NIPPON Kichi - 日本吉

記事数109件: 1~8 件表示     >>     >|  

2008/5/15


薪能 Takigi-nou 

Jp

 薪能(たきぎのう)は、室町文化の華といわれる「能」の一種で、主として夏場の夜間において能楽堂や野外に臨時に設置された能舞台の周囲にかがり火を焚き、そこで特に選ばれた演目を演じるものである。
 その起源は平安時代中期にまで遡り、奈良の興福寺で催された薪を奉納する神事が最初とされ、室町時代に入って「薪能」と呼ばれるようになった。
 現在の薪能は、復活した興福寺薪能を元に、昭和二五(1950)年に平安神宮で開催された京都薪能がルーツとされ、以降、主に自治体主催の夏の風物詩として、全国各地に広まっていったとされている。
 薪能においては、舞台設定は特に重要視される。屋外で行われることが多いことや照明は篝火のみということもあり、火の強さや、焚かれて浮かび上がる背景も舞台の一つとして捉えられ、周囲建造物なども借景として利用される。
 暗い静寂の中、篝火の灯下で繰り広げられる自然と能楽の調和は、見るものを幽玄の世界へと誘い出してくれるだろう。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2008/1/30


薩摩の水からくり Satsuma-no-mizu-karakuri 

Jp

 毎年七月、鹿児島県下の各神社では境内に淡く美しい沢山の灯篭を灯す六月灯が行われる。場所によっては出店や花火、ミニコンサートもある夏の風物詩だ。
 加世田市竹田神社、知覧町豊玉姫神社、吹上町温泉祭りの三ヶ所ではこの六月灯に「水からくり」とよばれる人形劇が奉納される。
 浄瑠璃風の武者人形が舞台の上で矢を射、刀を交える。水からくりは人の手で人形を操作するのではなく、舞台の脇にある水車の動力を利用して、歯車や滑車などで全自動の舞台を設計、複雑な仕草や演技の描写を表現する。
 演目は牛若丸と弁慶、巌流島の決闘、那須与一や花咲かじいさん、かぐや姫、桃太郎など、親しみのあるもので、各上演時間は約20分ほど。パフォーマンス性たっぷりで、大人から子どもまで幅広く楽しめる。 
 水からくりは、全国で唯一の水車によるからくり人形であり、昭和五九年に国選択有形民俗文化財に指定された。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/12/25


小湊 昭尚 Kominato Akihisa Akihisa Kominato

Jp En

 小湊昭尚(こみなとあきひさ)は尺八奏者、民謡小湊流三代目。1978年、民謡小湊流家元の長男として福島県に生まれる。父は民謡歌手の小湊美鶴、姉は歌手の小湊美和。5歳より両親の手ほどきを受け、舞台活動を開始。十代から琴古(きんこ)流の古典尺八奏法を学び、1995年より人間国宝の山口五郎(故人)に師事。二十歳で民謡小湊流三代目襲名。東京芸術大学音楽学部邦楽科尺八専攻卒業後、純邦楽はもちろん、フュージョン、ボサノヴァなど洋楽とのセッションを開始。
 2004年、和楽器ユニットZAN(ザン)でメジャーデビュー。民謡や尺八演奏で身につけた技術でヴォーカル、尺八奏者として新たな道を切り開き、現在ZANと並行してAEKA(アエカ)、Priest(プリースト)、般若帝国など複数のユニットで幅広く活動中。海外公演も積極的に行っている。
[→より詳しい記事を見たい方はこちら]
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/12/14


康楽館 Kouraku-kan 

Jp

 康楽館(こうらくかん)は、明治四十三(1910)年、銅や亜鉛、鉛の鉱山として栄えた小坂鉱山の厚生施設として作られた、木造の芝居小屋である。秋田県鹿角郡小坂町に位置する。
 歌舞伎、新劇、映画等の公開、上演が行われてきたが施設の老朽化やテレビの普及などで衰退、昭和四十五(1970)年には使用を停止されたが、昭和六十(1985)年に市民の手により再興され、現存する日本最古の芝居小屋として、いまも公演が行われている。
 和洋折衷の造りであるが、舞台には花道、切穴、回り舞台などが揃っており、全て人力で稼動する。
 国重要文化財、秋田県指定有形文化財に指定され、明治の息吹を感じながら公演を見ることができる建物である。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/12/11


