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五太堂(五大堂、ごだいどう)は、宮城県の松島の小島にある。本尊は、五大明王(大聖不動明王・東方降三世・西方大威徳・南方軍荼利・北方金剛夜叉)で、大同二(807)年、坂上田村麻呂が東征のおり、毘沙門堂を建立したのが開創である。
後に、慈覚大師が延福寺(瑞巌寺の前身)を開いた際、五大明王像を安置したことから、五大堂と呼ばれるようになった。
五大堂の正面に掲げられる額に「五太堂」とあるが、筆の遊びで「大」が「太」になったといわれ、故に、五太堂とも称される。
現在の建物は、慶長九(1604)年に伊達政宗が再建したもので、桃山式建築手法の粋をつくして完工されたものである。国の重要文化財に指定されている
五太堂は、東北三十六不動28番にも数えられる古刹である。
後に、慈覚大師が延福寺(瑞巌寺の前身)を開いた際、五大明王像を安置したことから、五大堂と呼ばれるようになった。
五大堂の正面に掲げられる額に「五太堂」とあるが、筆の遊びで「大」が「太」になったといわれ、故に、五太堂とも称される。
現在の建物は、慶長九(1604)年に伊達政宗が再建したもので、桃山式建築手法の粋をつくして完工されたものである。国の重要文化財に指定されている
五太堂は、東北三十六不動28番にも数えられる古刹である。
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