NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/7/31


岩津天満宮 Iwazu-tenman-guu 

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 岩津天満宮(いわづてんまんぐう)は、愛知県岡崎市岩津町東山にある神社である。通称、岩津天神。祭神に、学問・正直・書道の神である菅原道真を祀る。岩津天神は、芭蕉の葉に乗り天神山に降臨したと伝えられる。
 宝暦九(1759)年、信光明寺の一誉上人が旅の途上、病にかかり、天満宮に祈願したところ、病はたちどころに回復した。霊験に感激した上人が鎌倉の荏柄山天満宮から分霊を頂き観音堂に祀ると、天神様が夢枕に立ち、その神託に従って現在地に社殿を建立して祀ったという。
 境内中央にある、天神様の使いの「撫で牛」は、受験合格・学業上達・病気平癒を願う人々によって撫でられ、黒光りしている。春の「梅まつり」の頃には約400本の紅梅・白梅が咲き乱れ、境内は梅の香りで包まれる。
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2008/5/23


文京区 櫻木神社 Bunkyou-ku Sakuragi-jinja 

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 文京区の櫻木神社(さくらぎじんじゃ)は、東京都文京区本郷にある神社である。祭神は菅原道真(すがわらのみちざね)。
 文明年間(1469~1487)、太田道灌(おおたどうかん)が江戸築城の際、菅原道真の神霊を京都北野の祠より同城内に勧請した。
 徳川二代将軍・秀忠の時代に、湯島の台坂上の櫻の馬場の地に神祠を建立遷座し、櫻木神社はその近傍の守護神として崇敬された。
 元禄三(1690)年、五代将軍・徳川綱吉が同所に湯島聖堂を中心とする昌平坂学問所(しょうへいざかがくもんじょ)を設立するにあたり、翌年、現在地である本郷の真光寺境内に遷座した。
 社号は、祭神である菅原道真が太宰権帥として九州に赴く際、自ら櫻の木を刻み形見としたといわれる説と、最初の遷座地である櫻の馬場の地名に因るものとする説が伝えられている。
 櫻木神社は、本郷の氏神として崇敬されている社である。
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2008/5/12


天理市 伊射奈岐神社 Tenri-si Izanagi-jinja 

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 奈良県天理市の柳本町(やなぎもとちょう)には、全長二四〇メートルもある、大和朝廷の創始者といわれる第一〇代崇神天皇陵の壮大な前方後円墳がある。この古墳から国道を挟んだ向かい側にあるのが、「伊射奈岐神社(いざなぎじんじゃ)」である。
 この神社は天神山に鎮座し、ご祭神は、伊邪那岐神(いざなぎのみこと)と菅原道真(すがわらのみちざね)である。
 境内にある拝殿や本殿は小さいが、社域の木々が大きく、静かな古社のたたずまいをみせている。
 その他、境内には天満宮でおなじみの牛の像や、天満宮の文字が刻まれた石灯籠がある。もともと伊射奈岐神社は別の場所に鎮座していたのが、天満宮に合祀され、明治になり天満宮から社名を伊射奈岐神社と改めたようである。
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2008/4/4


愛知 洞雲院 Aichi Touun-in 

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 洞雲院(とううんいん)は、知多半島の阿久比町(あぐいちょう)にあり、徳川家康の生母である於大の方(おだいのかた)の遺髪墓があることで知られる。
 平安時代の天暦二(948)年に、菅原道真の孫である雅規(まさのり)が開基となり、洞雲院の前身である天台宗の久松寺を創建。その後、子孫の久松定規が再建したと言われる。久松家は「於大の方」の再婚先であり、近くには久松氏の居城だった阿久比城址がある。
 毎年三月一六日、洞雲院では「おせんぼ」と呼ばれる観音懺摩法会(かんのんせんまほうえ)が行われる。「おせんぼ」は、於大の方が「戦国の女性の哀しみが二度とおきないように」と、洞雲院で女性の幸福将来を祈願したのが始まりと言われている。
 
