NIPPON Kichi - 日本吉

記事数16件: 1~8 件表示     >>     >|  

2008/10/23


帆布竹刀袋 Hanpu-shinai-fukuro 

Jp

 この帆布竹刀袋は、国産の8号帆布と天然皮革で創ったフリーサイズの2本入竹刀袋である。
 帆布は厚手の綿織物で、帆船の帆やテントなど、様々な用途で使用されている。張りがあり丈夫で、天然素材のため、風を良く通し中の物が蒸れない。
 使っているうちに柔らかくなり、馴染むと味が出てくるのが特徴で、時間が経つに連れて新品の時とは違った風合いになる。
 32や34など短い竹刀の場合、上部を折り曲げて固定する、小学生から大人まで使える竹刀袋で、素早く開閉できるマジックテープ式は便利であり、ファスナーをスッと開ければ誰でもスムーズに竹刀を取り出せる。
 鍔・鍔止めは上部ポケットに収納されており、背負い紐は長さを無段階調節できる。木刀の持ち運びにも便利な革ベルトと足元ポケット付。
 帆布竹刀袋は、丈夫で使うほどに味の出る、便利な竹刀袋である。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2008/9/22


お手玉遊び Otedama-asobi 

Jp

 お手玉遊びは、中に小豆やお米が入ったお手玉を、両手で交互に投げ上げる遊びである。
 古代ギリシャやトルコのネオヒッタイト時代などに羊の距骨を使用したジャグリングが存在し、欧州の遊牧民が袋に粒状の物を入れて遊んだのが起源とされている。
 日本では、奈良時代に中国から伝わり、当時は水晶を利用した事から石名取玉と呼ばれていた。平安時代には石を使った「石なご」という名でお手玉遊びが広まり、布のお手玉は、江戸時代に登場した。
 基本的には、小豆などを入れた幾つかの小きな袋であるお手玉を、歌を歌いながら投げ上げ、受け取ったり拾ったりする遊びで、地域によって少しずつ形式が異なる。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2008/7/4


直垂 Hitatare 

Jp

 「直垂(ひたたれ)」とは、上着、袴とも同じ裂地でつくった衣装である。裂地とは、染織した糸で模様を織り出す織物のことで、茶入れ袋や袱紗に使われている布地でもある。
 着物の左右の前身頃に縫いつけた、襟から裾までの細長い布「袵(おくみ)」がなく、襟が垂直に縫い付けられていることから、直垂という名称がつけられた。
 もともとは、筒袖仕立ての庶民の平服だった。平安時代になると、鎧下に着る際、行動の便が良いことから、武士が着用するようになった。
 鎌倉時代に入ると袖が大きくなり、体裁を整えて武家の平常服となった。幕府などへ出仕するときは、公式衣装として使われた。
 また、袖が大きい事で、戦の際、鎧下に着ることが不便になり、日常の直垂とは別に、かつての筒袖の直垂に近い形の「鎧直垂」が用いられるようになった。
 江戸時代には、三位以上の武家の礼服となった。
 現在では、大相撲の行司の装束や雅楽の楽師、祭礼の供奉人(ぐぶにん)などでつかわれている。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2008/5/15


座布団 Zabuton 

Jp

 座布団(ざぶとん)は、床や畳の上に座る際に体の下に敷く調度品のことである。
 厚さ数cm程、一辺数十cm程でほぼ正方形をしており、基本的には、その上に座る事で体温が床面より奪われるのを防ぐために用いられ、いわゆるクッションとしての役目は本来、担っていない。
 鎌倉時代ごろに生み出され、当時は小さな正方形の薄畳の周辺を飾り布で覆った物であった。
 その後、様々な改良が施され、江戸時代中期には現在のように布の袋に綿などの緩衝材を入れる形となって庶民にも広く普及したとされ、板の間や畳敷きが多く、そこに直接座る文化を持つ日本独特のものともいえる。
 大きさによって茶席判や木綿判、銘仙判、八端判、緞子判、夫婦判など様々な種類があり、一般に最も広く流通しているのは銘仙判と八端判といわれている。
 生み出されてから長い歴史を持ち、その作法なども細々あるものではあるが、座る者に快適さとくつろぎを与えてくれる、まさに縁の下の力持ちである。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2008/4/11


