大井宿 Ooi-juku
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江戸から数えて46番目にあたる美濃中山道の「大井宿」は、天保一四(1843)年の当時で、本陣、脇本陣が各々1軒、旅籠は41軒もあり、中山道で最も賑わった宿場といわれた。
中山道の宿場の特徴でもある桝形は他の地より多く、横町、本町、竪町、茶屋町、橋場の5つの町を、それぞれ6ヶ所の桝形によって区切られていた。
大井宿より京に向った旧中山道には、大井で没した西行の墓があり、そばには、ここの清水で墨を磨ったとされる西行硯水公園等がある。
現在の中心部、恵那駅と平行に抜ける中山道を進むと、市神神社、本陣跡、長国寺へと続く。更にそこから道を上ると、郷土の歴史に残る根津甚平ゆかりの根津神社、甚平坂、馬塚犬塚がある。また、浮世絵師の歌川広重(安藤広重)は、この甚平坂から見下ろした景色を木曽街道六十九次の大井宿の絵に用いた。
中山道の宿場の特徴でもある桝形は他の地より多く、横町、本町、竪町、茶屋町、橋場の5つの町を、それぞれ6ヶ所の桝形によって区切られていた。
大井宿より京に向った旧中山道には、大井で没した西行の墓があり、そばには、ここの清水で墨を磨ったとされる西行硯水公園等がある。
現在の中心部、恵那駅と平行に抜ける中山道を進むと、市神神社、本陣跡、長国寺へと続く。更にそこから道を上ると、郷土の歴史に残る根津甚平ゆかりの根津神社、甚平坂、馬塚犬塚がある。また、浮世絵師の歌川広重(安藤広重)は、この甚平坂から見下ろした景色を木曽街道六十九次の大井宿の絵に用いた。
- 住所
- 509-7200 岐阜県恵那市
- 名前
- 大井宿