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2008/2/22


会津天神 Aizu Tenjin 

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 猪苗代湖の西側に広がる会津若松市では、数々の郷土玩具が生産されている。中でも代表的なのが、会津若松張子(あいづわかまつはりこ)である。張子とは、人形の形をした木型に和紙を糊で幾重にも張り合わせて乾燥させた後、木型を取り出して和紙に彩色を施したものをいう。
 豊臣秀吉に仕えた蒲生氏郷(がもううじさと)が鶴ヶ城主として伊勢から国替えを命じられた際、下級武士の糧になるようにと京都から職人を招き、その技術を修得させたのが始まりといわれている。この地方の張子は「赤もの」とも呼ばれ、疫病除けに効果があるという赤色を基調に彩色されている。東北地方で作られる張子の中では最も古い。
 「会津天神」はその一つで、学問の神様として信仰される菅原道真にちなみ、頭が良くなるように、出世するようにとの気持ちが込められている。昔ながらの技法で丁寧に手作りされ、その顔つきの温和さと品の良さで人気が高い。平成九(1997)年三月、福島県の伝統的工芸品に指定された。
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2008/1/8


菅田天神社 Kandaten-jinja Kandaten Shrine

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 菅田天(かんだてん)神社は山梨県甲州市に位置する神社である。
 承和九(842)年に藤原伊勢雄により創建、寛弘元(1004)年、菅原道真を相殿に祀り、以降菅田天神社と称したとされる。
 甲斐府中の鬼門を守る鎮守の地とされ、武田家重宝である源氏八領の具足の一つである国宝「小桜韋威鎧(こざくらかわおどしよろい)」所蔵の寺社として知られる。
 頑健であることから盾が不要であるとされ、別名を楯無鎧(たてなしのよろい)とも称された大鎧であり、御旗と言われる、わが国最古の日の丸旗と共に武田家当主の証として代々受け継がれた。
 祭神は本殿素盞鳴尊、菅原道真ら八柱。境内には菅公由来の座牛像や神楽殿が建ち並び、甲斐源氏の宝物を静かに守る古社である。
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2007/12/14


菅原神社(藤川天神) 臥龍梅 Sugawara-tenjin(Fujikawa-tenjin) Garyuu-bai 

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 菅原道真は、中流公家の出身から右大臣にまで出世したエリートだったが、左大臣・藤原時平の策略で左遷、二年後の延喜三(903)年に大宰府の地にて無念のまま没したとされている。
 しかし、鹿児島県薩摩郡東郷町には、道真が大宰府にて病死を装いこの地に下って余生を送った、という伝説が残されている。
 菅原天神は菅原道真を祀っており、境内には約一五〇本の梅の木が植えられている。その中で、地に横たわった幹から空に向かって垂直に細い枝が伸び、淡紅色の八重の花を咲かせる七〇本ほどの臥龍梅(がりゅうばい)がある。臥竜とは夜明け前の寝ている龍、まだ天にのぼれず地に潜み、隠れている龍を指す。
 調査により、一本から発生し地に着いた枝から根を下ろして新株となり、今の形となっていることが分かった。伝説でも同じく道真が植えた一株が繁殖し次々に成長したもの、と伝えられている。
 樹齢は約千年、根回りは最大約1・8メートル。国指定天然記念物となっている。
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2007/10/15


天神社 Ten-jinja 

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 面積の八割以上が山林という自然豊かな大洲市川辺町。川辺川上流に位置する北平地区、秋知川に屋根付きの「御幸の橋(みゆきのはし)」がある。
 県の有形民俗文化財にも指定されている御幸の橋が架かる道は、「北平天神社」の参道になっており、道幅の狭い橋を渡ったところに社殿と鎮守の森がある。
 「天神社(てんじんじゃ)」は生前の優れた学力・才能により「学問の神様」とも呼ばれ、また「天神様」として畏怖された菅原道真が祀られている。
 境内に入ると、正面に大岩がそそり立ち、その岩の上に岩を抱え込むように根を張り、全身苔に包まれたけやきの木が力強く立っている。樹齢八〇〇年ともいわれる大けやきを見上げると長い長い歴史が感じられる。 
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