NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/7/14


黒石よされ Kuroishi-yosare Kuroishi Yosare Festival

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 青森県黒石市でおこなわれる最大の祭りが、八月一五、一六日におこなわれる「黒石よされ(くろいしよされ)」である。徳島県徳島市の阿波踊り、岐阜県八幡町の郡上踊りとともに、日本三大流し踊りに数えられている。
 市内の商店街を中心に「トコマンポ」と呼ばれる、編み笠に雀(すずめ)の柄の浴衣を着た約三千人の踊り子が、一斉に踊りを繰り広げる祭りである。稲穂が揺れて雀を追い払うという踊りの振りから、浴衣の絵柄が考案された。
 「エッチャホー、エッチャホー」と独特の掛け声と囃子とともに、廻り踊り、組踊り、流し踊りの三つの踊りが披露される。時折円を描く廻り踊りは、見物客を巻き込んでの乱舞となる。
 黒石よされは、山岳宗教が盛んだった六〇〇年もの昔、盆踊りの時の男女の恋の掛け合い唄であったといわれている。
 その後、江戸時代の天明年間(1781~1788)、家老であった境形右衛門(さかいぎょうえもん)が城下町に人を集めるために力注いだとされ、現在に受け継がれている。
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2007/7/24


ねんねこ祭 Nen-neko-matsuri Nen-neko Festival

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 ねんねこ祭(ねんねこまつり)は、和歌山県東牟婁郡串本町にある木葉神社(このはじんじゃ)にて、毎年12月第1日曜日に行われている祭りである。和歌山県の無形民俗文化財に指定されている。
 朝6時ごろから神事が始まり、昇子旭の礼拝、神功皇后の皇子愛育の故事に由来し、乳幼児の守り神として近隣から参詣者を集めている子守の神事、そして行事稲穂播きで終わる。
 非常にゆったりとした祭り運びで、暗い森の中にある石積み上に注連縄をめぐらせた神の座で、太陽を拝む事から始める所は、どこか古代の祭りを感じさせる。
 祭りの後、境内で奉納される獅子舞はこの地方独特のもので、子供の天狗のアクロバティックな動きに喝采とお捻りが飛び、見る人を魅了する。
 ねんねこ祭は、荘厳で静謐な神事である。
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2007/7/19


花馬祭 Hana-uma-matsuri Hanauma Festival

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 花馬祭(はなうままつり)は、約400年前から長野県・木曽町の五宮(いつのみや)神社に伝わる五穀豊穣を祈る神事である。毎年10月3日に開催される。
 細長く切った竹に五色の色紙を付けた「花」を3頭の木曽馬が付け、氏子たちが小中学生の笛や太鼓の音とともに田立駅前から五宮神社までゆっくり練り歩く。
 神社では、行列が境内を3周した後、見物客が馬に殺到して花を奪い合う。
 この「花」は、稲穂に見立てたもので、厄除けや虫除けのご利益があるとして田の畦(あぜ)や家の入り口に挿すのだという。
 花馬祭は1993年に町の無形文化財に指定、また1998年の長野冬季オリンピックでは、この花馬祭が祭典のフィナーレを飾り、演じられた。
  
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2007/7/3


大館 アメッコ市 Oodate Amekko-ichi 

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 寒さがもっとも厳しくなる二月の半ばに、秋田の大館で行なわれる「アメッコ市」は、天正一六(1588)年を起源とした小正月の行事である。この地では、「この日にアメを食べると風邪をひかない」と伝えられている。
 元々は、瑞々しい赤い枝ぶりのミズキの枝に米で作った飴を付け、稲穂の代わりに神前に供える農家の風習であったが、大館に佐竹藩(秋田藩)の支城があった江戸時代には、早くから「アメッコ市」が立つようになった。そして、昭和四七(1972)年から現在の大町中央通りで行われるようになった。
 この四百年以上続いている飴の市には、近くの山から白髭大神(しらひげおおみかみ)と仙人が飴を買いにやってくる。
 アメ屋が軒を連ねる大町中央通りには、色とりどりのアメを付けた枝が飾られ、アメ細工やカラフルな切りアメを売る露店が並び、大勢の人でにぎわう。そんな中を、言い伝えを再現した白髭大神巡行や郷土芸能である獅子舞が行われる。
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2007/4/26


縁起物 熊手 Engimono Kumade 

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 熊手は、鷲が獲物をわしづかみすることになぞらえ、その爪を模し作られたとされる。「福徳をかき集める、鷲づかむ」という意味が込められている、縁起物の代表である。
 「酉の市」の日には、おかめや招福の縁起物を飾った「縁起熊手」を売る露店が立ち並び、市を開催する寺社からは小さな竹熊手に稲穂や札をつけた「熊手守り」が授与される。福を「掃き込む、かきこむ」との洒落にことよせ、「かっこめ」とも呼ばれている。
 熊手は熊手商と「買った(勝った)」、「まけた(負けた)」と気っ風の良いやり取りを楽しんで買うものとされ、商談が成立すると威勢よく手締めが打たれる。また年々大きくしてゆくものとされており、大小様々なものが売られている。
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2007/1/28


靴を脱ぐ Kutsu-wo-nugu Taking Shoes off

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 日本ではいつ頃から、家屋で靴を脱ぐことが習慣化されたのであろうか。諸説あるが、奈良・平安時代、畳の導入が家屋で靴を脱ぐ習慣を決定づけたといわれている。
 畳の心材は、稲穂である。故に畳は、神に通じる神聖なものだったのである。当時、貴族の間では、朝鮮半島を通じてやってきた沓(くつ)が流行していたが、神に通じる畳の上を、沓で踏みつけることが憚れたのは、容易に想像できる。
 欧米人は、寝るまで靴を履いて生活する。日本を訪れ、玄関で靴を脱ぐことに対しては、かなりの抵抗がある。欧米人にとっては、普段、人前で靴を脱ぐことは礼儀に反することであり、国によって靴を脱ぐことは、様々な意味をもつ場合もある。
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2007/1/24


千枚田 Senmaida Terraced Rice Paddies

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 斜面の地に作られた、棚状の田。棚田とも呼ばれる。山間地や、山が海岸に迫った地形に多い。
 千枚田は、その地形のため、機械化が難しく、田を作ることから労力を必要とし、またその耕作にも努力して条件を整える必要がある。
 水の確保も難しくまた高地に位置することが多いため、水温も上がらない。干ばつに見舞われることも多く、また冷害に作物の成長が望めないことも多い。生産性が低いのが千枚田である。
 しかし、山の斜面に撓わに実る稲穂を思い描き、日本人は黙々と千枚田を作り上げてきた。等高線に沿って並ぶ田は、実に美しい文様を描く。
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