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2008/8/11


韓紅色(カラクレナイイロ) Karakurenaiiro 

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 韓紅色(カラクレナイイロ)とは、日本における伝統的な色名の一つで、紅花の紅色素だけで染めた濃い紅赤を表し、唐紅色とも表記する。
 平安時代以前から色名は存在していたが、平安時代中期に編纂された、格式を定める「延喜式」により定義され、定着した。
 紅花には、黄色い色素と赤色の色素が入っているが、そこから黄色を分離して、純粋な紅色素のみを抽出し、染め上げたものが韓紅と呼ばれた。
 染め上げるには大量の紅花が必要で、一疋(いっぴき)の絹、つまり着物二反分を染めるにあたっては、紅花十斤(約6kg)も使用されたため、当時の庶民たちは着る事を許されない、いわゆる「禁色」(きんじき)であった。
 色名にある韓または唐は、その国から伝わったという意味も含めた、「舶来」のものとしての意味である。
 韓紅とは、隣の大陸がまだまだ未知の遠い大地だった頃に伝わり、故に当時の人々が憧れた、舶来の赤である。
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2008/8/8


紅色(ベニ・クレナイ) Beniiro(Beni/Kurenai) 

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 紅色(ベニ・クレナイ)は、日本に古くから伝わる伝統色のひとつである。
 ベニバナは、西アジア原産のキク科の一年草で、四千年以上前のエジプトのミイラもベニバナ染めの布に包まれていた。
 中国を経て日本に伝わり、山形県最上地方が古くからの産地として知られる。
 古代日本では染料のことを藍と呼んでおり、古代中国の呉(くれ)から伝わった藍、という意味の呉藍(くれのあい)が転訛して「くれない」になったものとされる。
 べにの名称は江戸時代からで、近年では「紅(ベニ)」とよぶことが多い。
 紅色は、ベニバナで染めた紫がかった濃赤色の事である。黄色をした紅花を冷水の中で何時間も揉み続ける事により黄の色素を抜き、そこへ稲藁の灰汁を混ぜると真紅の赤が現れる。その汁をつかって着物地などを染色する。
 紅色は、かつては非常に高価な染料で、秘めた熱い想いを表す言葉ともされた伝統色である。
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緋色(ヒイロ) Hiiro 

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 緋色(ひいろ)は、日本に古くから伝わる伝統色のひとつである。
 茜の根によって染められた鮮やかな赤の事で、紅花と黄色染料の2種類を使って出来る「紅緋」と区別する為、茜染による標準的な濃さの緋色や紅で染めた黄色をおびた赤い色を「本緋」という。
 元は緋(あけ)、真緋(あけ)といい、明るさを意味する「あか」と同じ意味をもち、また、別名で「あけいろ」とよぶ事もある。
 この色名はかなり古くからあり、飛鳥時代に制定された「冠位十二階」の色の中では、紫に次ぐ第3位の色とされていた。
 火に通じて「火色」とも書き、「思ひ」の「ひ」にかけて「思いの色」とも呼ばれ、熱い情熱をたとえたものともされる。
 英語ではスカーレットを指すとされ、コナン・ドイルの「緋色の研究」など、スカーレットと緋色はしばしば同一視されている。
 緋色は、情熱を表すとも言われる伝統色である。
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2008/8/4


蘇芳色(スオウイロ) Suouiro 

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 蘇芳色(スオウイロ)は、日本に古くから伝わる伝統色のひとつである。
 蘇芳とはインドのマレー原産、マメ科の植物で、木の部分を煎じて染料として用い灰汁媒染で染め出した色である。
 日本には奈良時代に伝わり、広く普及した染料で、紅花や紫に代わって赤系や紫系の染色にも用いられた。
 かつては紫に次いで高貴な色とされていた色で、濃く渋い紫がかった赤色をしている。
 また、今昔物語では凝固しかけた血液の表現にも使われている。
 蘇芳花あるいは蘇芳泡と呼ばれる日本画の絵の具としても使われており、樹心周囲の色の濃い部分である心材を煎じ詰めたものを、陶器などに塗って乾燥させたものを顔料として用いる。
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2007/11/22


