NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/9/18


津貫豊祭太鼓踊り Tsunuki-hoze-taiko-odori 

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 津貫豊祭太鼓踊り(つぬきほぜたいこおどり)は、鹿児島県南さつま市加世田津貫の天御中主神社(あまのみなかぬしじんじゃ)にて、毎年一〇月二七日に奉納されている踊りである。県の無形民俗文化財に指定されている。
 天御中主神社は、延宝八(1680)年に清木場から現在地に移された神社で、祭神は天御中主神。
 踊りは、天御中主神社の秋の例祭として奉納されているほか、豊年・五穀豊饒を祈願し、各地で秋祭りとして踊られている。
 起源は、神話や源頼朝の鎌倉幕府開設の祝いにあるとも言われており、念仏踊りや雨乞い、虫追いの踊りが農民の間に行われ、発展したものと考えられている。
 小太鼓2人、鐘2人、大太鼓16人で演じられ、小太鼓と鐘は女装した男の子で、大太鼓は大きな音を立てないように打つのが特徴的とされる。
 津貫豊祭太鼓踊りは、加世田に伝わる神秘的な郷土芸能である。
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2007/9/11


青麻神社 Aoso-jinja Aoso Shrine

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 青麻神社(あおそじんじゃ)は、全国の青麻神社の総本社で、太陽・月・星を一緒に祀っており、名水の名所としても知られる。
 仁寿二(852)年に、現社家の遠祖・穂積保昌が京都からこの地に来て、天照大御神(あまてらすおおみかみ)、天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)、月読神(つくよみのかみ)の日月星の三光神を清水湧く岩窟の中に奉祀したのが始まりとされている。あわせて里人に麻の栽培を教えたといわれ、これが神社や地名の由来となっている。
 この神社は昔から中風病退除のご利益で知られ、また創健者である穂積一族が水運に携わっていたことから海上安全の神として崇められており「三度詣でれば生涯中風の難よりのがれる」と伝えられている。
 現在境内には名水「おすず」が湧き出ており、清らかな水を求めて多くの参詣者が訪れる。
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2007/9/6


神明社 拝殿 Shinmei-sha Haiden Shinmeisha Shrine

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 神明社(しんめいしゃ)は、宮城県遠田郡涌谷町涌谷日向にある神社である。祭神は、天照皇大神、天御中主神。
 社の勧請年月は不明だが、もとは亘理郡小堤村に鎮座して、倉稲魂神を奉祀していた。
 天正一九(1591)年、邑主亘理元宗が涌谷に移封の際、奈良時代の旧跡にして塩釜神社の霊地と伝えられる今の地に奉遷した。
 拝殿(はいでん)は、元禄一一(1698)年の建築であり、桁行3間・梁間2間の素木造で、屋根は入母屋造銅板葺となっている。
 正面に1間分の向拝を付け、3方に高欄付きの縁を巡らす。彫刻類は胡粉彩色を施しており、妻飾りには虹梁、大瓶束を用い、三つ花懸魚・蕪懸魚を下げている。
 神明社の拝殿は、遺構の少ない元禄期の建物として、貴重な史料と言える建築物である。
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2007/4/17


水天宮 Suitenguu Suitengu Shrine

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 水天宮は、東京都中央区日本橋蛎殻町にある神社である。祭神は、天御中主神、安徳天皇、高倉平中宮、二位の尼とされる。
 久留米の水天宮は久留米藩歴代藩主により崇敬されていた。
 文政元(1818)年、久留米藩主有馬頼徳が江戸・三田の藩江戸屋敷に分霊を勧請した。これが江戸の水天宮の始まりである。
 藩の屋敷内にあったため一般の参拝が難しかったが、人気に応え、毎月5の日に一般人にも開放され、「情け有馬の水天宮」という言葉も生まれた。
 明治四(1871)年、有馬家の屋敷の移転とともに赤坂に遷座し、翌年、有馬家中屋敷のあった現在の日本橋蛎殻町に移転した。
 江戸時代より安産・子授けの神として、厚い信仰を集めている。
 水天宮は、江戸の昔から庶民に親しまれている神社である。
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2007/3/27


岩手 日高神社 Iwate Hidaka-jinjya 

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 約千二百年の歴史を持つ古刹。岩手県水沢市に所在する。
 創建は平安時代。弘仁元(810)年に嵯峨天皇が建立したとされ、天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)他七柱を祀る。
 天喜年間(1053〜1058年)前九年の役で、源頼義が安倍貞任討伐を日高神社に祈願し、日が高く登った未の刻(午後2時ごろ)に遂に目的を果たしたことから、「日高未の妙見宮」として篤く尊崇したという。また、この謂れからこの日高神社を「日高妙見宮」と呼ぶこともある。
 現社殿は、寛永九(1632)年に初代水沢城主の伊達宗利が改築したもの。三間社流造り(さんげんしゃながれづくり)と独特の虹梁(こりょう)、蛙股などが室町時代の手法を表している。平成二年には国の重要文化財に指定された。
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2007/2/15


墨坂神社 Sumisaka-jinjya Sumisaka Shrine

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 墨坂神社は奈良県宇陀市榛原区、宇陀川沿いに位置する神社である。
 元は墨坂の天の森、西峠に位置していたが、文安六(1499)年に現在の地に遷座された。
 明治時代までは天野寺が神仏混合で祀られており、六社権現、天野宮とも称された。
 祭神は墨坂大神であり、この神は天御中主神、高皇産霊神、神皇産霊神、伊邪那岐神、伊邪那美神、大物主神の六柱を総称したものである。
 伝承によれば崇神天皇の御世、疫病が蔓延した時、夢枕に現れた神を祀るとたちまちに平癒したとされ、これが墨坂大神と言われる。
 毎年11月には「墨坂渡御行列」が行なわれ、本社から旧社の天の森のお旅所まで神輿に赤楯、赤太刀を担いで練り歩く。
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