高取城(芙蓉城) Takatori-jou(Fuyou-jou)
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奈良県の高取城(たかとりじょう)は、元弘二(1332)年と歴史が古く越智邦澄が高取山に築城させたものが始まりとされる。
「巽高取雪かと見れば雪でござらぬ土佐の城」と謳われている様に、城壁の白亜の見事さから別名「芙蓉城(ふようじょう)」ともいわれた。
豊臣秀次が大和国の郡山城に入ったのち、高取城は秀長の重臣本多利久に与えられた。利久によって近世城郭としての高取城が築かれていき、難攻不落といわれる山城の典型となっていった。「備中松山城」「岩村城」と共に日本三大山城の一つに数えられる。元和元(1615)年の一国一城令の際も、重要な山城として破却を免れ、現在に至るまで石垣や石塁が残されている。
江戸時代に入ると、寛永一四(1657)年に三代続いた本多氏が断絶し、寛永一七(1640)年に植村氏が入封、そして明治維新を迎えた。
「巽高取雪かと見れば雪でござらぬ土佐の城」と謳われている様に、城壁の白亜の見事さから別名「芙蓉城(ふようじょう)」ともいわれた。
豊臣秀次が大和国の郡山城に入ったのち、高取城は秀長の重臣本多利久に与えられた。利久によって近世城郭としての高取城が築かれていき、難攻不落といわれる山城の典型となっていった。「備中松山城」「岩村城」と共に日本三大山城の一つに数えられる。元和元(1615)年の一国一城令の際も、重要な山城として破却を免れ、現在に至るまで石垣や石塁が残されている。
江戸時代に入ると、寛永一四(1657)年に三代続いた本多氏が断絶し、寛永一七(1640)年に植村氏が入封、そして明治維新を迎えた。
- 住所
- 635-0101 奈良県高市郡高取町高取
- 名前
- 高取城(芙蓉城)