丸、二の丸、北館、下館、宝泉館、西館、角館の7郭より成り、(指定面積は約9万5千平方m)各郭には独立性が認められ、空堀、帯郭、腰郭、虎口、武者隠し等もみられる。  
 天正十九(1591)年、城主7戸家国は九戸政実の一揆に加担して滅び、翌年城は壊された。
 現在、七戸城跡保存管理計画に基づき、北館の発掘調査を行っているが、平成8年、本丸、二の丸間の堀跡が確認され、また15世紀頃の遺物が出土している。
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