NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/3/17


【無】 Mu Nothing, Nothingness

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 「無」は「舞」の初文(初めの字形)です。伝統的な「六書(りくしょ)」の分類に従いますと、「無」は文字の音を借りる仮借文字です。ただ、「六書」という分類方法は、漢字成立から千年後の当時の漢字を分析するためにつくられたものなので、それに基づいて漢字が発明されたという結論を導くことは誤解になりかねません。
 当たり前のことですが、基本的に漢字は象形文字なので「何もない」という意味を表すのは本来とてもできないことです。時代が下り人々の考えや思想の抽象化に仮借文字はとても役立ちました。仮借文字は自然にできたのではなく、約束や慣例の中から意味を与えられた文字のグループです。
 「無」が「舞」の初文であるという関係は甲骨文で分かります。実は人が踊り、袖に飾りがぶら下がっている形です。『論語・顔淵、第十二』には「… 遊於舞雩之下。」「… 舞雩の下に遊ぶ。」がみられます。「雩(う)」は雨乞いのための祭祀儀式の踊りや、神樂を舞う場所です。「無・ない」の意味は「雨がない」から生じたのではないかとも思われます。そういう風に理解しますと、仮借文字という後世の概念に頼る必要もなくなります。
 どちらにしましても、「無」が「家が火災に遭うことを写しているところから『何もない』という意味になる」という説明は当たりません。

 
■ 無・甲骨文(こうこつぶん)
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2007/10/19


おはじき遊び Ohajiki-asobi Ohajiki (Flat Marbles) Game

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 おはじき遊びとは、丸い平たいガラス玉を使用した、女の子に好まれる遊びである。
 直径が12ミリ前後の小さなガラス玉を指で弾いて遊ぶので「おはじき」と名付けられた。
 日本でおはじきを使った遊びが行なわれるようになったのは奈良時代の事で、この時代に中国から伝わった遊びとされている。古くは小石を用いて、石弾き(いしはじき)とも呼ばれていた。
 当初、主に宮廷での大人の遊びとして広まったが、江戸時代に入ってから女の子の遊びとして一般化し、明治時代後期に現在のガラス製のおはじきになった。
 遊び方はいろいろあるが、基本の遊びはおはじきを指ではじいて、当たったおはじきはもらえるというもの。最終的には、持っているおはじきの数で勝敗を決める。
 おはじき遊びは、おはじきの見た目の美しさとゲームの両方を楽しめる歴史のある遊びである。
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2007/4/26


地鎮祭 Jichin-sai 

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 地鎮祭は土木、建築工事などの起工の際に、その土地の神を鎮め、土地を利用されることの許しを得、工事の安全と家の無事を祈る神道の儀式である。土祭り、地祭り、地祝いなどとも言われる。
 準備として、整地された敷地の四方に斎竹(いみだけ)を立て、注連縄を廻らして祭壇を作り、神饌(しんせん)である米、塩と海、山、畑の幸を供える。
 場を清めた後、神職による御祓いを行い、地鎮の儀として土地に鍬(くわ)が入れられ、玉串(たまぐし)を神棚に奉じて終了する。
 地方により供えるものや儀式の詳細は異なるが、安全を祈願して土地に宿る神に許しを得る点は同じであり、神を身近に感じる日本に伝わる、古きよき伝統でもある。
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2007/2/23


花札 Hana-fuda 

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 日本にカードゲームが初めて上陸したのは安土桃山時代である。
 宣教師が伝えたとされており、日本のかるたの語源は、ポルトガル語のcartaからきている。
 天正時代(1573〜91)には既に国産のかるたが作られ、賭博として流行した。以後、為政者が禁止してはデザインを変え、禁止される度にデザインを変え、次々と新しいゲームが作られた。
 花札は、その過程で生まれた。花かるたとも呼ばれ、12ヶ月×4枚の48枚1組となっている。
 こいこい、花合わせ、八八といった遊び方が一般的であるが、地方カード、地方ルールも数多く存在する。
 花札は李氏朝鮮に渡り、韓国にも流入し、花闘(ファトゥ)と呼ばれ人気になっている。
 花札は、日本独自の伝統的カードゲームであり、今でも広く人々に愛好されている。
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囲碁 Igo Igo

