NIPPON Kichi - 日本吉

記事数12件: 1~8 件表示     >>     >|  

2008/9/8


朝倉の梯子獅子 Asakura-no-hashigo-jishi 

Jp

 朝倉の梯子獅子(はしごじし)は、愛知県知多市新知の牟山(むさん)神社にて毎年10月第1日曜日に行われている神事である。県の無形民俗文化財に指定されている。
 牟山神社は、文永三(1266)年に藤原源太正成が創建したと伝えられる古社で、天御中主尊、大己貴尊、少彦名尊を祀る。
 慶長三(1598)年、村に現れたイノシシが農作物を荒らしたので、これを梯子攻めにして退治した。翌年、例祭にて梯子に登る雄獅子の舞を演じたのが始まりとされている。
 梯子獅子では、31段の梯子と高さ約9mの櫓の上で、雄獅子の面をかぶった二人一組の獅子がお囃子に合わせて曲芸的な、はなれ技を演技する。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/9/28


拝島 日吉神社 祭礼 Haijima Hiyoshi-jinja Sairei 

Jp

 拝島の日吉神社祭礼(ひよしじんじゃさいれい)は、東京都の拝島町にある日吉神社で毎年の九月第三土日に行われる例祭であり、土曜日が宵宮、日曜日が本宮という。
 明和年間(1751~1771)に関東一円で起こった農民一揆を鎮めるための「世直し祭り」がその起源といわれる。
 前夜祭である宵宮では、周辺各町の山車が町内を練り歩き、山車と山車が出会うと祭囃子の合戦が始まり、祭の雰囲気を一層高める。
 本宮では榊神輿(さかきみこし)が、同日午後から始まるご神幸の露払いとして、日曜の午前零時から出立、夜の町内を練り歩く。
 高さ5mにもなる榊神輿の枝葉には無数の紙垂(しで)が飾られ、その頂には心筒(しんとう)が結わえられる。明け方近くに神輿が神社に戻ると、若連と呼ばれる若者達が無病息災を招くという紙垂のついた枝や、頂上にある心筒の争奪戦を始める。
 「榊まつり」や「暁の祭り」とも呼ばれる勇壮な神事は、この地域の風物詩として、今も親しまれている。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/8/24


日高火防祭 Hidaka-hibuse-matsuri 

Jp

 毎年四月二九日に行われる日高火防祭(ひたかひぶせまつり)は、明暦三(1657)年の江戸の大火を経験、火防の必要性を痛感した十七代水沢城主・宗景公がその対策を講じ、同時に神仏の加護によって羅災を未然に防止しようとしたことが由来とされている。町方火消しの祭典とも言える祭りで、三〇〇年という長い歴史を誇っている。
 祭り当日、朝八時に六町の年番長が日高神社に集まり、参拝・祈願して御守札を受ける年番祭が行なわれる。お札をいただいた各年番長は直ちに各町に戻り「はやし屋台」の運行が開始される。
 町印(ちょうじるし)と呼ばれる各町の印を先頭に、打ちばやし、はやし屋台の順で、夕刻まで古趣あふれる音曲にあわせ、各町内を練り歩く。
 夕闇には、ぼんぼりが一斉に点灯され、水沢駅前で各町組の屋台が競って華麗なおはやしを披露する「相打ち」の仁義礼が尽くされる。 ぼんぼりの淡い光の中、「相打ち」はより魅力的に映し出され、祭りはクライマックスをむかえる。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/8/20


入谷の祭と打囃子 Iriya-no-matsuri-to-uchi-bayashi 

Jp

 入谷の祭と打囃子(いりやのまつりとうちばやし)は、毎年の九月十五日に、宮城県南三陸町の入谷八幡神社で行われる例大祭である。
 打囃子が始まった時期は定かではないが、八幡神社に奉納したとされる太鼓に享和元(1801)年の年号が見られることから、その時期にはすでに行われていたと考えられている。
 秋の収穫も間近な頃、身を清めた神職らを先頭に、入谷八幡神社から祭りの行列がスタートする。
 花傘や花バレンに彩られた神輿、色鮮やかな衣装に身をつつんだ子供たちが、入谷の田園風景のなかを御旅所(おたびしょ)である田んぼの中に聳える一本松の元まで練り歩く。
 御旅所に到着すると、祇園囃子の流れを汲むといわれる打囃子が、五穀豊穣と家内安全を祈願して獅子舞と共に舞われ、奉納される。
 黄金色に輝く田んぼの中で、優雅に舞われるお囃子は、いつか遠い昔に感じた郷愁を見るものに思い起こさせてくれる。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します