和がまぐちポーチ Wa-gamaguchi-poochi 

Jp

 日本では昔から布袋に金属製の口金を付けた物を「がま口」とよび、財布や小物要れとして愛用してきた。
 開ける、閉めるといった動作が明確であり、口もまさにがま蛙のごとく大きく開き、出し入れも容易である。
 「和がまぐちポーチ」も、そうしたがま口を備えた和柄の使いやすいポーチだ。
 縦12cm、横12cmとそのサイズは小さめだが、まちは4cmあり、少し厚みのあるものでも十分に飲み込んでくれる。
 その表面には着物の生地が用いられ、落ち着きある和柄のやわらかいテイストを楽しめる。
 内部には表面とは違って撥水加工が施された生地が使用され、ポケットも一つ付いており、リップやアイブロウといったメイク直し用品のほか、目薬やタバコなど、普段バッグに放り込んでいるものをコンパクトにまとめられ、使用感にも抜かりはない。
 洒落たカフェのテーブルの上でも和の持つ「粋」を演出してくれるがま口である。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2008/4/8


手作り箸袋 Tezukuri-hashibukuro 

Jp

 世界環境保護が叫ばれる中、国内の大切な森林を守り、世界の森林資源を守ることは重要な課題になっている。伐採と植林のバランスがうまく取れれば、使い続けることができる資源であるが、現在は減少しているという。
 日本には割り箸文化という言葉があるほど、日本人と割り箸の関係は深い。割り箸といえば原材料は木材である。最近では、森林資源を守ることにつながるとして、普段から箸を持ち歩き、出先などでは割り箸を貰わないようにしようという人が増えているという。
 そこで、気になるのが箸の携帯方法。この手作りの箸袋は、三角形の布で箸をくるくると巻いて付属の紐で括るようになっていてとてもコンパクト。さらに箸が安定し落ちにくく、持ち運びにはちょうど良い。バッグや上着の内ポケットにも入るスマートなエコ雑貨である。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2008/3/18


匂い袋 Nioi-bukuro 

Jp

 匂いに関する文化は世界中に存在し、古来より権力を制した者や身分の高き者は香りを非常に大切にしていたという。
 香りの文化を日本ではじめて取り入れたのは、聖徳太子であるといわれている。匂い袋に関しても奈良時代にはじまり、正倉院の宝物の中に、現在の匂い袋の原点である裛衣香(えびこう)が残されているという。
 匂い袋の中は常温で香りを発散する香原料を刻み、調合して和紙や袋に詰められているのが特徴である。袋を身につけたり、壁や柱につるしたり、禅僧の座傍などにも用いられてきた。また、香原料のうち白壇(びゃくだん)や龍脳(りゅうのう)、丁子(ちょうじ)は防虫効果もあるので、袈裟(けさ)や僧衣(そうい)にもつけられていたという。
 平安時代に入ると貴族たちは個々の香りを出す為に、色々な香原料を工夫したという。香りに関しては源氏物語の中にもしばしば登場する。その後、公家から武家へと香りの文化は受け継がれていったとされる。匂い袋は日本文化の一端を香りで感じるものである。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/12/25


真田紐 Sanada-himo 

Jp

 真田紐(さなだひも)は、縦糸と横糸を使い機(はた)で織った平たく狭い織物の紐のことである。一重織り、袋織りがあり、材料は木綿、正絹を使い、伸びにくく丈夫な特徴を持つため、重いものを吊ったり、物をしっかりと括ったり縛ったりする際に用いられる。
 主に茶道具の桐箱の紐、刀の下げ緒、鎧兜着用時の紐、帯締め、帯留め用の紐、荷物紐等に使用されてきた。現在では、その多くが衣料の分野で活用されている。
 真田紐は戦国の武将・真田幸村(さなだゆきむら)の父・真田昌幸(さなだまさゆき)が、強く丈夫な紐であることから武具、甲冑などに頻繁に用いたことからその名が付けられたといわれている。
 その後、久度山に幽閉された真田幸村とその家族が、真田紐を作り、それを家臣が堺の商人と共に全国に売り歩き、その名が知れ渡ることとなった。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



記事数16件: 1~8 件表示     >>     >|  
NIPPON Kichi - 日本吉 - 日本語に切り替える NIPPON Kichi - 日本吉 - to english

モノ・コト・ミル・ヒトで綴る
日本の美意識。

現在の記事 5444
カテゴリーズ
都道府県
キーワードシャッフル
お気に入り
キーワード検索
閲覧履歴



Linkclub NewsLetter