NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/2/19


双六 Sugoroku 

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 双六(すごろく)は、中国、朝鮮を通り日本へと伝わったといわれる。雙六とも書き、読みは同じだが、意味は別である。
 本来あったのは雙六の方で、今では盤双六と言われている。複雑なルールを持つ、サイコロを2つ使うボードゲームであり、江戸時代まではよく遊ばれていた。
 一方の双六の方は、絵双六と言われ、後世に誕生した。絵を描いた紙の上に一人一つの駒を置き、サイコロを1つ使うという単純な遊びで、今では一般的に双六と言えばこちらを指す。
 双六はゲーム開始から終了までが長く、運次第で誰でも勝者になれる事や、勝敗が分かりやすいという特徴から、古くはギャンブルとしても遊ばれていた。
 双六は、子供から大人まで、誰もが楽しめる単純で楽しい遊びとして、今でもよく行われている遊戯である。
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2007/2/15


香道 Kou-dou The Art of Burning Incense

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 香道とは香木を炊いて、その香りを楽しむ日本独自の芸道である。
 香木は仏教の伝来と同時期に日本に伝来し、儀式や衣服、髪に炊き込める風習を生んだ。その後、室町時代中期に茶道、華道と同じく現在の形に整えられたとされる。
 基本的な流れとしては香を炊く香炉に香木を薄く切り入れ、その香炉を一座に回して、香りを鑑賞する。
 他の芸道と異なるのは、香とゆかりの古典や和歌になぞらえて香りを当てるゲーム的な要素があることだが、勝敗よりも香りを楽しむのが本道である。
 文学の知識、礼儀作法、書や道具への造詣など様々な要素が組み合わされた奥深い芸道であり、多くの愛好家に好まれている。
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2007/2/13


百人一首 Hyakunin-issyu 'Hyakunin-isshu'

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 鎌倉時代の歌人・藤原定家が百人の歌人の優れた和歌を年代順に一首ずつ、百首選んだもので、古今集や新古今集などから選ばれている。宇都宮蓮生の京都嵯峨野の別荘・小倉山荘の襖色紙に載せる依頼を受けたのがきっかけとされ、当初は「小倉山荘色紙和歌」や「嵯峨山荘色紙和歌」と言われていた。通称「小倉百人一首」と呼ばれる。
 これにならって、百人の歌人の和歌を一首ずつ集めて作られる私撰集も数多くあり、「後撰百人一首」、「源氏百人一首」、「女房百人一首」などがある。
 さらに小倉百人一首をもとにして作られたた歌歌留多(うたかるた)もあり、その歌留多を用いて行われる遊びは、江戸時代中期頃から盛んになり現代に至る。
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花火 Hanabi Fireworks

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 夏の夜の風物詩を彩る花火は、職人が火薬と金属の粉末を混ぜて包むものだが、火花に色をつける為に、金属の炎色反応を利用して、混ぜ合わせる金属の種類により様々な色合いの火花を出している。
 紀元前3世紀の中国で爆竹が使用されたのが起源とされ、6世紀頃に火薬が使われる様になるのと同時期に作られはじめたと考えられている。はじめの頃はロケット花火の様なもので、敵陣に打ち込んで火事を起こしたり、相手を威嚇したりといった、武器とはっきり区別が出来ないものもあった。
 日本で花火が製造される様になったのは、16世紀の鉄砲伝来以降で、1714年の「宮中秘策」によれば、1613年に徳川家康が江戸城内で花火を見物したという記述がある。「花火」という語が使われ、花火が使われたと分かる最も古い記録である。
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2007/1/24


見附島 Mitsuke-jima Mitsukejima Island

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 能登内浦海岸にある小さな島。高さ約三〇メートル。その形から、別名軍艦島とも呼ばれている。引き潮の時間には、歩いて渡ることもできる。
 見附島の名前の由来は、かつて弘法大師が佐渡から能登へ布教の旅を続けていたとき、最初に見つけた島であり、故に、この名前がついたと伝えられている。
 見附島の頂上には神社が祀られ、漁業を生業とする者の信仰を集めた。かつては春祭りが大々的に行われていたが、今は対岸で氏子が祝詞を奉じるだけとなっている。
 現在は、キャンプ場や海水浴場などが整備され、名勝地としての見附島の顔と、レジャーが楽しめる能登内浦海岸の二つの面を持つ。
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2007/1/18


雪見船 Yukimisen Snow-Appreciation Ship

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 滋賀県の琵琶湖で早春の風物詩「長浜盆梅展」の開催とともに、南側の大津港と北側の長浜港を運航する高速船「リオ・グランデ」は、3月上旬(琵琶湖開きの前日)まで琵琶湖の冬景色を楽しむ「雪見船」として運航されている。
 この「リオ・グランデ」は、1980年5月5日に、滋賀県とブラジルのリオ・グランデ・ド・スール州が、琵琶湖とパットス湖という湖がとりもった縁で姉妹県州協定を結んだ事と、大きな川という意味のリオ・グランデをとって命名された。
 暖かい船内は、1階と2階それぞれに2〜8人掛けの席があり、ゆったり座る事が出来る。雪化粧した湖国の冬景色を楽しみながら、名所案内や琵琶湖の魚、鳥、歴史、名産などの説明が放送されるので、勉強にもなる。
 途中、幾つかの港に寄港しながら、片道2時間程かけて運航されているので、湖国の宿でゆっくり過したり、催し物に出掛けたり出来る。
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2006/11/29


前沢碁盤店 Maezawa-gobanten 

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 前沢碁盤店は、碁・将棋盤ひとすじに創業130余年の歴史を誇る老舗だ。創業は明治の初期。初代は江戸時代からの職人で、その碁盤造りにかける厳しさは凄まじかったと今でも語り継がれているという。現当主は4代目前沢道雄。その職人気質は、平成の今も変わらず、曽祖父から祖父、そして父から受け継いだ伝統の技を現代に受け継いでいる。
 昔と変わらず、1品1品すべて手作りで、長い時間と思いを込めて仕上げる。素材は厳選された日本産榧(かや)。10年以上寝かせ、匠の眼にかなった熟成されたものしか使わない。難関をくぐった最高の品質がここにはある。
 皇室の「深曽木の儀」でつかわれる碁盤は、昭和39年に前沢碁盤店から献上したものである。
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