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2007/8/9


岡崎市 法蔵寺 Okazaki-shi Houzou-ji Hozoji Temple

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 岡崎市の法蔵寺(ほうぞうじ)は、愛知県岡崎市本宿町寺山にある浄土宗西山深草派の寺である。本尊は、阿弥陀如来。三河三十三観音霊場第12番で、三河新四国霊場第35番札所とされる。
 大宝元(701)年、行基によって法相宗の二村山出生寺として創建されたとされる。
 至徳二(1385)年、教空龍芸によって浄土宗の法蔵寺に改められた。
 徳川家康は幼少のころ、この寺で修業したと伝えられ、その時に使った遺品や、手習いの水を汲んだといわれる井戸、長女亀姫の墓などが存在する。
 明治元年には、三条大橋に晒されていた近藤勇の首が斉藤一によって奪取され、誓願寺にいた孫空義天が供養を依頼され、義天の異動に伴って法蔵寺に埋葬された。
 岡崎市の法蔵寺は、新撰組の近藤勇が眠る古寺である。
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2007/7/6


夷王山墳墓群 Iou-zan-funbo-gun 

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 夷王山墳墓群(いおうざんふんぼぐん)は、北海道檜山郡上ノ国町勝山にある標高159mの夷王山の裾にある墳墓群である。国の史跡に指定されている。
 夷王山は蝦夷地の総督・松前候の、かつての居館・勝山館の天守閣で、頂には武田信広を祀る夷王山神社がある。
 勝山館跡の外側から、夷王山山麓一帯には622基の墳墓があり、蛎崎・武田一族の墳墓であろうといわれている。
 室町時代の墳墓が、このように集中してあることは非常にまれであり、埋葬品として木棺、火焼骨、木炭、硯、数珠玉、渡来銭、漆器などがあり、勝山館、花沢館との関連遺構と推定される。
 周辺には夷王山キャンプ場があり、夏休みの時期には多くの人々で賑わう。
 夷王山墳墓群は、戦国の昔を想起させる史跡である。
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2007/5/22


瑞巌山 円光院 Zuigan-zan Enkou-in Zuiganzan Enkoin Temple

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 円光院は山梨県甲府市岩窪町に位置する、臨済宗妙心寺派の寺社である。山号は瑞巌山。甲府五山の一つである。
 元々は石和町に位置し、成就院と称されていたが、永禄三(1560)年、武田信玄によりこの地に移され、説三和尚により開基された。
 後に信玄の正室である三条の方が埋葬され、その法名から寺名を円光院と改めた。
 本尊は釈迦如来、境内には宝暦年間に再建された伽藍が立ち並び、三条夫人廟所が安置されている。
 信玄が陣中の守本尊とした刀八毘沙門天、勝軍地蔵の二体が遺されており、毎年正月三日と4月12日に開帳が行われ、人々の信仰を集めている。
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2007/3/28


柏谷横穴群 Kashiya-ouketsu -gun 

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 柏谷横穴群は静岡県田方郡函南町、柏谷公園に位置する古墳である。
 6世紀末から8世紀までに墓地として使われた横穴群。
 東西600メートル、南北250メートルにおよび、300基以上が存在する全国でも有数の規模を誇り、「柏谷の百穴」とも呼ばれる。一部は国指定史跡。
 長方形の玄室を作り、玄室までの羨道を造った形のものが多い。入り口は閉塞石と言われる川原石で塞がれていた。
 埋葬品は匂玉や菅玉、耳飾りの装飾品、武器、馬具の鉄製品、食器などの土器が出土している。
 柏谷公園は古墳以外に復元した竪穴住居と高床倉庫があり、古代の建物や史跡に身近に触れ合える場所となっている。
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上白岩遺跡 Kamishiraiwa-iseki 

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 上白岩遺跡は静岡県伊豆市上白岩、上白岩遺跡公園のなかに位置する遺跡である。
 縄文時代中期、後期の複合遺跡であり、現在から約3000〜4000年前のものとされている。
 配石遺構と言われる大きな石を組み合わせた遺構が特徴であり、中心となる石の周辺に円形に配置して環状にした環状列石は特に貴重なもので、東海地方で完全な形で出土したのは初めて。
 祭祀遺構、大規模な墓群とも言われるが、詳細は明らかではない。
 住居跡や石組みの炉、墓地が発掘され、土器、石斧、鏃などの生活具と埋葬に用いた埋甕が出土しており、大規模な集落跡であったと推測される。
 中伊豆町歴史民俗資料館に発掘物が展示されており、縄文の遺物を見ることが出来る。
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2007/3/15


久能山東照宮 Kunouzan-tousyou-guu Kunosan Toshogu Shrine

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 久能山東照宮は、静岡県静岡市駿河区にある神社である。祭神は、東照大権現(徳川家康)となっている。
 久能山は、推古天皇の頃(600年位)、久能忠仁が初めて山を開き、久能寺を建立した。永録11(1568)年、駿府に進出した武田信玄が久能寺を今の清水市に移し、この山頂に久能城を築城した。その後、武田氏滅亡と共に徳川家のものとなる。
 元和2(1616)年、家康が死去、遺言によりここに葬られる。秀忠の命令により、家康が埋葬されてわずか1年7ヶ月の短期間で久能山東照宮は造られた。
 その後、改葬して家康の御霊は日光東照宮へ送られたが、久能山東照宮はそのままこの地に残った。
 久能山東照宮は、荘厳な雰囲気を持つ徳川家の神社である。
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2007/1/30


石舞台古墳 Ishibutai-kofun Ishibutai Tumulus

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 奈良県明日香村にある「石舞台古墳」。巨石30個を積み上げて作られた石室古墳だ。
 6世紀の築造で、規模は日本最大級を誇る。玄室は、長さ約7.7m、幅約3.5m、高さ約4.7m、羨道は長さ約11m、幅2.5m。使われている石の総重量は77トンにもおよぶ。
 蘇我馬子の墓であったとする説が有力。盛土が剥がされ、墓が暴かれたのは、蘇我氏に対する怒りからという説もある。
 昭和八(1993)年と昭和十(1935)年に京都帝国大学(現京都大学)の浜田耕作らが中心となり、発掘調査を行った。しかし、すでにほとんどの埋葬品が盗掘にあった後であり、石棺の欠片等が発見されるに留まったという。
 石舞台古墳は、明日香地域の観光シンボルとして訪れる人たちに親しまれている。昼間は公開され、石の下に入ることが出来るという。
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2007/1/25


こうもり塚古墳 Koumoriduka-kofun Koumoriduka Archeological Site

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 国指定史跡、「こうもり塚古墳」。六世紀後半に自然の丘陵を利用してつくられた全長約100メートルの前方後円墳だ。
 「こうもり塚古墳」の名は、こうもりが棲みついたことから付けられた。横穴式の石室は全長19.4メートルと、奈良県の石舞台古墳の石室に匹敵する大きさだ。長い羨道とその奥の玄室とから成っている。玄室には家の形の大きな石棺が納められている。この石棺は井原市野上町産の浪形岩(貝殻石灰岩)を材料とした、くり抜き式の石棺。ほかにも陶棺や木棺が納められており、後期古墳に一般的な、複数埋葬であったことが窺われる。
 この古墳は、大きな墳丘や内部の石室、石棺などに見られるように、多くの労働力を集められるほどの勢力を誇った支配者層の墳墓であることを示しているといわれる。
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