NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/11/1


智満寺 Chimanji Chimanji Temple

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 智満寺は、静岡県榛原郡川根本町にある曹洞宗の寺である。本尊は、八相釈迦牟尼如来、宝冠釈迦牟尼如来、千手観世音菩薩、厄除延命地蔵菩薩とされる。
 寺伝によると、創建は奈良時代で、鑑真の法孫にあたる広智という高僧が草庵を結んだのが始まりとされている。
 一説には、島田市の智満寺の末寺として奥大井に天台教学の拠点として開かれたとの口伝がある。
 延徳3(1491)年、駿河国・洞慶院より回夫慶文禅師を迎え、曹洞宗に改宗開山された。
 平安時代中期以降は、修験道の霊場である山岳寺院として栄え、戦国以後は今川・徳川氏に厚く信仰された。
 智満寺境内の十本杉は樹齢800〜1200年の古樹であり、国指定天然記念物となっている。
 智満寺は、澄んだ空気と絶景の地に建つ古刹である。
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静岡 霊山寺 Sizuoka Reizan-ji Shizuoka Reizanji Temple

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 霊山寺は、静岡県静岡市清水区にある古儀真言宗の寺である。本尊は千手観音立像とされる。
 天平勝宝元(749)年、行基により開山されたと伝わる。
 山腹に建つ仁王門と寺は東側の山中にあり、正慶年間(1332〜34)に、現在地に移転した。
 三十三曲と呼ばれる山道の先にある仁王門は、室町末期の建立とされ、県内でも最古の建築であり、国の重要文化財となっている。
 駿河七観音の一寺として古くから信仰され、本堂には行基の自作という千手観音が納められている。
 桜の咲く時期は、参道に咲く桜がとても美しく、大内から霊山寺を経て一本松公園まで登れるハイキングコースもある。
 霊山寺は、地元では「大内の観音さん」と呼ばれ、今も親しまれている寺院である。
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2007/10/12


高天神城 Takatenjin-jyou Takatenjin Castle Ruins

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 高天神城(たかてんじんじょう)は、静岡県掛川市にあった山城。国指定史跡となっている。
 築城時期は諸説あり定かではないが、16世紀初頭、駿河の守護・今川氏が遠江の斯波氏への対抗のために築城したと伝えられている。
 戦国期には「高天神を制するものは遠州を制す」といわれた要衝地であった。
 永禄一二(1569)年、今川氏が衰えると、徳川勢が占領し、小笠原長忠が城主となった。
 天正二(1574)年、武田勝頼の大攻勢により落城、そして天正九(1581)年、徳川家康が奪回に成功するが、以後この地域の拠点を横須賀城に移したため高天神城は廃城となった。
 現在、城址は良く整備されている。
 高天神城は、武田氏と徳川氏が覇権を争った激戦場である。
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駿河雛具 Suruga-hinagu Suruga Hina Doll Fittings

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 駿河雛具は、静岡県にて造られるひなまつりの飾り物である。
 針箱、茶道具、箪笥、長持、挟箱など、江戸時代の武家の豪華な嫁入り道具を模したものが雛具である。小さいながら実物と同じ様に作られているのが特徴である。
 16世紀、今川氏が静岡を支配していた頃には、駿河雛具は生産されていた。
 江戸時代になると、久能山東照宮や浅間神社の造営等をきっかけに、全国から集まった職人達が静岡に定着し、高度な技術を応用して雛具作りが発達していった。
 また、木地、漆、蒔絵、金具等の工程を分業化することで、手工芸でありながら大量の製品を作ることができたのも、駿河雛具の大きな特色である。
 駿河雛具は、湿気が多く温暖な気候と、江戸や京都等の大消費地の中間にあるという立地が幸いして発展した、伝統工芸品である。
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2007/4/20


