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2008/12/9


白川郷の田植え祭 shirakawagouno-tauematsuri 

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 白川郷の田植え祭(しらかわごうのたうえまつり)は、岐阜県大野郡白川村荻町にて、毎年五月下旬に行われている祭りである。
 ユネスコの世界文化遺産に登録されている白川郷では、特色ある合掌造り家屋郡と、その周囲に水田や畑が広がる独特で美しい景観が見られる。
 田植え祭は、白川郷観光協会が機械化で消えていく手植え風景を惜しみ、昔ながらの農村風景を残す事などを目的に、昭和六一(1986)年から始められた。
 祭りでは、紺のかすりの着物に赤いたすきをかけた早乙女姿の女性たちが、水を引き入れたばかりの田んぼで「チョボーン、チョボン」という田植え歌の調べにのせて、一列になって苗を植える。
 白川郷の田植え祭は、初夏の風物詩となっている祭りである。
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2008/10/24


養老の滝 Yoro-no-taki 

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 養老の滝(ようろうのたき)は、岐阜県にある風光明媚な滝だ。
 高さが30m、幅約4mの滝で、巨岩や老樹に囲まれた公園の奥深くにある。岩角を打って滔々と流れ落ちる水は清冽を極め、砕け散る飛沫が霧のように立ち籠める。夏は肌寒さを感じさせるほどだ。その見事な景観は名瀑の名に恥じない。日本の滝百選にも選出されている。
 また「孝子伝説」という話が伝わっている。親孝行な木こりの源丞内が、山中で滝を見つける。そこに流れる山吹色の水を老いた父に飲ませたところ、若返ったという。実はこの水、老父の大好きな酒であったとされる。この不思議な滝の出来事は都にも伝わり、奈良の元正天皇が早速この地に足を運んだ。自身で飲浴したところ「肌は滑らかになり、痛む所は治った。めでたい出来事で、これは老いを養う若返りの水」と言い、年号を養老と改めたとされる。
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2008/8/19


阿弥陀ケ滝 Amidaga-taki 

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 阿弥陀ケ滝(あみだがたき)は岐阜県郡上郡白鳥町、長良川の上流に位置している。落差は約六〇メートル。豊富な水流が真っ直ぐに滝つぼへと落ちていき轟音をとどろかせる。
 この滝の由来については、天文元(1532)年、白山中宮長滝寺の僧、道雅法師という僧がここで修行し護摩をたくと、阿弥陀如来の姿が浮かび上がったところから、阿弥陀ケ滝と名づけられたといわれている。
 現在も滝つぼ近くではみそぎなどの滝行が行われている。
 国重要無形民俗文化財である郡上おどりでも、この滝の雄大な様子を「見たか聞いたか阿弥陀ヶ滝を 滝の高さとあの音を」と歌の一説としている。
 阿弥陀ケ滝周辺は自然が深く、森林浴や散策に訪れる観光客も多い。滝壷の近くまで遊歩道が整備されており、水しぶきをあげる阿弥陀ケ滝の勇姿を間近に楽しむ事ができる。
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2008/8/14


平湯大滝 Hirayu-ootaki 

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 平湯大滝(ひらゆおおたき)は岐阜県高山市上宝町の平湯川に位置している。乗鞍高原の番所大滝、付知峡(つけちきょう)の高樽の滝とあわせて、飛騨三大名瀑のひとつに数えられている。
 幅約六メートル・落差約六四メートルの大きな滝である。豊富な水流が豪快に流れ落ち、岩や滝つぼに砕けた水は水煙となって舞い上がっている。
 一月中旬から二月下旬まで結氷が見られ、ライトアップされる。この期間中にあわせて二月中旬から末まで結氷まつりが開催され、獅子舞踊りやかまくらを体験することができる。周囲は温泉地であり、沢山の観光客でにぎわう。
 平湯大滝は雄大でかつ青く澄んだ水を湛えた神秘的な滝である
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2008/7/15


