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金剛輪寺(こんごうりんじ)は、奈良時代に聖武天皇の勅願により行基が開山したと伝えられ、本尊は聖観音である。
金剛輪寺は、西明寺や百済寺とならんで「湖東三山(ことうさんざん)」の一つに数えられ、南北に連なる三山の真ん中に位置している。
国の重要文化財に指定されている三重塔は、本堂の左手(北側)の小高いところに建っている。
この寺は天台宗であり、最澄の比叡山延暦寺を総本山とする。そのため天正元(1573)年に織田信長の兵火にあった。被害は受けたものの、本堂と三重塔は焼失をまぬがれた。総門や本坊のある地点から石段を上った奥にあるため見落とされ、焼き討ちをまぬがれたのでないかと言われている。
この塔は江戸時代に寺院の衰退に伴い破損し、明治時代には三重を失い初重と二重の軸部だけが残った。昭和五〇(1975)年から三年かけて以前の三重塔に復元された。
金剛輪寺は、西明寺や百済寺とならんで「湖東三山(ことうさんざん)」の一つに数えられ、南北に連なる三山の真ん中に位置している。
国の重要文化財に指定されている三重塔は、本堂の左手(北側)の小高いところに建っている。
この寺は天台宗であり、最澄の比叡山延暦寺を総本山とする。そのため天正元(1573)年に織田信長の兵火にあった。被害は受けたものの、本堂と三重塔は焼失をまぬがれた。総門や本坊のある地点から石段を上った奥にあるため見落とされ、焼き討ちをまぬがれたのでないかと言われている。
この塔は江戸時代に寺院の衰退に伴い破損し、明治時代には三重を失い初重と二重の軸部だけが残った。昭和五〇(1975)年から三年かけて以前の三重塔に復元された。
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