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2008/5/2


寝殿造 Shinden-zukuri 

Jp

 寝殿造(しんでんづくり)は、平安時代における代表的な貴族の住宅建築様式である。
 南向きに建てられた高床式の寝殿を中心として南には庭を敷き、寝殿の左右背後に対屋(たいのや)と呼ばれる付属的な建物が、渡殿(わたりどの)でつながれ、上空から見ると「コ」の字型の建物群が形成されているのが特徴である。
 また、庭には池や築山などが造園され、対屋から更に南に張り出した泉殿(いずみどの)や釣殿(つりどの)が池にかかるように造られた。
 建物内部はあまり仕切られておらず、屏風や簾などで用途に応じて間仕切りしていたとされる。
 万事に広く造られていて、大きな敷地を要するのもこの造りの特徴である。あまり位の高くない貴族であっても一町(120m)四方を標準として、一千坪以上の敷地に建てられていた。
 鎌倉時代に入ってから寝殿造を簡略化した「武家造」や、それを経て造られるようになった「書院造」に至るまで、日本における家屋の代表的な建築様式として今に伝えられている。
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2007/1/30


石舞台古墳 Ishibutai-kofun Ishibutai Tumulus

Jp En

 奈良県明日香村にある「石舞台古墳」。巨石30個を積み上げて作られた石室古墳だ。
 6世紀の築造で、規模は日本最大級を誇る。玄室は、長さ約7.7m、幅約3.5m、高さ約4.7m、羨道は長さ約11m、幅2.5m。使われている石の総重量は77トンにもおよぶ。
 蘇我馬子の墓であったとする説が有力。盛土が剥がされ、墓が暴かれたのは、蘇我氏に対する怒りからという説もある。
 昭和八(1993)年と昭和十(1935)年に京都帝国大学(現京都大学)の浜田耕作らが中心となり、発掘調査を行った。しかし、すでにほとんどの埋葬品が盗掘にあった後であり、石棺の欠片等が発見されるに留まったという。
 石舞台古墳は、明日香地域の観光シンボルとして訪れる人たちに親しまれている。昼間は公開され、石の下に入ることが出来るという。
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