逆井城 Sakasaijo 

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 逆井(さかさい)城は、茨城県坂東市逆井にあった城である。
 享徳五(1456)年頃、この地を知行した逆井常宗によって築城されたその後天文五(1536)年、北条氏康の命を受けた大道寺駿河守の攻撃により逆井常繁は討ち死、逆井城は落城した。
 天正五(1577)年、北条氏繁が藤沢より鋸曳き職人らを呼び寄せて大規模な改修を行い、現在も残る大規模な城郭となった。
 天正一八(1590)年、小田原の役後に廃城となる。
 現在、逆井城の跡は整備されて逆井城跡公園となっている。
 発掘調査によって物見櫓、主殿、門などを復元し、戦国時代の城の姿をリアルに再現している。また、歴史公園として、住民の憩いの場にもなっている。
 逆井城跡は、戦国期城郭の形態を知るための貴重な遺跡である。
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2007/4/19


静岡 松蔭寺 Shizuoka Syouin-ji Shizuoka Shoinji Temple

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 静岡の松蔭寺は、静岡県沼津市原にある臨済宗白隠派の古寺である。本尊は釈迦如来とされる。
 弘安2(1279)年、法嗣天祥和尚が開山、その後、慶安年間(1648年頃)に興津の大瑞和尚が再建して妙心寺派に属した。
 享保2(1717)年、白隠慧鶴が第5代住職となった。これが「駿河には過ぎたるものが二つあり、富士のお山に原の白隠」とうたわれた、白隠禅師である。
 白隠禅師は、自らに極貧の食事と厳しい修行を課した。この徳を慕い400人もの修行僧が全国より集まり、名声は天下に轟き、臨済宗中興の祖と仰がるるに至る。
 松蔭寺には白隠の書や墨絵が寺宝として残されており、なかでも「法華経注訳本」は県の重要文化財の指定を受けている。
 松蔭寺は、白隠禅師の菩提寺であり、今でも多くの者に慕われている寺である。
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神部神社 浅間神社 Kanbe-jinjya Asama-jinjya Kanbe Shrine / Asama Shrine

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 神部神社と浅間神社は、静岡県静岡市葵区にある神社である。同じ場所にある大歳御祖神社と合わせて、静岡浅間神社といわれる。
 神部神社は、駿河国開拓の祖神大己貴命を祭神として祀っている。崇神天皇の時代(紀元前100年頃)の鎮座と伝えられる。
 国府が定められてからは国司崇敬の神社となり、平安時代より駿河国の総社とされていた。
 浅間神社は、木之花咲耶姫命を祭神として祀っている。延喜元(901)年、醍醐天皇の勅願によって富士山本宮より勧請され、以来冨士新宮として続いてきた神社である。
 その広壮華麗な社殿や宝蔵群は、「東海の日光」と呼ばれており、素晴らしい迫力である。
 神部神社と浅間神社は、共に古い歴史を持つ別々の神社であり、現在でも「おせんげんさま」として深く信仰されている。
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2007/4/13


黒田英一 Kuroda Eiichi Eiichi Kuroda

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 静岡県に伝わる伝統工芸品、駿河竹千筋細工(するがたけせんすじざいく)の伝統工芸士。
 1931(昭和六)年生まれ。駿河竹千筋細工の変形曲げを得意な技法とし、86年、伝統工芸士に認定された。91年、関東通産局長賞、2001年、関東経済局長賞、伝統的工芸品振興会会長賞など多数の賞を受賞する。
 駿河竹千筋細工は江戸時代初期、駿府に隠居した徳川家康が鷹狩を行なう際の餌箱を竹で編ませたのが始まりと言われる。以後武士の内職として作られ発展、明治時代には海外にも輸出され、人気を博した。
 この道60年の経験を持ち、しなる竹を自在に形作る。完成した作品はどこに出しても氏の作品であると判る程、独特な風合いを持つと言う。
 祖父の代から受け継いだ技法に更に磨きをかけ尽力している傍ら、
 現在は後継者育成のための技術・技法の伝承方法を確立し、業界振興を試みている。
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日本の美意識。

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