NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/5/17


中山道太田宿 Nakasendou Ootajuku Otajuku Post Town on the Nakasendo Highway

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 起点の板橋から数えて中山道六十九次の51番目にあたる「太田宿」は、中山道の三大難所の一つで知られる「太田の渡し」があり、飛騨街道と郡上街道の分岐点でもあったところから、大いに栄えた。東西680mに亘って続く町並みは、昔の景観を保っているので、宿場情緒を楽しみながら散策出来る。
 桝形を抜けて旧中山道の町並みに入ると、今は無くなってしまった本陣の門だけが左に残り、右には見学可能な脇本陣が残されている。通りに、ほど近い祐泉寺には滝場観音の伝説が残るほか、播隆上人の墓、坪内逍遥、北原白秋、松尾芭蕉の歌碑・句碑等が建っている。この太田宿を発つと、「太田の渡し」で木曾川を渡り、伏見、御嵩へと向ったのである。
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2007/2/12


般若寺 Hannya-ji 

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 奈良県奈良市にある寺。東大寺の北側に位置する般若寺。
 629年、高句麗の僧慧灌が、この地に「文殊菩薩像」を安置したのが始まりである。735年、聖武天皇の時、堂塔を造営するが、京と奈良を結ぶ街道であったため、幾度もの戦乱に巻き込まれた。
 学問道場の基礎を築いたと言われ、般若という学問の知恵を現す寺の名からも、学問への思いが伝わるものである。
 鎌倉期の建築様式をもつ楼門は国宝、楼門の奥正面にある十三重石塔は国の重要文化財に指定されている。
 春の山吹、10種10万本あるといわれる秋のコスモスが咲き誇る花の寺としても有名で、別名コスモス寺とも呼ばれるほどである。
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2007/2/9


大内宿 Oouchi-juku 

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 かつての会津西街道の宿場町。明治初期に大川沿いの国道が開通するまで繁栄した。
 現在も街道沿いに、約40軒の茅葺き民家が当時の面影を残して並び、国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。
 そこには昔ながらの家屋を生かした宿や食事処、本陣を復元した大内宿町並み展示館などがある。
 街道脇につづく茅葺き屋根の軒下には、民芸品やこの地方の特産品が所狭しと並び、山の物、川の物など自然あふれる様々な味覚をその場で楽しむことができる。
 会津地方の代表的な特産品のひとつに蕎麦があるが、大内宿では手打ちを見ながら、その場でおいしい蕎麦を食することができる。
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2007/2/8


今市石畳 Imaichi-ishidatami Imaichi Stone-Paved Road

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 今市石畳(いまいちいしだたみ)は、その昔、参勤交代道路であった肥後街道の一部。昭和四十七(1972)年に県史跡に指定された、貴重な交通遺跡である。大分県の野津原町に位置する。
 野津原町は、慶長七(1601)年から肥後領になり、現今市市や野津原地区は、幕末まで肥後藩の宿場町となっていた。街道にはお茶屋が軒を連ね、物資が行き交う拠点として栄えたという。その当時の面影を残すのが今市石畳。幅6メートルの道の中央に幅2メートル、長さ660メートルにわたり切石が整然と並べられ、往時の大名行列の姿を彷彿とさせる。
 今市石畳は、毎年8月に行われる「篭かきレース」でも有名だ。今市が昔宿場町だったことからその時代を再現し、趣向を凝らした衣装を身にまとい、篭を担いで駆けめぐるものである。
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2007/1/30


若宮大路 Wakamiya-ooji Wakamiya Road

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 若宮大路は、神奈川県鎌倉市小町にある、日本の道100選、及び神奈川の風景20選に選定されている参道である。
 若宮大路は、鎌倉市の由比ヶ浜から鶴岡八幡宮に通じる参道で、養和二(1182)年、源頼朝が妻・政子の安産祈願のため、京都の朱雀大路を参考に造ったものである。現在は神奈川県道21号横浜鎌倉線の一部となっている。
 途中3つの鳥居があり、由比ヶ浜側から一の鳥居、二の鳥居、三の鳥居と言う。
 二の鳥居から三の鳥居までの間は、段葛(だんかずら)と呼ばれる、盛土によって道の中央を一段高くする技法が使われている。遠近法によって実際の距離より長く見えるよう、鶴岡八幡宮側に道幅を狭くしているのである。
 若宮大路は、鎌倉の中心地として今も使われ続ける、鎌倉の住民に愛される道である。
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2007/1/26


立羽田の景 Tachihada-no-kei The Scenery of Tachihada

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 立羽田の景は、大分県玖珠郡玖珠町にある、景勝地である。
 別名日暮れの峠と言われる県道玖珠山国線沿いの立羽田の景は、約1kmにも及ぶ奇岩秀峰が連続する、裏耶馬渓の代表地である。紅葉の季節には赤に染まって素晴しい景観となる。
 折り重なり天を突き刺すように起立する岩峰や、岩壁を彩るツタやカヅラなどが見事で、岩脚に点在する農家の佇いや田園風景とよく調和し、まるで昔話の挿絵のようである。
 ワラビ・ゼンマイ・ウドなどの山菜に恵まれ、「ふれあい茶屋」では新鮮野菜やだんご汁など季節の味を満喫でき、散策を楽しむ観光客で賑わっている。柿の木や民家が風景にマッチして和み豊かな山里である。
 立羽田の景は、いつまで見ていてもあきない場所である。
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2007/1/25


城東の町並み Joto-no-machinami The Old Joto Area

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 旧出雲街道が通る岡山県の津山盆地は、城下町として古くから栄え、その町の東に宿場町があった。今は、「城東地区」と呼ばれ、酒造元、紙商、鎌商など格子造りの古い商家が軒を連ね、県の町並み保存地区に指定されている。
 津山城跡から旧出雲街道に沿って続く約1キロメートルの道が、保存の対象。出雲街道が城防備のために作った鍵曲り(かいまがり)と呼ばれる一種の迷路で屈折しながら東西に通る。低い軒先、格子戸、なまこ壁などといった昔ながらのたたずまいを見せている。
 見どころは、伝統的な建築法で再現された火の見やぐらや、町家「作州城東東屋敷」、江戸期から大正期までの建物が美しく調和した「城東むかし町家旧梶村家」など。
 映画「男はつらいよ」やドラマ「あぐり」のロケ地としても有名だ。
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備前おさふね刀剣の里 Bizen-osafune-touken-no-sato Bizen Osafune Touken Village

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 鎌倉時代から刀鍛冶の里として栄えた岡山県長船町。その興隆を今に伝える全国的に珍しい、日本刀専門の博物館「備前おさふね刀剣の里」。この地で誕生した鎌倉時代から現代までの名刀を展示している。 
 そのほか、1300度の高熱で玉鋼を熱し打ちのばす作業を公開している鍛刀場、刀身研ぎや鍔(つば)作りが見られる刀剣工房などがあり、刀剣づくりに関わるすべての工程を間近に見られる。
 備前が日本刀の産地として栄えたのは、まず良質な原料、燃料が手に入りやすい土地柄だったこと、次に山陰と山陽を結ぶ交通の要衝だったことが挙げられる。中国山地で採れる砂鉄は日本刀づくりに適し、強い火力を可能にする燃料、クヌギ系の木が自生していた。また、東西に走る山陽道は交通の機関だったため、刀づくりに欠かせない材料や燃料の流通が盛んだったという。
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