NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/10/5


足助春まつり Asuke-haru-matsuri 

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 足助(あすけ)はかつて塩の道と呼ばれた中馬街道の宿場で、奥三河の中枢拠点として栄えた。今も往時の面影を残す古い町並みが、足助川沿いの約二キロにわたって残る。
 足助では、毎年四月第二週の土日曜日に「春まつり」が開催される。この祭りは、明治三五(1902)年に創建された足助神社の例祭で、元弘の乱において京都笠置山で奮戦した足助次郎重範(あすけじろうしげのり)を偲ぶ。勇壮な秋祭りに対して、華やかな女の子の祭りと言われている。
 旧足助町域にある親王町、田町、本町、新町、西町、宮町、松栄町の七つの町から花車が出る。花車はピンクの造花で美しく飾られており、十代以下の女の子がお囃子の太鼓をたたく。そして若連と呼ばれる二〇代中心の男衆が花車の梶を取り、足助の町並みを練り歩く。その後、七台の花車は足助神社に集結し奉納囃子が始まる。奉納囃子の演奏は、一台ずつ順番に行われる。
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2007/10/1


足助神社 Asuke-jinja Asuke Shrine

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 愛知県東加茂郡足助町には二つの神社が並んでいる。大きいほうが足助八幡宮(あすけはちまんぐう)と呼ばれ、白鳳三(652)年に創建された由緒ある古い神社である。
 寄り添うように隣に立てられた足助神社(あすけじんじゃ)は明治三五(1902)年に創建された比較的新しい神社である。
 足助神社に祀られているのは、元弘の変の時に後醍醐天皇の味方となり、京都の笠置山に篭城した足助次郎重範という軍の総大将だった人物である。最後は捕らえられ、六条河原で斬首となったが、敵軍からは勇猛果敢、弓の名手として恐れられた。
 そのためか、足助町は弓道の盛んな土地柄でもある。
 足助神社の鳥居脇には、誤ってガンを射たことから出家した久右衛門という人物の辞世の句「先立ちし雁や浄土の道しるべ」が書かれた「雁塚」が建てられている。
 
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2007/9/25


黒木御所跡 Kuroki-gosho-ato The Ruins of Kuroki Palace

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 黒木御所跡(くろきごしょあと)は、島根県隠岐郡西ノ島町別府にある後醍醐天皇の行在所跡(あんざいしょあと)と言われている場所である。
 元弘二(1332)年、二度の元寇(げんこう)によって力の衰えた鎌倉幕府への倒幕挙兵である元弘の変に失敗し、隠岐に配流となった後醍醐天皇の行在所と伝えられる。
 島前・西ノ島町の別府港に臨む天皇山という小高い頂きにあり、県の史跡に指定されている。
 その後、天皇は在島一年たらずで隠岐を脱出し倒幕に成功、建武の中興と呼ばれる親政を行った。
 天皇山の入口には資料館の碧風館(へきふうかん)があり、天皇に関する資料、伝承にまつわる文書、絵画などが展示されている。
 山頂には、天皇を祭る黒木神社と行在所跡の碑が存在する。
 黒木御所跡は、後醍醐天皇の不遇時代を偲ばせる史跡である。
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2007/1/25


作楽神社 Sakura-jinjya Sakura Shrine

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 岡山県津山市と鏡野町との市境付近にある神社。後醍醐天皇と児島高徳を祀り、神社の境内全域が国指定の史跡になっている。
 かつてこの地は後鳥羽上皇の荘園であったことから「院庄」と呼ばれていた。元弘の乱(1331年)により隠岐に流される途中、後醍醐天皇がこの地に宿泊した御在所跡とされる。後醍醐天皇が宿泊している夜、厳しい警護の隙を突いて館に侵入した児島高徳が、庭の桜の幹に「十字の詩」をしたためて天皇を励ました、という逸話が「太平記」に記されている。
 この故事にちなんで、貞享五(1688)年に高徳顕彰碑、明治二(1869)年に作楽神社が建立された。
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