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日本三景の一つ、宮城県の松島の中にあり、海岸側の小島に建っているのが、五大堂である。
伊達家の菩提寺である瑞巌寺の附属寺院で、慶長九(1604)年に伊達政宗により再建されたものであり、国の重要文化財に指定されている。
その興りはおよそ千二百年も前の大同二(807)年、坂上田村麻呂が奥州遠征の際に、毘沙門堂をこの地に建立したのが始まりとされる。
その後の天長五(828)年に慈覚大師円仁(えんにん)が瑞巌寺の前身である延福寺を創建した際に堂を設け、大聖不動明王を中央に東方降三世(ごうざんぜ)、西方大威徳(だいいとく)、南方軍荼利(ぐんだり)、北方金剛夜叉(こんごうやしゃ)と五大明王像を安置したことより、五大堂と呼ばれることとなった。
本尊は秘仏とされ、三三年に一度、ご開帳が行われるが、お堂そのものは公開されている。
五大堂へと続く朱に塗られた橋を渡れば、日本三景の絶景と共によりいっそうの風情を楽しむことが出来るだろう。
伊達家の菩提寺である瑞巌寺の附属寺院で、慶長九(1604)年に伊達政宗により再建されたものであり、国の重要文化財に指定されている。
その興りはおよそ千二百年も前の大同二(807)年、坂上田村麻呂が奥州遠征の際に、毘沙門堂をこの地に建立したのが始まりとされる。
その後の天長五(828)年に慈覚大師円仁(えんにん)が瑞巌寺の前身である延福寺を創建した際に堂を設け、大聖不動明王を中央に東方降三世(ごうざんぜ)、西方大威徳(だいいとく)、南方軍荼利(ぐんだり)、北方金剛夜叉(こんごうやしゃ)と五大明王像を安置したことより、五大堂と呼ばれることとなった。
本尊は秘仏とされ、三三年に一度、ご開帳が行われるが、お堂そのものは公開されている。
五大堂へと続く朱に塗られた橋を渡れば、日本三景の絶景と共によりいっそうの風情を楽しむことが出来るだろう。
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