菅生の組立舞台 Sugao-no-kumitate-butai 

Jp

 組立舞台とは、固定式の建造物と違って、必要な期間だけ任意の場所に組み立てて使われる、芝居小屋である。
 菅生の組立舞台(すがおのくみぶたい)は、大正時代に作られたとされており、正勝神社(まさかつじんじゃ)祭礼の際に組み立てられる。檜や杉などの丸太や荒縄が、昔のままの形式で使われているという。一時的な組み立て舞台とは思えない、非常に堂々とした立派な舞台である。
 都の有形民俗文化財に指定されており、間口が約一三mと九mの二組が地域住民の努力によってに保存されている。使用する時も住民総出で、荒縄一つで丸太を組み立てる様は圧巻だという。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/11/22


舞妓 Maiko 

Jp

 舞妓(まいこ)とは、大体20歳ぐらいまでの芸妓(げいこ、げいぎ)見習いの若い女性である。
 芸妓とは、花街にて唄や踊り、三味線などの芸で宴席に興を添える事を仕事とする女性で、座敷や舞台に上がる時は白塗りの厚化粧をするが、舞妓は同時に日本髪を結い、華やかな花簪を挿す。
 舞妓とは、芸妓になる前の未成年の少女のことで、舞妓として約5年間修行した後、芸妓になる。
 舞妓・芸妓は京都の祇園をはじめとする花街の置屋(おきや)に所属しており、そこから各お茶屋へ送り出される。
 舞妓の始まりは、江戸時代中期の1700年頃、水茶屋で働いていた茶汲女(ちゃくみおんな)や茶点女(ちゃてんおんな)が始まりだと言われている。
 最初は参詣人に茶をふるまう程度だった水茶屋も、やがて茶が酒になり、茶汲女や茶点女が歌を聞かせ舞を見せ、永い年月を経て舞妓、芸妓になったとされる。
 舞妓は、非常に厳しい独特のしきたりや伝統を持つ職業である。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/10/31


枯木灘 Kareki-nada The Karekinada Sea

Jp En

 枯木灘は和歌山県西牟婁郡すさみ町に面した白浜町と串本町の間にあるリアス式海岸線を指す。
 その枯木灘にある周参見(すさみ)港は、熊野灘の中で潮や波が荒れても寄航できる唯一の港として、古くから知られている。
 この灘の名は、熊野灘を航行する船にとって、休むべき木陰(港)がほとんど無く枯木ばかりであるという意味からであるとも、または強風と強い潮で木々が枯れるほどの荒海から来た名前であるともされる。
 熊野古道、大辺路の一部となっている海岸線は、巨岩、奇石が連なる景勝であり、断崖と荒磯が続くために険しい山道であるが、高所からの眺望は大辺路随一の景観と言われる。
 作家、中上健次の著書、「枯木灘」の舞台としても知られる。
 昭和四十三年に熊野枯木灘海岸県立自然公園の指定を受け、自然保全に力が入れられている。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/10/15


四国村 Shikoku-mura Shikoku Minka Museum

Jp En

 香川県高松市北東部にある屋島(やしま)といえば、劣勢の平家が新たに本拠地を構えた地であり、名将・源義経との間に壮絶な源平合戦が繰り広げられた地である。
 四国村(しこくむら)は、この屋島山麓に四国各地の歴史ある建物、民家を移築・復元した野外博物館である。
 四国各地から集められた伝統的家屋や市指定、県指定の文化財である農村歌舞伎舞台、旧丸亀藩斥候番所、米蔵であった旧丸亀藩御用蔵などを、ゆっくりと散策することができる。
 また、南の山の斜面に建てられている美術館「四国ギャラリー」には多数の美術品が展示され、バルコニーからは「水景庭園」も楽しめるようになっている。
 特に、農村歌舞伎舞台は、現代ではなかなかお目にかかることが出来ない貴重な保存建物である。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



記事数109件: 1~8 件表示     >>     >|  
NIPPON Kichi - 日本吉 - 日本語に切り替える NIPPON Kichi - 日本吉 - to english

モノ・コト・ミル・ヒトで綴る
日本の美意識。

現在の記事 5444
カテゴリーズ
都道府県
キーワードシャッフル
お気に入り
キーワード検索
閲覧履歴



Linkclub NewsLetter