NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/11/15


大栗山花蔵院大日寺 Oogurizan-kezouin-dainichi-ji 

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 四国霊場第一三番である大栗山花蔵院大日寺(おおぐりざんけぞういんだいにちじ)。
 弘仁六(825)年、この地を巡錫中の弘法大師が「大師が森」で護摩修法をしていると、空中に紫雲と共に大日如来が出現し「この地は霊域なり、心あらば一宇を建立せよ」と告げられた。
 感得した大師は尊影の大日如来を刻んで本尊とし、堂宇を建立して安置したことが寺号の由来となっている。
 山門をくぐると、正面に合掌した手の中に安置された「しあわせ観音」の像がある。その名の通り幸せを祈ると良いとされ、参詣者に親しまれている。
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2007/11/1


応声教院 山門 Ousyou-kyouin sanmon Sanmon Gate at Oshokyoin Temple

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 応声教院(おうしょうきょういん)は、静岡県菊川市中内田にある浄土宗の寺である。本尊は、準国宝の阿弥陀如来像とされる。
 斉衡二(855)年、茲覚大師により、文徳天皇勅願所の天台宗天岳院として創建された。
 後に、浄土宗を改宗した法然上人が、桜ケ池の竜神になったといわれる恩師皇円阿闍利を偲んで阿弥陀如来像を安置し、天台宗を浄土宗に改宗し、天岳院を応声教院に改名したと伝えられる。
 また、京都知恩院末、遠江十二支辰巳霊場としても知られ、阿闍利伝説の縁起書や歯吹阿弥陀如来座像などを所有している。
 石坂を登ると徳川2代将軍秀忠が建立した山門があり、のんべえ地蔵をはじめとした様々な地蔵や、遠州七不思議の一つ、片葉のアシや三度栗が植えられている。
 応声教院は、様々な伝説に彩られた古刹である。
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2007/10/15


西予市 龍澤寺 Seiyo-shi Ryuutaku-ji 

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 棚田が広がる城川町魚成地区。古くからの農山村文化が伝わるこの地区に、三七〇〇坪に及ぶ広大な寺「龍澤寺(りゅうたくじ)」がある。「竜沢寺」とも呼ばれる寺の周囲には緑地公園が広がる。
 禹門山(うもんざん)龍澤寺は禅宗の一つ曹洞宗の総持寺派に属しており、全国に有する末寺は五六寺。
 樹齢三〇〇年を越える杉の木々がそびえ立つ石畳の参道を進むと、重厚な山門が現れる。
 七堂伽藍(しちどうがらん)を備えた境内に入ると、近世建築と呼ばれる桃山時代の建築技術を取り入れた禅堂などがあり、豪壮な寺であることを実感できる。 
 春にはお釈迦様の誕生を祝って甘茶が振舞われる、「龍澤寺花祭り」が行われることでも知られている。
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2007/10/12


広園寺 Kouon-ji 

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 広園寺(こうおんじ)は、東京都八王子市山田町にある臨済宗南禅寺派の寺である。本尊は、弥勒菩薩。多摩八十八ヶ所霊場番外札所とされる。
 康応元(1389)年、甲州塩山向岳寺の峻翁令山(しゅんのうれいざん)を招いて開かれ、開基は寺伝によれば大江備中守師親であるというが、他説には片倉城主・長井道広であるともいい、詳細は明らかではない。
 境域十数万坪といわれ、かつては塔頭十ヶ寺が配置されてあったが、戦国時代の末、八王子城陥落とともに戦火にかかり、元禄一〇(1697)年にも再度焼失し、現在のものは江戸時代中頃の建物である。ただ、山門のみ元禄の火災をまぬがれた江戸期はじめの建立といわれている。
 境内一帯は東京都の史跡に指定されており、建物も4棟が都指定文化財とされている。
 広園寺は、住宅地の中で幽玄の昔を思わせる姿を残す古刹である。
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2007/10/11


龍華山等覚寺 Ryuuge-zan-toukaku-ji 

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 伊達氏の城下町として発展してきた宇和島。JR宇和島駅の南側を流れる辰野川を挟むようにして、神社仏閣が建ち並ぶ。川辺の路地を上流へしばらく進むと、野川地区の入り口に龍華山等覚寺(りゅうげざんとうかくじ)が見えてくる。敷地には荘厳な墓石が連なる。ここは伊達家の菩提寺として知られる。
 等覚寺は元和四(1618)年、生母の菩提を弔うため初代藩主・伊達秀宗(だてひでむね)が建立。当時は白雲山龍泉寺と号したが、万治元(1658)年に秀宗の墓所となってからは浄妙山等覚寺と改め、さらに安永七(1778)年に山号を龍華山と改称して現在に至る。
 本堂と庫裏は、昭和二〇(1945)年の戦災により焼失したが、鐘楼のある山門だけは残り、わずかに当時を偲ばせる。
 墓には、初代~四代、六代、八代の各藩主のほかに、藩主夫人や殉死した藩士まで葬られている。墓からは宇和島城を望むことができる。
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2007/10/9


功雲寺 Kouun-ji Kounji Temple

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 功雲寺(こううんじ)は、神奈川県相模原市津久井町にある曹洞宗の寺である。本尊は釈迦如来。
 応永一五(1408)年、宝ヶ峰の裏側、昔の太井村に創建され、当時は、耕雲庵と称されていた。その後、戦国時代になって、津久井城主・内藤景定が現在地に移し功雲寺として開基された。
 下総国鴻台(しもうさのくにこうのだい)、現在の千葉県市川市国府台にある総寧寺(そうねいじ)の末寺にあたる。総寧寺は、江戸時代に曹洞宗の関東僧録司・三ヶ寺の筆頭である。
 かつては、広い境内に山門、本堂、開山堂、白山堂、鐘楼などが立ち並び、寺領50石を封じられた大寺院だった。本堂の裏手には歴代住職の無縫塔群、その中央に景定夫妻のものといわれている宝篋印塔(ほうきょういんとう)が建つ。
 これを囲んで代官守屋左太夫一族、城代家老馬場佐渡、元家臣で津久井総代名主・島崎律直らの墓が並んでおり、津久井城主の墓は、町指定文化財となっている。
 功雲寺は、領主内藤氏とゆかりの深い寺である。
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2007/10/1


遍照院 Henjou-in Henjoin Temple

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 遍照院(へんじょういん)は愛知県知立市弘法町にある真言宗の寺院である。
 弘仁年間(810~824)布教のため関東地方を訪れた空海(弘法大師)が建立した寺である。
 ご本尊は、空海自身が刻んだ自身の三体の座像である。本尊の一体は別れを惜しみ、やや右に振り返るようなしぐさなので、見返弘法大師と呼ばれ親しまれている。
 山門をくぐると鐘楼堂があり、その背後に本堂がひかえる、かなり大きな寺である。本堂の地下では暗闇の中で仏の道を修行することが出来る、戒壇めぐりが体験できる。
 弘法大師の本尊は秘仏とされており、大師の命日である旧暦の三月二一日にのみご開帳されている。また、毎月の命日には市が開かれ、知立駅より境内まで多くの露店が立ち並び、人々でにぎわう。
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