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2008/2/6


竹 Take 

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 「竹(たけ)」はイネ科・タケ亜科に属する植物で、小型の「笹」に対して大型のものを言う。
 温暖で湿潤な気候や熱帯地域に多く生育していて、日本だけでも150以上もしくは600以上の種類があると言われている。これは学説の違いによるもので、どちらにしても竹の種類は数多いという事だ。その中でも代表的なものは、真竹(まだけ)や孟宗竹(もうそうちく)、淡竹(はちく)などで、日本各地で多く植栽されている。
 竹の成長はとても早く、1日で1m以上も伸びる事もある。その青々とまっすぐ伸びる様から、神事では榊(さかき)と共に清浄な植物の一つとされる。地鎮祭などで四隅に立てられる忌竹(いみだけ)や門松などに用いられるのもその為である。
 繊維質で弾力に富み細工が容易なその性質から、建材をはじめ簾(すだれ)や楽器、茶道具に至るまで様々なものに用いられ、古来から重宝されている。
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2008/1/30


薩摩川内市 トンボロ Satsuma-sendai-shi Tonboro 

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 海岸と島が近い場合、波の流れに相殺が起こり、間に波の静かな部分ができ漂砂が堆積することがある。それはやがて海岸と島を結ぶ砂州にまで成長し、そのまま陸続きとなる細長い低い地形をつくる。
 この現象を陸繋砂州(りくけいさす)、またはイタリア語で「沿岸流によって出来た陸地」という意味でトンボロと呼ばれる。
 鹿児島県薩摩川内(せんだい)市里村には北海道函館市、和歌山県串本町と共に日本三大トンボロと呼ばれる地形がある。南北に約1500メートルの長さで、最大幅1000メートル、最小幅250メートル、高さ2・3メートル。
 薩摩川内市のトンボロは、波の相互作用に加えて夏季の東南からの台風と冬季の北西からの季節風が訪れることにより砂の堆積がなされたものといわれている。
 このトンボロの上に里町の中心街が出来ており、静かな漁業地区となっている。
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2008/1/17


葛(クズ) Kuzu 

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 マメ科に属する葛(くず)は、秋の七草のひとつで、蔓(つる)性の多年草である。
 成長力が非常にあり、節々から根を出し、地中深く根付く。蔓もまた成長が早く、木を覆い尽くすように伸びるため、中国奥地では緑化のために植えられたこともある。
 大きな葉を持ち、夏に咲く赤紫色の小さい花は甘い香りがするのが特徴である。
 葛きりや葛湯などに使う葛粉は太い根からとれる澱粉から作られる。中でも吉野で採られ何度も晒された吉野葛は葛粉の代名詞となっている。また、風邪に効く漢方薬もまた、葛の根を干したものを原料としている。
 長い蔓は籠などの生活用品に利用され、またその繊維は温かみのある葛布として生まれ変わるなど、日本では生活に役立つ植物として親しまれている。 
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2008/1/15


郭公(カッコウ) Kakkou 

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 「郭公(カッコウ)」は、カッコウ目カッコウ科に属し、全長は35センチメートルの鳥である。
 郭公は夏鳥で、4月末頃から渡ってくる。高原や河原の林、広い草原に分布し、姿も見つけやすい。
 郭公は、自分では巣を作らず、他の鳥の巣に卵を生みつけてヒナを育ててもらう、択卵という方法をとる鳥である。モズ、オオヨシキリ、ホオジロなどの巣に托卵し、巣の持ち主のヒナより、郭公のヒナのほうが早く生まれることが多く、ヒナは生まれてから間もなく、まだ目が開いてないうちに、巣にいる他の種類のヒナや孵化する前の卵を外に出し、自分だけが餌を確保して成長できるようにするというものだ。
 郭公の親鳥も、似た卵を生む鳥の巣を選び、托卵するという。托卵できると、子どもより先に南の国へ帰ってしまう。最近は、托卵する巣の鳥に気づかれ、郭公の卵を落とされる事もあるようだ。
 高原で「カッコウ」と爽やかに鳴き、日本をはじめ世界各国で郭公が歌にでてくる印象とは別に、他の鳥に子育てしてもらうという珍しい習性を持ち合わる鳥である。
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2008/1/8


大豆坂地蔵尊 Oomamesaka-jizou-son Omamezaka Jizo-son

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 大豆坂地蔵尊(おおまめざかじぞうそん)例大祭は、毎年四月に宮城県志田郡三本木町で開催される祭りである。大豆坂地蔵尊は、三本木町の国道4号線沿いにある。明和二(1765)年、放火の大罪を犯し、処刑された者の後世を弔う為に彫刻されたもので、高さ4メートルと日本一の地蔵尊である。
 傍らには子供のお地蔵様を両脇に抱いている地蔵尊もあり、無病延命の子育て地蔵として、子どもの健康や成長を願う家族連れの参詣が多いとされる。
 例大祭では、午前中から稚児行列や地域の団体約二〇〇名が参加する交通安全パレードなどが行なわれる。華やかな装束をまとい、母親と手をつないで晴れやかに歩く子供たちには、沿道から拍手がおこる。
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2007/12/26


五月人形 Satsuki-ningyou 

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 毎年五月五日は端午の節句。奈良時代の宮中で、季節の変わり目を無病ですごせるように邪気をはらう為の宴会が行われていた事が起源である。江戸時代に一般人にも浸透して、徐々に男の子の誕生と健やかな成長を祝う日として定着していった。
 男の子が生まれて初めて迎える端午の節句を「初節句」といい、五月人形やこいのぼりなどを飾ってお祝いする。
 五月人形の種類は鎧飾り・兜飾り・子供大将飾りなど。鎧甲冑は身を守る意味、子供大将かざりはたくましくなるようにという願いが込められている。また、人形にはその子の厄をもらい受けるお守りの意味もある。
 節句の一〇日から二〇日前から節句まで飾られる。
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雛人形 Hina-ningyou 

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 雛人形(ひなにんぎょう)の起源は、古くは「形代(かたしろ)」と言われる川や海に人の身代わりとして人形を流して幼子の無事な成長を祈るものといわれ、時代とともに現在の様な形に変化していった。
 形代は三月の上巳の節句に、草木などの簡素な素材の人形(ひとがた)で体を撫でることにより、身の汚れ(けがれ)や災いを移し代わらせてお祓いを行っていたものであるが、天正年間の頃、平安時代の宮中で行われていた「雛あそび」と言われる遊びごとと、この厄除けの習慣が結びついて、「雛祭り」へと変わっていったとされる。
 現在のような平安装束を模した雛人形は、江戸時代には武家の子女の大事な嫁入り道具の一つとなり、次第に華美で贅沢なものになっていった。
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破魔弓 Hamaya 

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 昔から弓には魔を退ける力があると信じられていて、「破魔弓(はまや)」は魔を破る弓として用いられていた。
 破魔弓を贈る習慣は、江戸時代の頃に武家の男児に成長して立派な武士として出世する事を願い、手遊びに使える弓矢を贈った事から始まっている。やがて庶民にも伝わっていき、様々な邪気から身を守るという事で初正月を迎える男の子に贈ったり、新築の家の上棟式に供えたりする様になった。上棟式の破魔弓は家屋の守護神に供えられるもので、竣工するまでの加護の祈願や幸多く災いのない事を祈る気持ちが込められている。
 縁起物の贈答品として定着していった事で、次第に工芸的な美しさが求められる様になり、それを作る職人達の技も高められ、豪華なものになっていった。
 一般的に弓、矢、靫(うつぼ)を一組とした揃いを飾るが、正月の破魔矢の様に矢のみを飾る場合もある。
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