艶紅(ヒカリベニ) Hikaribeni 

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 艶紅(ひかりべに)とは、紅花から作った染料である。
 紅花の色素を沈殿させたもので、黒味があるように見えるほど濃い赤色で、それを白磁の皿などに塗ると、光線の具合で金色に輝く。
 古くは口紅としても使われ、特に上質のものは京都で精製されたため「京紅」とも呼ばれた。
 上質のものは非常に高価で、江戸時代に入ると、遠路、京都から出荷された質の良い京紅が江戸の女性たちの憧れとなり、美しい紅をたっぷりと使う化粧が人気の的となった。
 大金を稼ぐ事が出来る遊女は、唇だけでなく「爪紅」といって手足の爪にほんのりと紅を差したり、耳たぶにも薄く紅を差して色っぽさを演出したという。
 艶紅は、江戸時代以降、染料として広く用いられてきた、伝統の化粧品である。
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2007/11/9


長福寿寺 Chouhukujyu-ji 

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 長福寿寺(ちょうふくじゅじ)は、千葉県長生郡長南町長南にある天台宗の寺である。本尊は阿弥陀如来。
 延暦一七(798)年、桓武天皇の勅願により、伝教大師・最澄によって創建された。
 正式名を、三途河頭極楽東門蓮華台上阿弥陀坊太平埜山本実成院長福寿寺と言い、日本一長い勅号とされている。
 関東における学問所として、房総内外の寺院子弟の教育にあたり、中世においては西の比叡山、東の三途台と称せられ、房総三国における大本山として末寺308ヶ寺を有した大寺である。
 現在は研修道場としても開放され、各種講演会が開催されている。境内には紅花が咲いており、所蔵の木造慈恵大師坐像は、県指定の有形文化財になっている。
 長福寿寺は、長い歴史を誇る関東随一の大古刹である。
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2007/11/8


置賜紬 Oitamatsumugi 

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 置賜紬(おいたまつむぎ)は、山形県米沢市、長井市、西置賜郡白鷹町に伝わる伝統民芸品である。国の伝統工芸品に指定されている。
 置賜紬の始まりは、8世紀初めに養蚕の発達とともに興った。江戸時代初めに領主・上杉景勝が奨励して体制が整い、江戸時代中期、米沢藩中興の祖・上杉鷹山が殖産興業の一環として奨励した事によって本格的に発達した。
 置賜紬は米沢市の米沢草木染、長井市の長井紬、白鷹町の白鷹紬などの地区で生産されている織物全ての総称で、いずれも糸を先に染めてから織る先染めの平織(ひらおり)が特徴とされる。
 現在では紅花を代表とする草木染め、自然の材料を用いたぜんまい織やしな布など多様な織物が生産されており、手作りの味と少量生産を旨とし、普段は店頭では販売されていない。
 置賜紬は、長い歴史を誇る伝統の染め織物である。
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東京無地染 Toukyou-mujizome 

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 東京無地染(とうきょうむじぞめ)は、古くから武蔵野国で生産されてきた染織物である。
 無地染とは、白い布地を一色の無地に染め上げる事で、古くは縄文時代から行われていた、染織物の中でも基本的なものだ。
 奈良時代になると、仏教の伝来と共に藍や紅花が渡来し、大きく発展を遂げ、鎌倉時代に入ると草木染や鉄媒染(てつばいせん)など技術も進展を遂げ、今につながっている。
 その中でも東京無地染は、武蔵野に自生した紫草の根から取れる染料を使用して染め上げたもののことを称し、江戸染めまたは江戸紫ともいわれていた。
 当時、上方きっての名歌舞伎役者であった市川団十郎演じる助六愛用の鉢巻ということもあり、庶民に大いにもてはやされることとなる。
 現在では東京都の伝統工芸品にも指定されており、古来よりの伝統を重んじながら、客の要望に沿って様々な色を生み出し、今も人々に愛される逸品を染め上げ続けている。
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