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貞山運河(ていざんうんが)は、仙台湾沿いにある運河のことをいう。総延長約四六、四キロメートルの全国一長い運河で、旧北上川河口から阿武隈川河口までを結んでいる。
仙台藩主伊達政宗は慶長二(1597)年、松島湾と阿武隈川を結ぶ運河の建設を命じた。政宗亡き後も複数の運河が計画され、その後明治一七(1884)年まで建設が続いた。貞山掘とも呼ばれ、伊達政宗公の謚(おくりな)である「瑞巌寺殿貞山禅利大居士」(ずいがんじでんていざんぜんりだいこじ)からその名がついた。
この時代の物資輸送は舟運が中心だった。当時の内務卿大久保利通は、東北六県の長官に意見を求め、宮城・岩手間の米輸送に欠かせなかった北上川に着目し、北上川と阿武隈川を結んで東北の輸送手段を造ろうと考えた。
現在の運河は、農業用水路や漁港の一部として利用されるほか、釣りの名所としても知られる。また、七北田川から名取川にかけての運河沿いには、美しい松林が続く海岸公園があり、サイクリングロードなどが整備されている。
仙台藩主伊達政宗は慶長二(1597)年、松島湾と阿武隈川を結ぶ運河の建設を命じた。政宗亡き後も複数の運河が計画され、その後明治一七(1884)年まで建設が続いた。貞山掘とも呼ばれ、伊達政宗公の謚(おくりな)である「瑞巌寺殿貞山禅利大居士」(ずいがんじでんていざんぜんりだいこじ)からその名がついた。
この時代の物資輸送は舟運が中心だった。当時の内務卿大久保利通は、東北六県の長官に意見を求め、宮城・岩手間の米輸送に欠かせなかった北上川に着目し、北上川と阿武隈川を結んで東北の輸送手段を造ろうと考えた。
現在の運河は、農業用水路や漁港の一部として利用されるほか、釣りの名所としても知られる。また、七北田川から名取川にかけての運河沿いには、美しい松林が続く海岸公園があり、サイクリングロードなどが整備されている。
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