NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/9/4


野口鹿踊 Noguchi-no-shishi-odori 

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 野口鹿踊(のぐちのししおどり)は、宮城県仙台市太白区に伝わる、五穀豊穣、悪魔退散、家内安全を祈願する踊りだ。宮城県の民俗文化財に指定されている。
 もともとは盆の季節に先祖供養の踊りで、五色御幣(ごしきごへい)を配りながら集落の各戸を練り歩いていたという。
 他の地域の鹿踊りが白く長い角を付けた鹿に扮しているのに比べ、この野口鹿踊りは異形の鹿頭に五色御幣を背負い、太鼓を身につけて踊る。この鹿役の周りを道化面を付けた「ささらすり」が踊り、子供たちが鐘をならす。陰陽五行の古い信仰に基づいた姿形が、踊庭や装束などに残っている。
 
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2007/10/23


一迫町鹿踊 Ichihazama-chou-shishi-odori Ichihasama Shishi-Odori (Deer Dance)

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 一迫町鹿踊(いちはざまちょうししおどり)は、宮城県・一迫町で毎年7月に行われる、東北固有の文化・郷土芸能である。鹿の面を付けた演者が踊る、祖先供養を主とした魔よけの儀式で、400年以上昔から伝わる伝統芸能である。
 伝説によると、伊達政宗の時代、一迫町付近でひとりの猟師が岩倉山麓(いわくらさんれい)で、腹を叩きながら面白おかしく踊り狂う鹿の群れを目にし、あまりの楽しさにその輪に入って一緒に踊ったという。
 鹿踊では、雄鹿と雌鹿に扮した演者が、お互いの愛情を確認するシナリオに沿って狂喜乱舞数する踊りが披露される。
 一迫町鹿踊は、郷土色豊かな格調の高い神事。宮城県の無形民俗文化財にも指定されている。
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2007/10/11


宇和津彦神社 Uwatsuhiko-jinja 

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 宇和津彦神社(うわつひこじんじゃ)は延暦一一(792)年創建といわれる古社で、大国主命(おおくにぬしのみこと)と宇和津彦命(うわつひこのみこと)を主祭神とする。藩政時代には藩の総氏神として伊達家の崇敬を受け、南与地域の人々からは「一宮さま」と呼ばれ親しまれてきた。かつて社殿は宇和町内にあったが、伊達藩による宇和島城下の造成で現在地に移されたといわれている。本殿の様式は切妻造、檜皮葺。境内から見る宇和島城の姿が美しい。
 毎年一〇月二九日には宇和津彦神社秋季例大祭が行われる。この例大祭では、八ツ鹿踊り、牛鬼、獅子舞、槍振りなどの伝統芸能が繰り広げられる。特に、伊達氏とともに東北から伝えられ市の無形民俗文化財に指定されている八ツ鹿踊りが奉納されると、氏子らに代々受け継がれてきた牛鬼の先導する神輿が町を練り歩き、祭は佳境を迎える。
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2007/9/13


熊野本宮社 Kumano-honguu-sha Kumano Hongusha Shrine in Natori

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 名取市の高館には熊野信仰にゆかりの深い熊野本宮社(くまのほんぐうしゃ)がある。熊野信仰とは、熊野三山を聖地とする信仰のことで、同じ高館にある熊野那智神社、熊野神社新宮社とともに名取熊野三社のひとつに数えられる。
 熊野信仰は、神仏習合や浄土信仰の影響を受けて平安時代後期から盛んになった。高館山(名取山)を熊野連山に、名取川を熊野川に、仙台湾を熊野灘にみたて、奥州一の熊野信仰の場となっている。全国に熊野信仰に由来する神社があるが、三社が揃ってあるのはこの名取だけである。
 三社のなかで一番北に位置するのが本宮社である。平安末期、熊野権現を信仰していた老女のところへ山伏が尋ね、熊野の神のお告げを伝えた。保安四(1123)年、老女の勧請で創建されたという。本殿は木羽葺(こばぶき)で、落ち着いた風格である。
 本宮社には市の無形文化財の鹿踊りが伝わる。頭に鹿頭背を被り、赤地の旗には熊野本宮社、黄地の旗には五穀成就と記した二本の幟(のぼり)を背負った装いで踊る伝統的な芸態が伝承されている。
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2007/9/7


福岡の鹿踊・剣舞 Fukuoka-no-shishi-odori Ken-bai The Deer Dance and the Sword Dance in Fukuoka

