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阿漕塚(あこぎづか)は、親孝行の為に密漁を働いてしまい、処刑されてしまった平治という名の漁師を供養した塚である。
三重県津市の岩田川の河口から南一帯の海浜は阿漕浦といわれており、古来、伊勢神宮に献上する魚を捕るための専用の場所で、禁漁区となっていた。
その場所で、平治という名の漁師が母の病に聞くとされた「やがら」という魚を病気を治したい一心で密漁してしまう。
かくして、その密漁は発覚し、平治は阿漕浦に沈められてしまった。以来、沖から不気味な音が聞こえるようになり、村人達は平治の霊を慰めるために塚を立てたといわれ、塚自体は天明二(1782)年に建てられたものだ。
元々は九世紀ごろに同じく密漁をした者がいて、その名が阿漕や平治であったとされ、以降伝説として語り継がれて浄瑠璃の「阿漕平治」や、謡曲の「阿漕」になり、後々にも伝えられて塚の建立にいたったとされている。
塚には平治の鎮魂と共に阿漕浦の平穏を求める多くの人々の祈りも込められている。
三重県津市の岩田川の河口から南一帯の海浜は阿漕浦といわれており、古来、伊勢神宮に献上する魚を捕るための専用の場所で、禁漁区となっていた。
その場所で、平治という名の漁師が母の病に聞くとされた「やがら」という魚を病気を治したい一心で密漁してしまう。
かくして、その密漁は発覚し、平治は阿漕浦に沈められてしまった。以来、沖から不気味な音が聞こえるようになり、村人達は平治の霊を慰めるために塚を立てたといわれ、塚自体は天明二(1782)年に建てられたものだ。
元々は九世紀ごろに同じく密漁をした者がいて、その名が阿漕や平治であったとされ、以降伝説として語り継がれて浄瑠璃の「阿漕平治」や、謡曲の「阿漕」になり、後々にも伝えられて塚の建立にいたったとされている。
塚には平治の鎮魂と共に阿漕浦の平穏を求める多くの人々の祈りも込められている。
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