NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/5/31


霞城公園 Kajyou-kouen Kaijo Park

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 城下町である、山形県山形市にある「山形城」跡地にある公園。
 近年になり、城の復元に力を入れている。「山形市制100周年」には「大手門」が復元され、年に2回公開され、人気となっている。
 1356年に斯波兼頼が楯を築いたのが、最山形城の最初といわれる。その後、子孫の最上義光が1592年から約13年をかけ、改築を手がけ、現在の山形城の原型を作った。
 57万石の領地を持つようになった後、12人の城主が入部した。
 当時の建造物としては、石垣や堀が残っており、その面影を残す。
 また済生館と呼ばれる、城跡とは趣の違う洋風の建物などがある。
 現在は「桜の名所」としても知られシーズンには花見客などで賑わい、人々に親しまれている公園である。
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2007/1/22


金沢城 菱櫓 Kanazawajyo Hishiyagura Kanazawa Castle Hishi Turret

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 かつて菱櫓は、金沢城の大手と搦手(からめて)、つまり裏門を見張る櫓であった。
 櫓とは矢の倉ともいわれ、武器倉庫であることが多いが、菱櫓は見張りの役割を担っていた。
 高さ一一.七メートルの石垣の上に建てられた菱櫓。それ自体は三階建てで約十七メートルあり、併せて三〇メートル近い威容となる。
 菱櫓の名前の由来となったのは、建物の平面の形である。
 菱形になっており、四隅の内角は八〇度と一〇〇度。柱はおおよそ一〇〇本あるが、それらも全て菱形になっており、建設には高度な技術を要する。
 この菱櫓と橋爪門続櫓をつなぐのが、五十間長屋である。
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2007/1/18


長浜城 Nagahama-jyo Nagahama Castle

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 織田信長が浅井長政の居城の小谷城を攻めた際、横山城を守る木下藤吉郎(後の豊臣秀吉)が、小谷城が落城する直前にお市と3人の娘を救出した話は有名。
 1573年9月、浅井氏が滅亡すると、藤吉郎は戦功により領地を与えられ、羽柴秀吉と名乗り、はじめての城持ちの大名に出世した。
 翌年、今浜に城を造り始める。小谷城で使われていた資材や、竹生島に隠されていた材料を見つけ、それらを使用して造られた。
 1575年秋頃、城が完成すると地名を今浜から「長浜」に改め、小谷城から移り住んだ。この頃の秀吉は、信長の先兵として長浜城から北陸や中国地方に攻めに行っていた。
 1582年、信長の亡き後、柴田勝豊が城主になるが、すぐに取り返し、賤ヶ岳合戦の拠点にした。
 その後、数々の武将が城主になるが、豊臣氏滅亡により取り壊され、石垣など多くの材料は彦根城の建設に使われた。
 現在の長浜城は、市民の熱意と寄付金などで1983年に建設され、歴史博物館として開館した。
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2007/1/17


瑞龍寺 Zuiryuji Zuiryu-ji Temple

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 端龍寺(ずいりゅうじ)は富山県高岡市に位置し、江戸初期の禅宗寺院建築として高い評価を得ている寺だ。回廊式禅宗伽藍は全国一、と誉れ高い。
 加賀二代藩主前田利長の菩提を弔うために、三代藩主利常により建立された。17世紀、利長は当時「開野」と呼ばれていた荒野に城を築き、近郊より町人、商人を集めて町立てをし、職人を呼び寄せるなどして一代で百二十万石の財力を築き上げた。
 利長の義弟、加賀藩三代目藩主の利常は百二十万石を譲り受けたことに恩義を感じ、時の名工山上善右衛門嘉広をして七堂伽藍を完備した端龍寺を開山したのだった。
 約20年もの月日をかけて造営、壮大な伽藍は豪壮にして典雅な美しさを持ち、見る者を圧倒する。現在では仏殿、法堂、山門が国宝に、総門、禅堂、高廊下、回廊、大茶道が重要文化財に指定されている。
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2007/1/9


うだつの街並み Udatuno-matinami Streets Featuring Udatsu

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 うだつの街並みとは、徳島県の脇町などにある町並みのことである。文化庁の重要伝統的建造物群保存地区の指定を受けている他、建設省の日本の道100選、都市景観100選にも選ばれている。
 うだつとは、一階の軒の上についた白い漆喰部分で、本来隣家との境に設けた防火壁として造られた物だが、後には装飾的な意味に重きが置かれるようになり、瓦をつけるなど豪華になっていった。
 関西を中心に商家の屋根上には競って立派なうだつがつけられた。「うだつが上がらない」というのはここから生まれた言葉である。
 脇町は1988年、市街地景観条例を制定するなど保存対策を進め、保存地区を決定した。文化庁はこれらの事を受けて、全国で28番目の町並みとして選定した。
 うだつのある街並みは、庶民文化の歴史と落ち着き、郷愁を思い起こさせてくれる場所である。
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