NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/3/17


【誠】 Sei Sincerity

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 この字は甲骨文や金文にはみられず、篆文から現れます。右と左の部分に分けられるのは確かですが、ただそのためにA+Bという数学的な感覚の解釈に乗り出すのは勇み足です。意味について白川静先生は「誓約を成就する意である」とまとめています。
 「言(ことば)」が「成る(成就・実現する)」という表面的解釈よりもっと、古代中国の社会の在り方に目を向ける必要があります。白川文字学によると「信」の説にあったように「言」の下の部分の「口」は、祝詞を入れる器の意味です。常用字体からはわかりにくいのですが、その上の四本の横線は、刺青を入れるための道具で、取っ手の付いている針の形です。この「言」の部分だけでも神への誓いのことばという意味があります。
 また「成」は戈・矛(ほこ)を作り上げた後、飾りをつけて完成の儀式を行う形です。つまり、この字の左右の部分は宗教的な由来にもとづくものと考えられます。
 
■ 誠・篆文(てんぶん)
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2007/10/9


川原毛地獄 Kawarage-jigoku Kawarage Jigoku

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 秋田県の川原毛地獄(かわらげじごく)は、青森県の恐山、富山県の立山と並ぶ日本三大霊地の一つに数えられている。
 大同二(807)年に同窓和尚が開山したと伝えられる江戸時代より栄えた硫黄鉱山の跡で、灰白色の溶岩に覆われた山肌のいたるところから水蒸気が噴出し、鼻をつく強い硫黄臭があたりに漂う。草木の生えない荒涼とした光景は、まさに鬼気迫る地獄絵図を思わせる。標高は約800m。エリア内には「血の池地獄」「剣地獄」「馬喰地獄」「針山地獄」「盗人地獄」など、大小136もの地獄があるという。
 ここから湧き出た高温のお湯は、下流にある高さ約20mの川原毛大湯滝(かわらげおおゆたき)に流れ落ちる頃には温度が下がり、滝壺は天然の露天風呂として人々に親しまれている。
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2007/5/22


うさぎの吊るし飾り Usagi no tsurushi-kazari Rabbit Hanging Ornament

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 つるし飾りは別名「つるし雛」とも言われ、江戸時代以来の伝承文化であり、伊豆稲取温泉に伝わる風習である。娘の幸せを一針の糸、古い端切れに託し、祈りを籠めたひな祭り。その雛壇の両脇に揺れる和裁細工が、雛のつるし飾りである。
 この風習は、九州柳川地区では「さげもん」、山形酒田地区では「笠福」、伊豆稲取では、雛のつるし飾り、通称は『つるし雛』と呼ばれており、この3地域のみが、歴史的な伝承の由来や雛細工の文献、写真等、口伝や資料を今に伝えているのだという。
 つるし飾りは、願い事をお飾りの形に託すのが大きな特徴で、110個の飾りにはそれぞれいわれがある。うさぎの赤い目には呪力があり、病気を治すと信じられており、神様のお使いとも言われている。
 季節ごとに、それぞれに合ったお飾りを増やしてゆくのも楽しい。お気に入りの小物は、暮らしを彩り、心を豊かにしてくれることだろう。
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2007/4/26


針供養 Hari-kuyou 

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 針供養(はりくよう)は折れた針を神社に納めて供養する行事であり、関東では2月8日、関西では12月8日に行なわれることが多い。
 豆腐、こんにゃく、餅などの柔らかいものに古針を刺し、普段硬いものを刺している針を休ませる。
 紙に包み奉納したり、海に流すなど地方により異なる風習を持つ場合もある。
 針の供養と自身の裁縫の上達を願ったのが始まりとされ、当日は針仕事を謹み、柔らかい煮物を食べて手を休める、という女性の休日でもあった。
 和歌山の淡島神社、浅草の淡島社で行なわれるものが有名であり、当日は裁縫や女性の神である婆利才女(はりさいじょ)が祭られ、全国から集まった針を労わり、供養が行なわれる。
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2007/2/2


