NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/2/28


城下町 大聖寺 Joukamachi Daisho-ji Castle town,Daishoji

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 石川県加賀市の大聖寺(だいしょうじ)は、加賀百万石の支藩、大聖寺藩の城下町として栄えてきた歴史と伝統文化の息づく町だ。
 江戸時代からの街並みをそのままとどめ、しっとりと落ち着いた雰囲気を漂わせている。錦城山城址のふもとには禅宗、日蓮宗などの古刹が立ち並び、年間を通して史跡めぐりを楽しむ人々が絶えない。
 特に実性院(じっしょういん)は、5月に咲く藤の花の全国的な名所としても知られている。金箔をあしらった障子画も見事だ。また、大聖寺3代藩主の藩邸跡の一部に当たる江沼神社境内にある「長流亭」は、兼六園を模して作庭されたとされ、書院や茶室など、隅々にまで凝らされた意匠が興味深い。この庭園は、国の重要文化財に指定されているという。 
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2007/1/25


衆楽園 Shuraku-en Shuraku Garden

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 「衆楽園」は、津山藩2代藩主、森長継が、京都から小堀遠州流の作庭師を招いて造営した近世池泉回遊式(池とその周囲を巡る園路を中心に作庭する庭園)の大名庭園。明暦年間(1655〜1658年)に造営された。
 京都の仙洞御所を模したもので、池を海に見立ててレイアウトした島の配置や水面に移る島影の美しさ、四季折々の樹々の枝ぶりに、京風の洗練された美を感じることができる。
 当時の面積は約2万3千坪と、現在の3倍ほどの広大な規模で、藩主の清遊の場として使われていた。また、津山藩は防備の面から、他藩の使者を城内に入れずにこの衆楽園で応対したことから、「御対面所」とも呼ばれていたという。
 春には桜、秋には紅葉で庭園を染め上げ、訪れる人々の目を楽しませている。
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豆田町・歴史の小径 Mamedamati・Rekishi-no-komiti An Historic Street Scene in Mameda

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 大分県日田市豆田町には、歴史の小径と呼ばれる歴史的街並みがある。
 江戸時代、日田は250年の長きにわたり天領として栄えた。豆田地区を中心として、いまなお歴史的な建築や天領時代の面影が日田には残されており、この歴史の恵みを積極的に観光資源として利用しようと、豆田地区には「都市景観形成地区」の指定が行われている。
 日田天領まつり中に行われる竹灯篭による「千年あかり」では、小川沿いに続く歴史の小径がほんのりとした灯りに包まれ、幻想的な空間と化す。
 近くには天領資料館もあり、かつての日田の繁栄ぶりが伺える。
 豆田町・歴史の小径は、そぞらに歩くだけで気軽に江戸の雰囲気に浸れる粋な通りである。
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2007/1/24


岡山後楽園 Okayama-kourakuen Okayama Korakuen

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 日本三名園に数えられる国指定特別名勝、「岡山後楽園」。岡山県岡山市に所在する。
 岡山後楽園は、岡山藩2代目藩主、池田綱政が重臣の津田永忠に、命じて造らせ、元禄十二(1700)年に完成した江戸時代初期の大名庭園だ。その後も歴代藩主の好みで手を加えられたが、江戸時代の姿を大きく変えることなく現代に伝えられている。
 藩主が賓客をもてなした建物「延養亭(えんようてい)」を中心とした林泉回遊式の庭園で、園外の岡山城や周辺の山を、庭を形成する背景として取り入れた構成になっている。
13万平方メートルにおよぶ広大な敷地には芝生や池、築山、樹林が配されており、園路をたどりひと廻りすると、移り変わる景色が一巻の絵巻物のように楽しめる。
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2007/1/23


二上山 Nijyozan Nijyozan Mountain

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 生駒山地と葛城連山の間に位置し、標高こそ低いものの、奈良でも屈指の歴史をもつのが二上山である。
 大阪府側から見ると、ちょうどらくだの背中のような形をしている。丸い二つの峰が連なる二上山は、標高517メートルの雄岳と474メートルの雌岳からなる。雄岳山頂には、謀反の嫌疑で処刑された大津皇子の墓がある。姉大伯皇女が悲劇の弟を偲んで詠んだ万葉集の歌は知る人ぞ知るところであろう。「うつそみの人なる我や明日よりは 二上山を弟世と我が見む」
 二上山は自然公園「万葉の森」としても整備が進められ、登山道沿いには奈良時代の石窟寺院跡などの史跡や万葉歌碑も数々あり、登山だけでなく史跡めぐりの楽しみも味わえる。休日には、散策を楽しむ観光客で賑わいを見せる。
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2007/1/18


武家屋敷跡土塀 Buke-yashikiato-dobei Earthen Walls of Samurai Houses

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 藩政時代、加賀は百万石の城下町。今の長町あたりには中・下級の武士が住んだ屋敷が残っている。
 土塀、用水、石畳が当時の様子を偲ばせる。特に武家屋敷跡の土塀は、金沢城の石垣に用いられた戸室石を使用、武家屋敷跡の印象を情緒溢れるものにしている。
 現在もその屋敷には、実際に人が住み生活を営んでいる。それがまた、残る武家屋敷の雰囲気をリアルにしている。
 武家屋敷跡界隈は、石畳の小道も複雑に入り組み、かつての城下町そのままであり、そぞろ歩けば、まるで江戸時代に生きているような錯覚に陥る。
 屋敷を公開している野村家、加賀友禅の製作を実演する才筆庵などがあり、また休憩館にはボランティアガイドが常駐し、武家屋敷などの説明をしてくれる。近代的な繁華街の香林坊のすぐ側とは思えない、下町情緒に溢れる場所である。
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