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2008/1/17


盆栽 つるうめもどき Bonsai Tsuruumemodoki 

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 「蔓梅疑(つるうめもどき)」とは、にしきぎ科つるうめもどき属で、冬に葉がなくなる落葉低木である。
 「つるうめもどき」という名前は、もちのき科の「梅疑(うめもどき)」に似ていることからその名がつけられた。
 初春に新芽が出て、みるみるうちに葉が茂っていく。5月から6月頃、黄緑色の小さな花がたくさん咲き、穂長が20センチメートルほどになる。葉は長さ10センチメートルくらいの楕円形である。
 秋に入り、葉が落ちたあと黄色の実がなり、熟すと裂けて黄色の仮種皮に包まれていた赤い種子が顔をだす。黄色の実と赤い実の対比が美しいことから、生け花の材料として使われることも多い。また、樹皮から繊維をとり、糸撚りなどの材料としても使われる。
 冬の乾燥に強く、育てやすい樹木として知られている。春の新緑から秋の紅葉、そして冬の落葉など、四季折々の変化を気軽に楽しむことができる。
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2007/10/31


野宮神社 Nonomiya-jinja 

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 野宮神社(ののみやじんじゃ)は、京都府京都市右京区嵯峨野宮町にある神社である。祭神は、天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)。
 野宮はその昔、天皇の代理で伊勢神宮に仕える、皇女・女王の中から選ばれる斎王が、伊勢へ行く前に身を清めたところとされる。
 縁結びや、進学の神様として知られており、若い女性や修学旅行生に人気がある。
 鳥居は樹皮がついたままの「黒木の鳥居」で、古代の鳥居の形式を伝えている。また、境内には苔を用いた美しい庭園として有名な「野宮じゅうたん苔」がある。
 神社周辺の竹は「野の宮竹」と呼ばれており、主に工芸品などに利用されている。
 源氏物語「賢木」の巻にも現れ、謡曲「野宮」の題材ともなっており、人力車の嵯峨野めぐりもこの神社の前からスタートしている。
 野宮神社は、今も篤く崇敬されている社である。
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2007/9/28


しな織り Shinaori 

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 新潟県との県境、山形県鶴岡市関川地区。ここに「しな織り」という日本三大古代織りの一つともいわれる、伝統工芸が受け継がれている。
 しな織りの原料となる糸はしなの樹皮の繊維である。樹齢一五年ほどのしなの木を伐採して樹皮を剥がし、乾燥させ、一〇時間ほどかけて煮る。柔らかくなった樹皮をさらに一枚の層になるように剥がし、余分な繊維を取り除く。糠の中に漬けて柔らかくした樹皮は、独特の柔らかい風合いが生まれるという。それを乾燥させ、細かく裂いたものを糸よりをして、ようやく長い糸が完成するという。
 こうして多くの工程と年月を経て完成させた糸を使って織り上げると、落ち着きのある風合いと柔らかい手触りが人気のしな織りが生まれる。
 しな織りは長く厳しい冬の間の、女性の生活の糧として古くから受け継がれてきた。素朴な温かさの中に、女性のたくましさと先人の知恵を感じることができる貴重な織物である。
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2007/6/29


チセ Chise Chise

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 チセとは、アイヌ語で「家」に相当する言葉で、アイヌの人々の集落であるコタンに見られた、人々が日常暮らす家の事である。
 住む地域や環境によって素材が変わり、笹・草・萱・葦・樹皮などを壁や屋根に使用し、葡萄の蔓や樹皮などで固定していた。
 外観は寄せ棟造りで、支柱などは栗・桂・イヌエンジュなどを使用し、土台を置かずに地面に直接埋められる。
 チセには、入口から一番奥の、儀式等に使われる神窓、右側の奥の採光用窓、一番手前の炊事等に使用する窓、の3つの窓がある。
 建てられる際に向きが決められていて、チセの中心から神窓が東に向いていたり、西に向いていたりした。そのため、コタン単位でチセの建っている向きは同じ方向となっている。
 チセは居住性が高く暖かい、小さなもので10坪、大きなものは30坪ほどのアイヌの家である。
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2007/6/13


八幡崎遺跡 Yawatazaki-iseki 

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 八幡崎遺跡(やわたざきいせき)は、青森県平川市八幡崎にある縄文晩期の泥炭層遺跡である。青森県指定文化財となっている。
 昭和二三(1948)年、中学校建設工事の際に発見され、昭和四六(1971)年から3年間、発掘調査が行われた。
 縄文時代晩期の、6型式に細分された分類方法の中でも最も古い「大洞B式」から中期の「大同C1式」土器、石器、石製品、土製品をはじめ、藍胎漆器、木製碗、丹漆塗腕輪、同櫛並びにカヅノ木の根が発掘され、また炭化米・堅果種子・樹皮・哺乳類骨も発見されている。
 繊維で編んだアンペラと呼ばれる敷物も出土し、その上で干したと見られる状態で果実酒の原料となるカジノキの実もでてきた。
 見つかった土器の中には関東地方で多く見つかっている土器も含まれており、交流があったものと思われる。
 八幡崎遺跡は、遙か昔の縄文文化を伺える、貴重な遺跡である。
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2007/5/25


アイヌ 樹皮衣 Ainu Juhi-i Ainu Bark-Fiber Cloth

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 アイヌの樹皮衣(じゅひい)は、北海道アイヌの伝統的な布の事であり、この布を使って仕立てた衣装の事でもある。
 アイヌの代表的な、最も身近な衣服であり、アイヌ語からアットゥシ、厚司織などとも呼ばれる。
 オヒョウなどの木の内皮にある繊維を元に作った素材を、機にかけて織った織物であり、衣服として作られる事が多い。
 無地よりも、木綿太糸を織り込んだものの方が、貴重な木綿糸を加えた分だけ上等とされた。
 アイヌの中でも、北海道アイヌが主に用いたものである。
 アイヌの生活の場で着られたほか、18世紀後半には本州へ大量に運ばれ、耐久性に優れ織目も細かい布として、日本各地で反物や衣装として利用された。
 現在でも樹皮衣は、北海道各地で工芸品として制作されている。
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2007/4/25


小柳金太郎 Koyanagi kintarou 

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 秋田県、角館に伝わる伝統工芸品、樺細工の伝統工芸士。
 1976(昭和五十一)年、伝統工芸士に認定。黄綬褒章、労働大臣表彰、など多数を受賞。
 樺細工は江戸時代中期、佐竹藩の藩士が阿仁地方の修験者から伝えられた技法であり、下級武士の内職として工芸品を作ったのが始まりとされる。
 樹皮を加工するという世界でもまれな技術工芸であり、元々は印籠、煙草入、文庫などが作られていた。現在は茶筒や小箱などが多く加工されている。
 丈夫で長持ちするものを作る、というのが氏の信条であり。常に実用品としての美を追い求めながら、伝統を今に伝える職人である。
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2007/4/17


黒文字 Kuromoji Kuromoji

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 黒文字は、古くから茶道の時お菓子をいただく楊枝として使われる、茶の湯の重要な小道具。樹皮の部分を残した楊枝で、クスノキ科の黒文字の樹から採取した枝を削って作る。
 主菓子が出されたときに、菓子器に添えられているので、この黒文字を使っていただく。銘々皿のときは菓子楊枝として用いる。菓子を取り分けるときは、菓子箸として用いるのが決まりだ。黒文字は、清清しい香気はもちろんのこと、茶花として可愛い花を愛でることもできる風情ある小道具だ。
 黒文字は、茶の湯の「侘び」を演出するのに欠かせない、大切な「脇役」である。
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