NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/4/15


瓦 Kawara Kawara Roofing Tile

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 瓦(かわら)は、粘土を練って成形、焼成した屋根に葺く陶器製建材である。
 瓦が歴史上、初めて登場するのは約二千八百年前の中国といわれており、日本には崇峻天皇元(588)年、百済から仏教と共に伝来し、飛鳥寺造営の際、初めて使用されたとされる。
 当時は瓦葺が許された建物は寺院のみであったが、奈良時代に入るとその他の建物でも使用されるようになる。
 江戸時代には新しい瓦の構造が発明され、また、火事対策の耐火建築用品として瓦の使用が奨励されたこともあり、一般に広く普及していくこととなった。
 日本では大きく分けて釉薬を使った「釉薬瓦」と、燻して銀色の炭素膜を形成した「いぶし瓦」に二分されるが、形状については多種多様なものが存在しており、分類すると千を越える種類が存在している。
 現在では、愛知の三州瓦、兵庫の淡路瓦、島根の石州瓦が三大産地として知られており、日本家屋における屋根の代表格の座を支え続けている。
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2008/1/24


松井康成(人間国宝) MatsuiKousei 

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 本名松井美明。昭和二(1927)年長野県生まれ。陶芸家。
 一〇代の頃疎開した茨城県笠間市で、後に父の後を継ぎ、地元の古刹「月崇寺(げっそうじ)」の住職となる。
 昭和三五(1960)年頃、廃窯となっていた山門下の窯を再興し、そこで住職の仕事の傍ら、精力的に陶芸活動を行う。
 異なる土を重ねて、文様のある生地を作り成形する伝統的な技法、練上手(ねりあげ)の探求に情熱を傾け、研究を重ねた結果蘇らせたことで高い評価を得た。
 その後も積極的に研究を続け、数多くの賞を受賞し、平成五(1993)年には、「練上手」の保持者としてに人間国宝に認定された。平成一五(2003)、その七十六年の生涯を遂げた。
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2007/12/25


人工心臓 Jinkou-shinzou Artificial Heart

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 「もし人工心臓を入れるのなら、痛くなく、かっこいいものにしたい。」デザイナーは、体内という外からは見えない人工臓器に対して、機能の向上性と美意識を求めた。
 それを可能に近づけたのが光造形という技術だった。光造形とは三次元CADデータを紫外線を使い、樹脂を立体物に成型するシステムである。空想上存在していた「だまし絵」のような複雑なかたちのものを、正確に現実の世界に成型することが可能。
 最先端の技術開発における近年のキーワードとして「融合」という言葉があげられる。これまで「壁」となってきた限界を、異分野の発想や技術と融合させることで、打ち破る。この人工心臓は、心臓移植に変わるものとして、その開発にあたっても今までの医療の分野を超えた視点から取り組まれている。
 今後のアプローチに期待がかかる。
 
■デザイン・ディレクター/医学博士
 川崎和男
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2007/5/10


楽茶碗 Rakuchawan 

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 楽茶碗は、一般にろくろを用いず、手づくね或いは型造(かたづくり)によって成形し、内窯(うちがま)と呼ばれる小規模な窯により低火度で焼成された軟質陶器。桃山時代に千利休の趣向を反映して、京都の長次郎が始めたと言われている。
 茶道の世界ではよく「一井戸、二楽、三唐津」と言われる。「二楽」の「楽」は、楽焼のことである。赤・黒の二種類ある。中でも黒楽茶碗は、茶道では第一の格とされ、濃茶に合う茶碗として有名だ。
 楽焼は、茶道が確立した秀吉の時代を中心に茶人に人気が出、茶碗の代表のひとつとなった。厚口でダイナミックな形、でこぼこのある素朴な地肌が特徴だ。どっしりとした重厚感も魅力のひとつである。
 楽焼は、四百年以上も茶人に愛されてきた、手作りゆえの良さが活きる一級品である。
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2007/2/28


