NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/2/29


ちょいのちょい Cyoi-no-cyoi 

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 ちょいのちょいは、鹿児島県指宿市小牧地方に伝わる民俗芸能である。
 第一七代島津家藩主・島津義弘(1535~1619)が、朝鮮出兵する際の凱旋祝いとして唄い踊られたとか、朝鮮出兵後、帰国祝いとして始めたと伝えられ、今でも祝い事やイベントの時に踊られている。
 唄は、戦国時代の武士の唄らしく、勇ましくて男らしい曲調が感じられる内容である。
 踊りは、色物の着付に鉢巻・たすき・手甲・足絆・足袋・草鞋・刀・扇子の派手な出で立ちで、太鼓や鉦をならしながら、2人1組となって踊る。
 棒踊のように打ち合わず、二人一組で身ぶり・手ぶりを交えて踊るのが特色とされる。
 ちょいのちょいは、いかにも戦国時代から伝わるものらしい、勇壮な郷土芸能である。
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2007/9/14


門川町 中山神社大祭 Kadogawa-cho Nakayama-jinja-taisai The Grand Festival at Nakayama Shrine in Kadogawa

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 中山神社は門川町(かどがわちょう)にあり、天安元(857)年、文徳天皇の時代に出雲大社から分霊したといわれる。
 この神社は大己貴命(おおあなむちのみこと)など四神を祀っている。大己貴命は大国主神(おおくにぬしのかみ)のことで、色好みの一面を持った神様で知られる。その昔、狭い参道で若い男女がすれ違うと恋が芽ばえると言われ、縁結びで有名になった。
 縁結びのご利益のほか、商売繁盛でも知られ、特に一月七日におこなわれる大祭では、年男や厄年を迎えた男の人などが、白鉢巻きに白足袋のふんどし姿で大きな掛け声を上げて、境内までの石段を一気に駆け上がる「裸まつり」が有名である。男たちは寒さの中、境内で冷水を頭から浴びて身を清め、家内安全や無病息災などを祈願する。
 昔から、男はふんどし姿、女は腰巻きで参拝していたといわれており、「中山さんは、良い神よ 着物がなければ、裸で良い 草履がなけりゃ、裸足で良い」という歌が残されている。
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2007/5/18


今尾の左義長 Imao-no-sagicho Imao-no-sagicho

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 「今尾の左義長(いまおのさぎちょう)」は、毎年二月一一日に秋葉神社で行われる。旧年の神札や新年用の門松、しめ縄を焼き、日(火)の神を迎え、大地を暖め万物の成育を祈る行事で、別名「どんど」とも呼ばれる。県の重要無形民俗文化財に指定されている。
 各氏子組が枝や葉が付いたままの青竹を鼓型にして、直径2m、高さ6m、重さ2tの青竹神輿を作る。当日は、化粧をした若衆連が長襦袢に白足袋姿で町内を練り歩き、神輿に火が点けられる。
 轟々と炎の上がる神輿を担いだまま、若者達が町を駆け巡り乱舞する荘厳なこの火祭りでは、燃え残りの青竹は火難や雷除けのお守りになり、残り火で焼いた餅は病魔除けになると言い伝えられている。
 城下町今尾に、今なお400年の伝統が受け継がれていることを垣間見せてくれる祭りである。
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2007/4/26


足袋 Tabi 

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 足に履く衣類であり、日本の伝統的な履物である下駄、草履や雪駄などを履く際に用いられるため親指と他の指とに指先が分かれている。袋状の形をしたもので、足首を紐や金具で留める。
 中国から伝わった木靴を履く際に用いた下沓(しとうず)という靴下が元とも言われているが、明らかではない。元々は皮で作られていたが、江戸時代、明暦の大火(めいれきのたいか)により皮が不足したことから木綿製のものが作られ、主流となったと言われる。
 多くの種類があり、白足袋は礼装用他、能舞台、土俵、弓道場などに上がる際にも用いられる。
 色柄を用いた柄足袋は様々な美しい文様があり、着物や帯にあわせ選ぶことができる。
 地下足袋(ぢかたび)は最も用いられている足袋である。ゴム引きの底を持つ丈夫さと柔軟さが細かい作業に向くとされ、鳶(とび)などの職人に広く愛用されている。いずれも日本独自のものであり、現在も広く用いられている。
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2007/4/3


武州正藍染 Bushuu-syouai-zome 

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 羽生市近辺に、藍染の技術が伝えられたのは、天明年間(1780年代)といわれる。かつて、青縞(武州紺)と呼ばれる綿織物が盛んに生産され、活発に取り引きが行なわれた。
 青縞は藍染めした木綿糸で織った織物の事で、野良着や足袋などに用いられていた。その後、「武州型染」や唐棧織と藍染を組み合わせた武州唐棧(ぶしゅうとうざん)などの製品も作られるようになった。
 藍染めは、藍玉を自然発酵させた藍染め液で染めるため、洗えば洗うほど色が冴え、風合いが増してくる。
 埼玉県指定無形文化財である。
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行田足袋 Gyoda-tabi 

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 江戸時代の明和2(1765)年の「木曽東海両道中懐宝図鑑」という本に、「忍のさし足袋名産なり」とあり、行田の足袋が名産品だったと記されている。 「さし足袋」とは刺子にした足袋のこと。
 行田は木綿の産地でもあり、近くに中山道が通っていたことで、旅行や作業用の足袋づくりが盛んになったと考えられている。
 明治時代になるとミシンが使われるようになると、足袋の生産量は増大し、更にミシンの動力化も進み、名実ともに行田の足袋は日本一となった。
 現在では、足袋を履く機会も少なくなってきたが、結婚式や七五三、成人式などの儀式の時、正装に和服を着る人など、需要が尽きることはない。
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2007/3/5


黒丸踊り Kuromaru-odori 

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 黒丸踊りは、500年の歴史をもつ豊年感謝の踊りで、長崎県の無形文化財。
 由来は、第16代領主純伊公が戦いに敗れ流浪し、6年後の文明12(1480)年、大村領を奪回したとき、その戦勝を祝って舞ったのが起源とされている。
 踊りの中心になるのは、紺色の尻切りトッポを纏った大太鼓の6人。い、手甲きゃはん、紺足袋にわらじを履き、向こう鉢巻で大太鼓を抱く。そのうち4人が大花篭を背負い、舞う。大花篭は長さ約3メートルの竹81本にそれぞれ15個の梅の造花が付く。大きな花輪が舞う姿は勇壮、華やかで見る人を楽しませてくれる。
 また花輪の下に入ると幸福になれるといういわれもある。
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2007/2/9


麓山の火まつり Hayama-no-himaturi 

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 富岡町を代表する祭礼で毎年8月15日に行われ350年の伝統があるまつり。
 白足袋・褌すがたのおとこたちが夕闇のなか、御神火を受けた松明を担いで「センドーセンドー」の掛声とともに麓の社殿から頂上の奥之院を目指す。
 豊作祈願のために麓山の神にささげるのだといい、頂上で万歳三唱。休む暇もなく一気に駆け下り神社の廻りを33回廻るという。
 祭りの朝、神社の周辺に住む氏子の人々が各家でとれた農作物を手に神社に集まり、75膳のお供えをし、神主の祈祷を受ける。
 これは、七十五膳と呼ばれその年の豊穣に感謝する風習である。
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