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2007/10/12


エビラ沢の滝 Ebira-zawa-no-taki 

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 エビラ沢の滝(えびらざわのたき)は、神奈川県相模原市津久井町青根にある落差15mの滝である。やまなみ五湖・水のある風景36選のひとつに選ばれている。
 エビラ沢は神ノ川支流にあり、滝は林道の脇にすぐ見つけることが出来る。
 素直な直瀑の滝で、水は非常に澄んでいて、透明度は抜群である。
 黒く光る岩肌を流れ落ちる水音は迫力があり、あまり高くはないが、水量が多く立派な姿を誇る。
 緑の玉を抱いて観音経を唱えながら滝に打たれていると、玉の中に御霊が入ったという、不思議な言い伝えが残されている。
 現在は、滝の前にベンチやあずまやなどが設置された園地があり、展望用のウッドデッキも整備されている。
 エビラ沢の滝は、誰でも気軽に見ることが出来る憩いの滝である。
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2007/9/28


飛騨春慶 Hida-syunkei Hida Shunkei Lacquer Ware

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 飛騨春慶(ひだしゅんけい)は、岐阜県高山市、飛騨市に伝わる伝統工芸品である。
 慶長一一(1606)年、高山城下で神社・仏閣の造営にあたった大工の棟梁・高橋喜左衛門が、たまたま打ち割ったさわらの柾目(まさめ)を発見した。
 そこから美しい枇目(へぎめ)の盆が塗り上げられ、色調が茶器の名品で加藤景正の飛春慶に似ているところから、春慶塗と名付けられたと伝えられる。
 透明で木肌の持つ美しさをそのまま活かすところに特徴があり、軽やかな風合いと気品の高さが好まれ、光を当てると透明の漆を通して木目が黄金色の光を放ち、使用するにつれてその光沢が増していく。
 飛騨春慶は、線と円とで立体的な美しさを表現する、優雅で繊細な伝統工芸品である。
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2007/5/22


墨壷 Sumitsubo 

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 大工道具、である。しかしながら単なる道具の域を超えた、造形的に芸術品と言えるようなものも存在している。
 用途は、木材にまっすぐな線を描くことだ。「墨付け」あるいは「けがき」と言う。「池」と呼ばれるくぼみの中に墨を含んだ綿が入っており、その間を通って引き出された墨糸をピンと張り、木材を打つように指で弾くことによって真っ直ぐな線を描く道具である。
 墨付けから工事が始まり、また仕上がりの良し悪しも墨付けの正確さが決定することから、墨壷には機能性とともに仕事の成功を願う職人の気持ちが込められるのだ。
 奈良・東大寺南大門の梁の上で見つかった有名な「忘れものの墨壷」は、実は大切な大工道具を敢えて置いて行ったと思われる当時の棟梁の、恐らく最後の仕事の証でもあり、南大門を守り続けて欲しいという職人の願いの象徴でもあったのだろう。
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2007/5/8


SUMITSUBO /chest, box low, desk Sumitsubo /chesuto, bokkusu rou, desuku Sumitsubo/ chest, box low, desk

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 大工道具には欠かせない墨壺(すみつぼ)の名をもつテーブル。入れ子の箱のようにデスクとチェスト、またはボックスを組み合わせることができる。
 着色にはその名のとおり墨を使用し、扱う際に墨の色が付かないように定着させる技術が施されている。
 かつて大工達は糸に墨をつけ木に直線を引いた。木に染めこまれた墨の記憶が美しい。
 
■SUMITSUBO
・メラピー材無垢 墨染め仕上
・chest
 950×430×305mm
 box low
 950×405×205mm
 desk
 1200×405×380mm
・デザイン・小泉誠
■プロデュース
 ubushina 立川裕大
[→より詳しい記事を見たい方はこちら]
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2007/4/9


萩往還 Hagi-oukan 

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 萩往還は山口県萩市、山口市、防府市を結ぶ街道である。
 慶長九(1604)年、萩城築城の後、毛利輝元により参勤交代の御成道として造られた。
 城下町萩から瀬戸内の三田尻港までの全長約53キロのほぼ直線の道路であり、重要な用途のため、街道幅二間(約4メートル)の大道として整備された。国指定史跡、歴史の道百選に指定されている。
 大名だけでなく、庶民にも用いられた交通路だったが、山越えの峠などが多く、厳しい道であったとされる。
 幕末には多くの志士が往来に利用するなど役300年の間、歴史上においても重要な役割を果たしていた。明治以降は一部は廃道となったが、昭和五十六年頃から保存、整備が行われ復興される。
 当時に思いをはせ歴史の流れを感じられる場所である。
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2007/1/26


弘前城 Hirosaki-jo Hirosaki Castle

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 津軽統一を成し遂げた津軽為信(つがるためのぶ)によって慶長八(1603)年に計画され、二代信牧(のぶひら)が慶長十五(1610)年、築城に着手し、慶長16(1611)年に完成。以後、津軽氏の居城として、廃藩に到るまでの260年間、津軽藩政の中心地として使用された。
 本丸、二の丸、三の丸、四の丸、北の郭、西の郭の六郭からなる面積約49.2haの平山城で、築城から約400年を経た現在も、天守、櫓、城門、三重の水濠等の築城形態の全貌を遺す城跡として今日保存されているのは全国でも類例が少ない。
 三重の小規模な天守ながら、南北に長く直線状に続く石垣の南端に建つ姿は、春は桜、夏は月、秋は楓、冬は雪と四季の妙なるたたずまいを見せる。
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2007/1/18


三春駒 Miharugoma Miharu-goma Horse Toys

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 福島県田村郡三春町の伝統工芸品・郷土玩具。日本三大駒(青森県の八幡駒、宮城県の木下駒、福島県の三春駒)のひとつとしても知られる。
 平安時代の武官、坂上田村麻呂が蝦夷征伐の際に苦戦していたところ、どこからともなく現れた木馬に助けられた、という伝説から生まれた子供の玩具「子育木馬」が発祥とされる。
 白駒と黒駒があり、彩色は赤、黒、金色と鞍の紺。馬産地として知られた三春ならではの、たくましい馬体が特徴で、馬への深い愛情が感じられる。
 鋸(のこ)で切り目を入れて顔合わせの二個組みを作り、次に後頭部に当たる中心にノミを入れて割り、仕上げている。
 様々な飾りをつけた若駒を一刀彫りの直線により力強く表現した特徴ある形が現在の姿。
 白馬と漆黒の馬が対で並んでいると、飾り気のない風情が実に愛らしい。
 福島競馬場のゴール板の上には、三春駒が飾られている。
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2007/1/10


むぎや祭り Mugiyamatsuri Mugiya Festival

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 毎年9月中旬の2日間に富山県南砺市で行われる民謡行事「むぎや祭り」。哀調沁みる麦屋節ときびきびした直線的な振りは格調高く、凛とした風格が窺える。
 約800年前、権勢と栄華を極めた平家一門は屋島・壇の浦の合戦に敗れてついに滅亡。平家一門は安住の地を求めて人里離れた越中五箇山に住み着いた。都をしのび農耕の合間に唄い踊ったのが「むぎや節」の起こりと伝えられる。発祥は能登半島の輪島で、素麺作りの際に唄われていた作業唄であったという。能登と越中を往来した麦商人や、輪島素麺の職人などにより、能登麦屋節や「まだら」という祝儀唄が、越中の礪波平野を越え、五箇山へ入り、越中麦屋節になったとみられる。
 現在では一般市民のパフォーマンスを競うイベントも開催、城端別院善徳寺境内に設置された特設ステージでむぎや踊り競演会が行われる。
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