NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/12/9


白川郷の田植え祭 shirakawagouno-tauematsuri 

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 白川郷の田植え祭(しらかわごうのたうえまつり)は、岐阜県大野郡白川村荻町にて、毎年五月下旬に行われている祭りである。
 ユネスコの世界文化遺産に登録されている白川郷では、特色ある合掌造り家屋郡と、その周囲に水田や畑が広がる独特で美しい景観が見られる。
 田植え祭は、白川郷観光協会が機械化で消えていく手植え風景を惜しみ、昔ながらの農村風景を残す事などを目的に、昭和六一(1986)年から始められた。
 祭りでは、紺のかすりの着物に赤いたすきをかけた早乙女姿の女性たちが、水を引き入れたばかりの田んぼで「チョボーン、チョボン」という田植え歌の調べにのせて、一列になって苗を植える。
 白川郷の田植え祭は、初夏の風物詩となっている祭りである。
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2008/7/17


福岡 八坂神社 Fukuoka Yasaka-jinja Yasaka Shrine, Fukuoka

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 福岡県北九州市小倉の八坂神社(やさかじんじゃ)は北九州の一ノ宮で、小倉城北の丸跡に鎮座する。かつては祇園社と呼ばれ、鋳物師町にあったが明治になり八坂神社と名前がかわり、昭和九(1934)年に現在の地に遷座した。
 平安時代の初めには、すでに須佐之男尊(すさのうのみこと)が祀られていたのを、関が原の合戦での功により、丹後から転封となった小倉城主、細川忠興(ほそかわだだおき)が鋳物師町に祇園社を建立した。祭神は須佐之男尊(すさのうのみこと)他一二神。
 ある日、忠興が鷹狩に出かけた折り、小さな社を見つけ祠の中にある御神体を覗こうとした。その時、中から鷹が飛び出し忠興の目を蹴って飛び去った。失明の危機に陥った忠興はこれを神罰と受け止め、壮麗な社殿をつくり、目も快癒したと伝えられている。
 八坂神社は長きに渡り小倉の鎮守さまとして人々から崇敬を集め、毎年七月に行われる小倉祇園祭は日本三大祇園祭の一つとして見事な祇園太鼓のバチさばきが披露され小倉の人々の風物詩となっている
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2008/5/20


砺波夜高祭 Tonami-yotakamatsuri 

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 砺波夜高祭(となみよたかまつり)は、富山県砺波市本町にて毎年六月の第2金曜、土曜の2日間に渡って行われる田祭りである。
 砺波地方各地では古くから夜高祭りが開催されており、一番古いものでは、慶安年間(1648~1651)、神明社の創設にあたって、人々が手に手に行燈を持って伊勢神宮の分霊を出迎えたと伝わっている。
 砺波夜高祭は五穀豊穣・豊年満作を祈る田祭りで、田楽や夜高と称する大小の行燈が町内を練り歩き、拍子木、唄、太鼓に包まれて続く。出町の夜高が町内に集い、祭りが始まったとされるのは大正年代の事とされている。
 戦中、戦後は資材や労力不足から中断した事もあったが、現在では絢爛豪華に開催されている。
 砺波夜高祭は、初夏の風物詩ともいえる農民の祭りである。
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2007/11/5


立て干し網 Tate-boshi-ami 

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 立て干し網(たてほしあみ)は、愛媛県御荘町に明治中期頃から伝わる漁法のひとつである。晩春の干潮の汐差が最も大きい日に、湾に延長約700メートルの網を立て、潮が引いた際に取り残された魚を手づかみや手網で獲る。
 この昔ながらの「立て干し網」を由来とし、毎年五月の連休頃の大潮の日に、多くの参加者を募り「立て干し網大会」を開催している。年々、参加者の増加にともない、ハマチ・マダイ・アジなどが合計約2万尾、アサリが約2トンほども放流され、それらを網と軍手、アサリを掘る道具などで捕っていく。
 普段、魚や貝などに触れる機会が減った現代、自然と直に触れ合える数少ない貴重な体験ができるとして、多くの観光客や家族連れで賑わう。全国一のスケールをもった初夏の風物詩である。
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