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「刀銘源正雄(とうめいみなもとのまさお)」は、昭和四五(1970)年、北海道の有形文化財に指定されている。
安政五(1858)年、江戸から招いた刀工・源正雄が制作した刀剣は、長さ七〇、四五センチメートル、反り一、八センチメートルの一振で、函館近隣でとれる砂鉄を使用し、刀を鍛造したといわれている。
源正雄は本名を鈴木次郎という。美濃国で生まれ、江戸に出て下谷御徒町に住み、源清麿(みなもとのきよまろ)に学んだ名工である。
栗原信秀や斉藤清人の兄弟子で、合わせて清麿三高弟と呼ばれ、人気の高い名工であった。愛刀家が愛蔵し、源正雄の作品は世に出回る事が少なく、大手の刀剣店でも滅多に目にする事は出来ない。
刃(やいば)の形状を表現するもので、馬の歯乱(うまのはみだれ)という言葉がある。源正雄の作品には、規則正しく焼き入れた大きめの互の目乱と呼ばれる刃文(はもん)が入り、その様子が馬の歯並びを思わせる特徴があることから、幅広く角張った互の目乱を「馬の歯乱」と呼んでいる。
安政五(1858)年、江戸から招いた刀工・源正雄が制作した刀剣は、長さ七〇、四五センチメートル、反り一、八センチメートルの一振で、函館近隣でとれる砂鉄を使用し、刀を鍛造したといわれている。
源正雄は本名を鈴木次郎という。美濃国で生まれ、江戸に出て下谷御徒町に住み、源清麿(みなもとのきよまろ)に学んだ名工である。
栗原信秀や斉藤清人の兄弟子で、合わせて清麿三高弟と呼ばれ、人気の高い名工であった。愛刀家が愛蔵し、源正雄の作品は世に出回る事が少なく、大手の刀剣店でも滅多に目にする事は出来ない。
刃(やいば)の形状を表現するもので、馬の歯乱(うまのはみだれ)という言葉がある。源正雄の作品には、規則正しく焼き入れた大きめの互の目乱と呼ばれる刃文(はもん)が入り、その様子が馬の歯並びを思わせる特徴があることから、幅広く角張った互の目乱を「馬の歯乱」と呼んでいる。
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