八幡町打囃子 Hachiman-chou-uchi-bayashi 

Jp

 八幡町打囃子(はちまんちょううちばやし)は、宮城県南三陸町の八幡町で、毎年の七月最終土曜日に催されている夏祭りである。
 同じく南三陸町の志津川湾で行われる「志津川湾夏まつり」の一環として、周辺町村でも各種催しが開かれているが、八幡町の打囃子もその一つ。
 昭和四十年代中ごろに、地元にあった八幡神社が、持ち主の要望で返還される事となり、地元での各種祭事の開催が危ぶまれた時期があったものの、その後に結成された八幡町打囃子保存会の有志の手により、連綿と今に受け継がれていくこととなる。
 そのスタイルは同じ町内にある入谷八幡神社でも行われている打囃子と衣装や踊り、獅子が共に舞う点などで非常に似ており、同じく八幡神を祭る神社として、そういった祭事の点でもつながりがあったのではないかといわれている。
 古来よりの伝統は、今の世でも困難を乗り越え、地元の絆をさらに強くする楽しい伝統として、受け継がれている。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/8/16


尾島ねぷたまつり Ojima-neputa-matsuri Ojima Neputa Festival

Jp En

 尾島ねぷたまつりは、群馬県太田市尾島町にて行われる祭りである。
 昭和六〇(1985)年、津軽藩の飛び地が大舘を中心とした地域にあったことが縁で弘前市との交流が始まり、翌年より尾島まつりに本場・弘前ねぷたが応援出陣するようになった。
 それがきっかけでねぷた熱が高まり、自作のねぷたを作り、やがて祭りも「尾島ねぷたまつり」に改称され、現在の形に定着した。
 祭りは、毎年8月14・15日に盛大に開催されている。
 高さ8mにも及ぶ扇ねぷたと情っ張り太鼓の運行は勇壮そのものであり、尾島の夏の夜に浮かび上がる色鮮やかなねぷたの武者絵の幻想的な美しさは、まさに圧巻といえる。
 祭りの最後に行われる情っ張り太鼓とまつり囃子の合同演奏は、見応え十分の迫力がある。
 尾島ねぷたまつりは、楽しくも豪壮な祭りである。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/8/1


布袋まつり Hotei-matsuri 

Jp

 布袋まつり(ほていまつり)は、宮城県柴田郡村田町にて毎年10月初めに行われている祭りである。
 布袋と言えば七福神のひとりで大きな袋を抱えた、でっぷり太った福の神だが、村田町の布袋は頭が長いのが特徴とされる。
 800年の伝統を持つこの祭りは、布袋和尚の徳を慕って、京の山車まつりを参考にして生まれたものと言われている。
 山車に乗った背丈2mを越す布袋人形を下で人が操り、手や頭を巧みに動かし、笛や太鼓に合わせて踊りながら町を練り歩く珍しい山車まつりである。
 特筆されるのは布袋囃子の笛の音で、奏でられる曲は「一ノ谷の合戦」において討死した平家の若武者・平敦盛が「青葉の笛」で吹いていた曲という事で、平家の落ち武者に心打たれた村人たちが、伝承してきたとされている。
 布袋まつりは、長い歴史を誇る楽しい伝統芸能である。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/7/24


岩船大祭 Iwafune-taisai Iwafune Festival

Jp En

 岩舟大祭(いわふねたいさい)は、海上の安全、商売繁盛、大漁を祈願して行われる「船霊祭」で、漁師町・新潟県岩船にふさわしい勇壮な祭りである。
 祭りは、10月19日の午前0時に、先太鼓を叩く音で始まる。先太鼓がお神輿の巡行ルートを早朝3回に渡り祓い清め、その道をお舟様、玉槍(たまやり)、神輿、白駒と相次いで岩船(いわふね)神社社殿から大鳥居まで運び、お舟様が先頭の屋台に移される。そして「しゃぎり」と呼ばれるお囃子と共に、9台の屋台と玉槍、神輿が街中を練り歩く。屋台に移されるお舟様は、漆を何度も重ねて朱色に塗った豪華なもの。このしゃぎりは、去り行く秋を惜しむかのように、夜遅くまで続く。
 岩舟大祭は、時代絵巻の風情を楽しめる、岩舟の秋の風物詩である。
 昭和六二年、岩船大祭は県の無形文化財に指定されている。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



記事数12件: 1~8 件表示     >>     >|  
NIPPON Kichi - 日本吉 - 日本語に切り替える NIPPON Kichi - 日本吉 - to english

モノ・コト・ミル・ヒトで綴る
日本の美意識。

現在の記事 5444
カテゴリーズ
都道府県
キーワードシャッフル
お気に入り
キーワード検索
閲覧履歴



Linkclub NewsLetter