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2008/6/6


生子神社の泣き相撲 Ikiko-jinja-no-naki-zumou 

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 生子神社(いきこじんじゃ)の泣き相撲は、栃木県鹿沼市樅山町で開催される祭りである。
 毎年9月19日(日曜日でない場合は次の日曜)を大祭日と定め、子供の健やかな成長を祈願して開催されている奇習行事であるという。
 安産子育の守護神を奉る生子神社の境内に土俵を組み、力士に扮した地区の氏子が東西の土俵から、幼児をそれぞれ抱き上げて「ヨイショ、ヨイショ」の掛け声のもと高く振り上げ、先に泣いた方が勝ちとするもの。これは古来から「泣く子は育つ」と言われる縁起にちなんだものと言われる。
 泣き相撲は、文久年間(1861)より行われ、縁起を担いだ習俗が奉納相撲に取り入れられたものだとされる。
 昨今では広く氏子以外からも講員を募っているため、近隣は元より首都圏からの参加も多く、勝ち負けは関係なく双方に勝ち名乗りをあげることもあるようだ。
 現在は、鹿沼市無形文化財・国選択無形民俗文化財に指定されているという。
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2007/8/9


松川だるま Matsukawa-daruma Matsukawa Daruma Doll

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 仙台張り子の中でもよく知られているのが、松川だるまである。
 本毛の眉、ガラスの目、顔の周囲は海の青を表す群青色で彩色されている点が特徴である。
 腹部には浮き出しにした宝船や福の神、松竹梅、えびす大黒、滝のぼり、一富士二鷹三茄子、などの様々な縁起物が描かれていて、信仰の対象、縁起物として親しまれている。
 このような豪華絢爛な現在の様式に改良したのは、明治の仏師二代目面徳・高橋徳太郎(天保一(1830)年~大正二(1913)年)。
 古くから仙台庶民に親しまれてきたこの松川だるまは、今から約170年ほど前、伊達藩の藩士・松川豊之進が創始したことにより名付けられたという説が有力である。その後、藩内下級武士らの内職として制作されていた。
 最初から両方の黒目が塗られているのは、伊達政宗に配慮して、という説もある。
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2007/5/16


縁起物 達磨 Engimono Daruma 

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 達磨は禅宗の開祖とされ、菩提達磨(ぼだいだるま)・達磨祖師(だるまそし)・達磨大師(だるまたいし)とも呼ばれている。「ダルマ」というのは、サンスクリット語で「法」を表す。
 「達(ダチ)」を「ダル」と読むのは、中古漢語の入声「t」が朝鮮語漢字音で流音「l」に変化したため。達「dat」は朝鮮半島で「dal」に変わり、その音が日本に伝わったといわれる。
 達磨が面壁九年の座禅によって、手足が腐ってしまったという伝説があることから、玩具としての達磨ができ、縁起物として現在も親しまれている。底を重くして倒れても自然に起き上がるように工夫され、江戸時代中期頃から作られはじめた。 
 また、達磨が赤く塗られているのは、子供の疱瘡除けのおまじないとされている。
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2007/4/26


縁起物 熊手 Engimono Kumade 

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 熊手は、鷲が獲物をわしづかみすることになぞらえ、その爪を模し作られたとされる。「福徳をかき集める、鷲づかむ」という意味が込められている、縁起物の代表である。
 「酉の市」の日には、おかめや招福の縁起物を飾った「縁起熊手」を売る露店が立ち並び、市を開催する寺社からは小さな竹熊手に稲穂や札をつけた「熊手守り」が授与される。福を「掃き込む、かきこむ」との洒落にことよせ、「かっこめ」とも呼ばれている。
 熊手は熊手商と「買った(勝った)」、「まけた(負けた)」と気っ風の良いやり取りを楽しんで買うものとされ、商談が成立すると威勢よく手締めが打たれる。また年々大きくしてゆくものとされており、大小様々なものが売られている。
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縁起物 招き猫 Engimono Manrkineko 

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 「招き猫(まねきねこ)」は、お寺の和尚が愛育している猫に向かい「汝我が愛育の恩を知らざれば何か果報を招来せよ」と言い聞かせ幾月日が過ぎたある日、その猫が、寺の前を行進する武士の一行を手招きして誘ったことが起源とされる。和尚が茶などを差し向け説法している内に、天は曇り、夕立ちは激しく降り、雷鳴が轟いた。この一行の家老は、猫に招き入れられたことから、雨をしのぎ、更に和尚のありがたい法談にあずかることができたと大いに喜んだという。以来、この寺は繁盛し、吉運が開いた。
 玄関や商店の店頭に飾ると、開運招福、商売繁盛をもたらす招き猫。白猫は「福を招く」「吉兆招福」。左手は、「金運招福」、右手は「千客万来」を招き、黄色の招き猫は「開運招福」といわれ、黒の招き猫は「無病息災」の縁起物とされている。
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2007/2/19


双六 Sugoroku 

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 双六(すごろく)は、中国、朝鮮を通り日本へと伝わったといわれる。雙六とも書き、読みは同じだが、意味は別である。
 本来あったのは雙六の方で、今では盤双六と言われている。複雑なルールを持つ、サイコロを2つ使うボードゲームであり、江戸時代まではよく遊ばれていた。
 一方の双六の方は、絵双六と言われ、後世に誕生した。絵を描いた紙の上に一人一つの駒を置き、サイコロを1つ使うという単純な遊びで、今では一般的に双六と言えばこちらを指す。
 双六はゲーム開始から終了までが長く、運次第で誰でも勝者になれる事や、勝敗が分かりやすいという特徴から、古くはギャンブルとしても遊ばれていた。
 双六は、子供から大人まで、誰もが楽しめる単純で楽しい遊びとして、今でもよく行われている遊戯である。
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福笑い Fukuwarai 

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 福笑いの起源は明らかになっていない。江戸時代後期から遊ばれ始め、明治時代にはお正月の遊びとして定着した。
 遊び方は、顔の輪郭を描いた紙の上に、布などで目隠しをされた者が切り抜いた眉、目、鼻、口などを、正しいのではないかと感じる位置に並べていく。
 絶対的なルールはなく、「正確な位置に置いた者の勝ち」「面白い顔を作った者の勝ち」など、その時々で勝敗を決める。
 そもそも、勝敗を決めずに皆で顔の出来上がりを見比べるだけでも、十分楽しめる遊びである。
 代表的なものは「おかめ」「おたふく」であるが、軍人や、近年ではアニメキャラクターなども製作されている。
 福笑いは、一年のはじめの正月において、笑うことによって福を招くという伝統的遊戯である。
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2007/2/6


大分 姫だるま Ooita Hime-daruma 

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 「姫だるま」は大分県の伝統ある郷土玩具を代表する一つで、約300年前、豊後岡藩の禄高の低い武士の妻をモデルに作り始められたと云われる。この地方には古くから大正末期頃まで、正月の風習に各家にこの「だるま」を配り祝う行事があり、その頃はこれを「福女」「起き上がり」等と呼んだ。1月2日の未明、祝人(ホギト)が来て「やぁーおきあがり、おきあがり」と声を掛けながら、玄関や戸口に起き上がりこぼしを置いていく。祝人にはご祝儀を渡し、起き上がりは神棚や酒樽の上に飾ったとされる。
 現在作られている「姫だるま」は高さ7〜50センチの8種類。従来は「竹田の起き上がり」等と呼んでいたものを1956年から「姫だるま」と名付けられた。女のだるまは全国でも珍しく、人気を集めている。
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