郡上本染 Gunjou-honzome 

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 郡上本染(ぐんじょうほんぞめ)は岐阜県の城下町である郡上市八幡町に古くから伝わる藍染めの染色技術である。
 郡上本染が始まったのは今から430年も前といわれている。
 藍染めに使用される藍液は香辛料や薬味として使われるタデの葉から藍玉を作り、灰汁、酒などを混入し乳酸発酵や酪農発酵を起して作られる。郡上本染はこの藍液で平均十数回繰り返し染め、深い藍色を作り出すのが特徴である。また、郡上本染に欠かせないのが厳寒の吉田川での洗い流し作業である。吉田川の冷たい清流が郡上本染に自然の息吹を与えてくれるのである。
 八幡町で郡上本染の伝統と技術を守り抜いている渡辺庄吉氏は昭和五二年岐阜県の重要無形文化財に指定された。
 使うほどに色合いが変化する郡上本染の愛好者は現在でも多いという。
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2008/6/30


神岡城 Kamioka-jou 

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 神岡城(かみおかじょう)は、岐阜県飛騨市神岡町城ケ丘にあった城である。
 永禄七(1564)年、越中への侵攻拠点とする事を目的に、武田信玄の命令で江馬時盛(えまときもり)が築城し、高原諏訪城の支城となった。
 天正一三(1585)年、金森長近による飛騨攻略の結果、その家臣・山田小十郎が城代となったが、元和元(1615)年に江戸幕府の一国一城令で破却され、廃城となった。
 元々は江馬館、東町城などと言われ、江戸時代に書かれた「飛州志」には江馬之御館と書かれていたが、昭和四五(1670)年、城跡に模擬天守を造った時に、神岡城という名前になった。
 現在、城跡には再現された天守閣や残された遺構である壕や石塁などがあり、内部では実際に使用された鎧、刀剣、馬具などが一般公開されている。
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2008/6/26


苗木城(霞ヶ城) Naeki-jou(Kasumiga-jou) 

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 苗木城(なえきじょう)は、標高四三三メートルある高森山に築かれた山城である。木曽川のすぐ北側に位置しており、川の南側には中山道、北側には飛騨路が通っており、交通の要衝にある。木曽川を天然の堀とし、突出した岩山を巧みに利用した城である。
 また、島崎藤村の「夜明け前」の舞台となった岩村城の支城として知られ、岩村城を「霧ヶ城」と呼ぶのに対し、苗木城は「霞ヶ城」と呼ばれている。
 この城は、天文元(1532)年、美濃岩村城主であった遠山景前(とおやまかげさき)の弟・遠山直廉(とおやまなおかど)が築城したと伝えられている。本丸や二の丸、三の丸に多くの遺構を残し、中でも天然の大岩を取り入れた石垣は、一見の価値がある。
 ここからの眺望は素晴らしく、正面にはかつての中仙道中津川の宿場町が広がり、その後には標高二一九一メートルの恵那山が高くそびえている。
 昭和五六(1981)年に国の史跡として指定されている。
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2008/6/25


岩村城(霧ヶ城) Iwamura-jou(Kiriga-jou) 

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 岩村城(いわむらじょう)は、別名「霧ヶ城」とも呼ばれ、日本三大山城の一つで標高七二一メートルの位置にある。天然の峻険な地形を活用した要害堅固な山城で、全国で最も高地にある山城である。
 源頼朝の挙兵に際し手柄をたて、岩村遠山荘を与えられた加藤景簾(かとうかげかど)が、文治元(1185)年に築城したもので、姓も遠山と改め、代々遠山氏の居城となった。
 岩村城は、女城址の里と呼ばれ、城主が女性だったことがある。織田信長の叔母で、岩村城主・遠山景任(とおやまかげとう)の妻であった、通称「お直の方」が、主君亡き後に武田氏との攻防に際して城主として死守した。そして領民と将兵を助けるために、敵将武田方家臣である秋山晴近と再婚したという話が伝えられている。
 城内には一七にも及ぶ井戸があり、八〇〇年もたった今でも十数個の井戸が今も水をたたえている。
 建物は明治維新により廃城され、その後明治六(1873)年に取り壊された。
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