笠間焼 Kasama-yaki 

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 笠間焼は、江戸時代の安永年間(1772〜1781)箱田村(現在の笠間市箱田)の久野半右衛門が、信楽の陶工・長石衛門の指導で焼き物を築窯したのが始まりとされている。明治に入り、笠間は19の窯元を数える厨房用粗陶器の産地として知られる。
 鉄分を多く含んだ赤褐色の笠間粘土は、可塑性にすぐれているため、ろくろによる成形技術が発達した。昔は水がめ、茶壺、すり鉢、湯たんぽ、徳利などの日用雑器がつくられていたが、その後、笠間粘土の風合いを生かした花器、茶器などもつくられるようになった。
 厨房用粗陶器から工芸陶器への転換も、現在の笠間焼とその隆盛を語るうえでは欠かせない判断だったと言える。
 新しい作品は、日本はもとより海外でも次第に高い評価を獲得している。
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2007/1/30


井上萬二(人間国宝) Inoue Manji Manji Inoue (Living National Treasure)

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 昭和四(1929)年佐賀県有田町生まれ。平成七(1995)年、重要無形文化財「白磁」保持者(人間国宝)に認定される。
 昭和二十(1945)年ごろ14代酒井田柿右衛門、奥川忠右衛門らに師事、白磁制作の技法を習得する。昭和三十三(1958)年から県立有田窯業試験場に勤めながら磁器の成形、釉薬(ゆうやく)の研究を重ね、伝統的な白磁制作技法を極めた。
 磁器、とくに白磁の世界には造形の完全さが求められる。一切の加飾に頼らず、「かたち」そのもので端正さ、温かさ、風格を表現するのだ。小手先の技術やごまかしなどは一蹴されるほどの難しさがある白磁。「形そのものが文様」と語る井上氏は、白磁の真髄を追求し、ろくろ成形名手として研鑽を摘んできた。「名器に雑念はない。あるのは技術と感覚だけ」と氏は今もひたすらろくろの前に座り、一点のゆがみも許さない。
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2007/1/29


増田三男(人間国宝) Masuda Mitsuo Mitsuo Masuda (Living National Treasure)

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 明治四十二(1909)年4月24日、埼玉県に生まれる。平成三(1991)年、重要無形文化財「彫金」の保持者に認定される。
 東京美術学校(現東京芸術大学)金工科彫金部を卒業後、富本健吉の指導を受けながら数々の作品を世に出してきた。
 彫金とは、ノミなどを用いて、金工品の素地を彫ったり打ち出したりして装飾する技法をいう。氏の作品は、銀・銅・黄銅・鉄などを打ち出して成形した壷や箱に、自然からヒントを得た模様を彫りこんだ、季節感に富んだ点に特徴がある。特に、めっきを施した作品が高い評価を得ているという。
 かつて氏が浦和高校で教鞭を取っていた際、「人間は素質だけではなく努力だ。努力できることこそが才能だ」と語ったとか。その言葉通り、七〇年あまりもの間第一線で活躍してきた氏の作品には、「美」の表現者としての志が生き生きと息づいている。
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奥山峰石(人間国宝) Okuyama Houseki Hoseki Okuyama (Living National Treasure)

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 鍛金(たんきん)家の奥山峰石氏は、昭和十(1935)年、山形県新庄市の生まれ。平成七(1995)年、鍛金(たんきん)の技術で、重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定された。
 鍛金(たんきん)は、熱して薄く延ばした銀などを「あて金」に乗せ、木づちや金づちでたたきながら器物をつくる成型技能だ。
 この世界に入ったきっかけは「生きるため」。十五歳で上京し、銀器職人の笠原宗峰氏に弟子入り、二七歳で独立した。以降、職人に徹して寝る間を惜しんで商品を造る。
 転機は、昭和50年頃のオイルショック。受注が激減し、創作意欲を自分の作品創りに傾けたのが、作家になる転機であった。やがて実力が認められ、昭和五十九(1984)年、伝統工芸日本金工展で文化庁長官賞を受賞するなど、数々の賞に輝く。納得いく作品を創るために、ひとつの作品に数ヶ月かけることもあるという。
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