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 囲碁は、碁盤と呼ばれる盤上にそれぞれが一色を持って白と黒のの碁石を交互に置いていき、自分の石で囲んだ領域の広さを争う二人用の対戦ボードゲームである。
 囲碁の起源は、紀元前後に中国で占星術が変化して、今の形となったと言われている。
 日本に伝わったのは奈良時代である。その頃から貴族・僧を中心に遊ばれ、日本中に広まった。
 江戸時代には碁会所が庶民の間に広まり、家元制度により囲碁が奨励され、本因坊家、安井家、井上家、林家の4家が争いあった。
 明治維新後に家元制度が崩れ、誰でも実力次第でプロ棋士になれるようになった。
 現在、漫画からの囲碁ブームにより、多くの若者も興味を持ちはじめ、囲碁は世界各国に広まっている。
 インターネット碁も盛んであり、本格的な囲碁の国際化が進んでいるといえよう。
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2007/2/19


双六 Sugoroku 

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 双六(すごろく)は、中国、朝鮮を通り日本へと伝わったといわれる。雙六とも書き、読みは同じだが、意味は別である。
 本来あったのは雙六の方で、今では盤双六と言われている。複雑なルールを持つ、サイコロを2つ使うボードゲームであり、江戸時代まではよく遊ばれていた。
 一方の双六の方は、絵双六と言われ、後世に誕生した。絵を描いた紙の上に一人一つの駒を置き、サイコロを1つ使うという単純な遊びで、今では一般的に双六と言えばこちらを指す。
 双六はゲーム開始から終了までが長く、運次第で誰でも勝者になれる事や、勝敗が分かりやすいという特徴から、古くはギャンブルとしても遊ばれていた。
 双六は、子供から大人まで、誰もが楽しめる単純で楽しい遊びとして、今でもよく行われている遊戯である。
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福笑い Fukuwarai 

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 福笑いの起源は明らかになっていない。江戸時代後期から遊ばれ始め、明治時代にはお正月の遊びとして定着した。
 遊び方は、顔の輪郭を描いた紙の上に、布などで目隠しをされた者が切り抜いた眉、目、鼻、口などを、正しいのではないかと感じる位置に並べていく。
 絶対的なルールはなく、「正確な位置に置いた者の勝ち」「面白い顔を作った者の勝ち」など、その時々で勝敗を決める。
 そもそも、勝敗を決めずに皆で顔の出来上がりを見比べるだけでも、十分楽しめる遊びである。
 代表的なものは「おかめ」「おたふく」であるが、軍人や、近年ではアニメキャラクターなども製作されている。
 福笑いは、一年のはじめの正月において、笑うことによって福を招くという伝統的遊戯である。
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2007/2/15


香道 Kou-dou The Art of Burning Incense

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 香道とは香木を炊いて、その香りを楽しむ日本独自の芸道である。
 香木は仏教の伝来と同時期に日本に伝来し、儀式や衣服、髪に炊き込める風習を生んだ。その後、室町時代中期に茶道、華道と同じく現在の形に整えられたとされる。
 基本的な流れとしては香を炊く香炉に香木を薄く切り入れ、その香炉を一座に回して、香りを鑑賞する。
 他の芸道と異なるのは、香とゆかりの古典や和歌になぞらえて香りを当てるゲーム的な要素があることだが、勝敗よりも香りを楽しむのが本道である。
 文学の知識、礼儀作法、書や道具への造詣など様々な要素が組み合わされた奥深い芸道であり、多くの愛好家に好まれている。
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