NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/6/29


丹後藤布 Tangofujifu Tango Fujifu (Tango Wisteria Cloth)

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 5月の中頃、山々を美しく彩る藤の花。その藤のつるから取り出した繊維を紡いで織り上げるのが「藤布」だ。丹後地方においては、山間部を中心に1200年以上織り継がれてきた技術であり、京都府指定伝統工芸品にもなっている。
 藤布の歴史は古く、万葉集の中にも「大君の塩焼く海人の藤衣」と、藤布が着用されていたことが詠まれている。また、元弘2(1333)年、鎌倉幕府によって隠岐の島に流された後醍醐天皇が藤の苗木を隠岐に持参されたという逸話もあり、藤を愛した天皇が藤布を身にまとい、都を懐かしんだとも語られている。
 かつては全国各地で庶民の衣料として生産されていたが、今では衣料の他にのれんやタペストリー、帯など装いからインテリアまで多彩な商品が作られ、伝統を現代に活かす取り組みが行われている。
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2007/1/10


京銘竹 Kyomeitiku Kyoto Bamboo

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 京では伝統的に材質のよい竹が栽培・育成され、古来からの技法である火あぶりにより一次加工され、「京銘竹」として建築材料や床柱、腰板や花筒など、和室を演出する材料として広く使われている。   
 京都の竹材の歴史は古く、平安時代のころには中国からもたらされた竹が育てられたと言われている。山に囲まれた盆地の京都は寒暖の差が大きく、肥沃な土質にも恵まれているため、長くて光沢があり、強さとしなやかさを併せ持つ良質な竹を育てるには最適な土地であった。平安時代に竹は柱や壁の下地、垣、簾など、建材として随所に使われるようになる。とりわけ庭園、茶室に使われる門、垣など、京都に生まれた独自の建築文化の需要により、さらに技が磨かれた。京の街並みは、竹によりさらに個性的なものとなっている。
 京都府伝統工芸品に指定されている工芸品だ。
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2007/1/9


京人形 Kyo-ningyo Kyoto Doll-Making

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 日本は人形の宝庫と言われるが、それは古くから京都を中心として発達してきた。気品のある京人形の人気は根強く、品質の高い優れた人形が今でも数多く作られている。
 歴史は、平安時代の貴族社会で用いられていた雛(ひいな)というままごと遊びに始まる。
 江戸時代にはこの雛が3月3日の節句の日に飾る立派な雛人形へと変化していき、人形師も数多く出てきた。節句前になると、これらの人形師たちの店先には様々な人形が並べられ、活況を呈したという。江戸時代末期になると御所人形が生まれるが、これは当時の宮廷から諸大名への贈答用としても重宝されたのだとか。
 京人形は非常に細分化された工程を経て製作される。それぞれの工程に熟練した職人の手仕事により確かな品質の人形が作られ、この高度に専門化した製作システムが、京人形ならではの深みと品質をもたらすのだ。
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京房ひも・撚ひも Kyofusahimo・Yorihimo Kyofusa Braids・Yori Braids

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 ひもを巧みに結び、雅やかな房飾りを綾なす「京房ひも・撚ひも」。平安時代から連綿と受け継がれる京都の伝統工芸品だ。
 起こりは平安時代。貴族たちが室内調度品や身の回りの小物などに華麗な房飾りを施し、華やかな装身具として用いたのがはじまりだ。鎌倉時代には、武士たちの武具甲冑の刀の付け下げ緒に使われた。茶の湯が流行した室町時代には、茶道具の飾りとして茶道にも取り入れられるようになったという。
 江戸時代には、各宗本山が集まる京都で、仏具のくみひもや飾り房の専門店が数多く誕生し、興隆を極めた。やがてその技術とデザインがさらに発達し、町人文化の興盛とともに、一般庶民たちの日用品としても愛用されるようになり今日に至っている。
 現代でも神具、茶道、伝統芸能をはじめとして日常生活における服飾や装飾に広く利用され親しまれている。
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京陶人形 Kyo-tohningyo Kyoto Ceramic Dolls

