NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/1/30


鶴岡八幡宮 Tsurugaoka-hachimanguu Tsuruoka Hachimangu Shrine

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 鶴岡八幡宮は、神奈川県鎌倉市にある神社である。主祭神は、応神天皇、比売神神、功皇后。
 鶴岡八幡宮は、康平六(1063)年、京の岩清水八幡宮を鎌倉由比ガ浜郷に勧請し、社殿を創建した。治承四(1180)年、源頼朝が鎌倉入りすると、八幡宮を、この地、小林郷に移した。
 源頼朝がこの高台に社殿を作った時は、全国60余州を平定した時である。翌年には征夷大将軍になり、まさに絶頂期であった。
 以来、鶴岡八幡宮は常に鎌倉の象徴であり、幕府の儀式や行事は全てここを中心に行われた。また、武門の象徴として豊臣、徳川家から手厚い信仰を受けている。
 鶴岡八幡宮への信仰を背景に、鎌倉を中心に興った質実剛健の気風は、その後武士道に代表される日本人の精神性の基調となったとされる。
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2007/1/25


法華堂跡 Hokkedou-ato The Ruin of Hokkedo

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 法華堂跡は、神奈川県鎌倉市西御門にある源頼朝の墓塔である。
 法華堂は元々頼朝の守り本尊を祭っていた場所であった。正治元(1199)年、頼朝が亡くなるとこの場所に葬られ、やがて法華堂と呼ばれるようになった。
 以来、法華堂は頼朝の墓所として厚い信仰を集めた。
1217年、和田義盛が反乱を起こした時、将軍実朝が避難したのは法華堂であった。
 宝治元(1247)年、三浦の乱では、開幕以来の功臣・三浦一族500人の自害の場となった。堂はその後山の下に移され、現在はそこに白旗社が建っている。
 後世その跡地に建てられた供養塔が、現在は源頼朝の墓塔とされている。今の墓塔は近年新しく建て直されたものである。
 法華堂跡は、日本の武家政治の基礎を築いた頼朝が偲ばれる場所である。
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