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 福岡の鹿踊・剣舞(ふくおかのししおどり・けんばい)は、宮城県仙台市泉区に伝わる民俗芸能。
 剣舞は慶安ニ(1649)年に、鹿踊は寛政四(1792)年に、それぞれこの地の福岡村、現在の白石市に伝えられたといわれている。
 両者は一対の踊りである。当初は両方とも祖先供養のためのものであったが、後に、鹿踊は天災や自然からの難を逃れ五穀豊饒を願うため、剣舞は悪霊を退散させ、天下泰平を祈り演じられるものなった。
 装束、唯子、踊歌、舞振等の様式や慣行は古い修験道の信仰の形を色濃く残している。
 岩手県の南部から宮城県北部にまで広く分布する鹿踊の流祖ともされている。
 元和元(1615)年に伊達秀宗が四国宇和島藩主に任した時に伝えたといわれる鹿踊も、この踊りの特色を強く伝承している。
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2007/9/6


花巻まつり Hanamaki-matsuri Hanamaki Festival

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 岩手県花巻市で毎年九月の第二土曜日を中日として、三日間に渡って行われるのが花巻まつり(はなまきまつり)である。
 文禄二(1593)年、この町の開祖といわれる北松斎(きたしょうさい)を敬い、町民達が山車を作って町内を練り歩いたのが祭りの始まりといわれ、期間中、様々な行事が催される。
 唐竹を使った鯨を模したものから、やがて京都の「やかた」に似たものへと変貌を遂げ、今の絢爛豪華なものとなった「風流山車」。
 まつりを盛り上げる総勢140基を上回る「樽神輿」。
 町の平安を祈願し、悪霊を追い払う行事が舞踊化されたものといわれ、県の無形文化財にも指定されている「鹿踊り」。
 そして、京都祇園囃子の流れを汲むといわれ、大太鼓・小太鼓・笛・三味線が調和して祇園調を漂わせる中、千名もの踊り手たちによる優雅な「花巻ばやし踊り」の練り歩きなど、開催される三日間には祭りのエッセンスがこれでもかといわんばかりに凝縮されている。
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秋保大滝不動尊大祭 Akiu-ootaki-fudou-son-taisai The Grand Festival at Akiu Otaki Fudoson Temple

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 秋保大滝不動尊大祭(あきうおおたきふどうそんたいさい)は、宮城県仙台市太白区秋保町馬場の秋保大滝不動尊境内にて毎年4月28日~29日に行われている祭りである。
 秋保大滝不動尊は国指定名勝・秋保大滝の側にある真言宗智山派の寺で、開山は慈覚大師円仁によって平安初期にされた。山寺立石寺奥の院とされる。
 大祭では、国の重要無形民俗文化財に指定されている、平家の落人が伝えたとされる八~一五歳の少女が、1から10までの数え唄を歌いながら舞い踊る可憐な「馬場の田植え踊り」や、悪魔退散を祈るダイナミックな「野口の鹿踊り」などの郷土芸能が披露される。
 他に、滝原の顕拝やしゃくなげまつりも催され、山野草の展示即売なども行われる。
 秋保大滝不動尊大祭は、地域ならではの見所満載な祭りである。
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2007/8/31


清水目 八ッ鹿踊 Suzunome Yatsushika-odori 

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 清水目八ッ鹿踊(しずのめやつしかおどり)は、一迫(いちはさま)に伝わる伝統芸能で、長い「ささら」をつけて踊るのが特徴である。「ささら」とは、竹や木などを束ねて作製される道具のことをいい、舞踊などの時、装身具の一部としても用いられる。
 大変迫力のある踊りで祖霊供養を主とし、魔除の踊りでも知られている。伊達政宗の時代から一門の白河家より「おかかえじし」として保護育成された。
 古典的で勇壮な踊りとして、昭和四六(1971)年に県の民族芸能文化財に指定された。
 牡鹿の背には「行参」と書かれた文字が書いてある。仙台の藩祖伊達政宗がこの踊りを大変気に入り、毎年青葉城に来て踊るようにと「行参」という二字を賜ったからだ。また、伊達一門の九曜の星の紋を許され、格式の高い郷土芸能として受け継がれている。
 鹿踊(ししおどり)は福島・宮城・岩手・山形県に共通し、盆の祖霊供養に集落の各戸を巡ったという。
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