加賀繍 Kaga-nui Kaga-nui Embroidery

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 石川県の加賀地方に伝わる刺繍縫い。
 室町時代、仏教の布教と一緒に加賀地方に加賀繍の元となる技法が、京都から伝わってきた。それは主に僧侶の袈裟や仏前の打敷(うちしき)の装飾の技法であった。
 この技術が伝承・発展し、藩政時代に入ると、藩主の装飾品や陣羽織をに施され、さらに女性の着物にも用いられるようになった。
 加賀藩主は歴代、文化学問を重んじ、加賀繍を手厚く保護した。加賀の金箔、加賀の友禅と並び加賀の繍は、独自の完成を遂げる。
 金糸・銀糸・絹糸を巧みに使い、その図柄を立体的に布から浮かび上がらせる。繊細な技術から生まれるおくゆかしくも華麗なその刺繍は、現在でも装飾品や、帯、着物に施される。
 ひと針ひと針、丹精込めて作られるのは今も昔も変わりがなく、当然ながら全て一品ものである。
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2006/12/20


とげぬき地蔵 TogenukiJizou Togenuki-Jizou (Togenuki Ksitigarbha)

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 黒いとげぬき地蔵尊に水をかけ、タオルでふきふき。
 正徳3年(1713年)江戸に住む田付又四郎の妻は、日頃から地蔵尊を信仰していたが、不治の病にかかってしまう。医者にも見離され、「怨霊のたたり」とされ、死を覚悟する。
 田付氏は地蔵尊にすがる思いで、熱心に祈願を続けると、ある日黒衣の僧侶が田付氏の枕元に立ち、妻を救うためのお告げを残す。枕元に残された地蔵尊を刻んだ小さな木片を元に、僧侶にいわれたとおり、一万体の御影(ごえい)を作り、川に浮かべた。翌朝、夫人の夢に現われた死霊を、僧が錫杖で追い払い、奇跡的に回復。以後夫人は無病になった。
 2年後、毛利家の女中が過って針を呑んでしまったとき、田村氏の作った御影を飲ませ、御影に刺さった針が吐き出され助かった。これが「とげぬき地蔵」の由来である。
 以来、巣鴨高岩寺にあるとげぬき地蔵に水をかけ、拭いてあげると、病気が治るという言い伝えが残った。 
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2006/12/15


こぎん刺し Kogin-zashi Koginzashi (Needlework)

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 着物まで制約されていた江戸時代の津軽の農民は、綿入れの着物を着ることができず、山野に自生するカラムシ(苧麻)や麻から作った着物を何枚も重ね着して寒さをしのいでいた。こぎん刺しは、農村の女性たちが保温と補強のために、麻の布地、特に弱りやすい肩、腰、袖口に染めない木綿糸で刺子を施したことから生まれた。厳しい北国の自然の中で生きてきた女性の知恵の産物である。
 その特徴は、藍染の麻地に白い木綿糸で織目に沿って手刺しするところにある。今日では、用途によって木綿地やウール地なども用いられており、色彩も時代を経て多彩さを増している。その素朴で美しい幾何学紋様は、一針一針丹念に刺し続ける北国の女性の繊細さと力強さとを象徴しているようだ。青森県の「伝統工品」にも指定されている。
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南部菱刺し Nanbu-hishizashi Nambu Diamond Embroidery

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 南部菱刺しは、青森県八戸を中心とした南部地方で古くからおこなわれてきた刺し子である。
 発祥は、古く今から200年前まで遡る。当時の農民は、麻や芋麻の着物しか着ることを許されず、木綿は糸として使うものと決められていた。そこで農村の女たちは知恵を働かせて、補強と保温のために麻に木綿糸を刺して北国の厳しい寒さを凌いできたのである。そして、この技術が今に受け継がれ、伝統工芸として花開いた。
 横長でひし形の美しい模様、そして模様の種類の多さに魅了され、明治・大正・昭和の時代の南部菱刺し衣裳収集家もいるという。また、今では手芸愛好家に人気を集め、南部刺しは一般の人々にも注目されている。
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