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 日本は人形の宝庫といわれるが、とりわけ京都での人形作りの歴史は古い。京陶人形は、京都で作られている彩色した素焼き人形だ。素朴でやさしいイメージを持つ反面、極めて繊細で華美な雰囲気を併せ持つ魅力あふれる工芸品だ。
 仏師や能面師たちはかつて、上流階級に珍重された加茂人形や、御所人形などを作っていたが、江戸時代に型が発明され、大量生産が可能になると、庶民に人形が親しまれるようになった。京陶人形はそうした人形のひとつであり、安価で気取りのない愛玩用の人形として人気を博したという。明治末期に博多人形師との交流の中から新しい時代感覚と芸術的な創造力をプラスして生まれたのが今の京陶人形である。
 基本的に多品種・少量生産なので、作られる形は多種多様。雛人形や節句もの、歴史をたどる時代もの、干支ものや土鈴など様々。特に干支ものの土鈴は縁起物として高い人気を集めている。
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京象嵌 Kyo-zogan Kyoto Metal Incrustation

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 象嵌(ぞうがん)とは、金銀で模様を型取り、鉄地金にはめ込んで漆で焼き上げた、京都独自の伝統工芸品だ。現代ではペンダントやブローチなどの装身具、小物入れなどの実用品、額、時計などの室内装飾品などに用いられている。
 象嵌はもともと中東ではじまった技術で、シリアのダマスカス市が発祥。その後技術はヨーロッパに伝わり、東進したものは中国、朝鮮を経て14世紀に京都に伝わった。京都で象嵌技術が最も盛んになったのは江戸末期で、武士が刀の鐔(つば)に象嵌を装飾するのが流行したという。明治時代には欧米で日本の象嵌技術が評価され、以降輸出品として脚光を浴びた。
 京の象嵌はその作りの細かさ、優美さに置いて他の追随を許さず、熟練された職人の手作りによる作品は、それぞれが世界にひとつだけの最高の逸品として輝きを放っている。
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京刃物 Kyo-hamono Kyoto Knives and Swords

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 平安時代から伝わる高度な技を継承する京刃物。製造工程の全てをひとりの職人の手作りで行い、その質の高さ、切れ味の良さでは他の追随を許さない。
 日本に刃物が伝わったのは4世紀だが、それは刃物というより刀剣と言った方が適切で、古事記や日本書紀などに記されている。平安時代には三条宗近を筆頭に数々の名工が現れ、技術を全国に伝えたという。時代の推移とともに日用品としての刃物類も作られるようになり、刀鍛冶、農鍛冶、刃鍛冶と大きく三分化され、さらに需要に応じて細かく細分化、高度な専門性を持つようになる。京都で刃物の技術が発達したのは、原料や用材が近くに恵まれていたことと、京扇子、京料理、西陣織などに欠かせない道具として精密さを求められたからである。
 現在京刃物は包丁、鋏、鋸、鎌、彫刻刀など、日用品から専門職の道具まで多種多様な製品が作られ、その質の高さには定評がある。
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京の神祇装束調度品 Kyono-shingishozoku-chodohin Kyoto Ceremonial Objects and Costumes

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 祭祀や祭礼に使う調度や衣装(装束)のことを「神祗装束調度品」と呼ぶ。大きく分けると神具と装束のふたつがあり、神具として三方や神殿などの木具類、鏡類、旗、幕、雅楽器などがあり、装束には衣冠、狩衣、その付属品がある。京都ではこれら工芸品の全国の85%を供給している。
 神祗装束調度品はいずれも少量生産、大部分が手作りである。京都は明治維新まで皇室の所在地であり、各種の式典、行事も多く、古くから神社の神事も盛んであったため、それらの調度品や装束などを作る専門家を多数必要としたのである。伊勢神宮の御遷宮調度師として名高い坂本家が世に出たのは江戸の中期だったが、それ以前から京都の神具は全国に先んじて発達していた。現代においても、神式の結婚式や伝統行事が復活する傾向にあり、神祗装束調度品の需要は今後も増えると見られ、後継者の育成に業界を上げて研鑽しているという。
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