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2008/3/6


倶利伽羅峠 火牛の像 Kurikaratouge Kagyuunozou 

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 倶利伽羅峠(くりからとうげ)は、旧越中国(えっちゅうこく)である富山県小矢部市と、旧加賀国(かがこく)である石川県津幡町との境界である、標高277mの砺波山(となみやま)にある旧北陸道の峠である。
 火牛の像(かぎゅうのぞう)は、山頂にあるくりから公園内の、倶利伽羅古戦場猿ヶ馬場のすぐ近くにあり、角にたいまつをつけた牛が今にも突進しようとするその姿には鬼気迫るものがある。
 寿永三(1183)年、木曽で兵を挙げた木曽義仲は越中国から侵攻し、10万の軍を率いた加賀国側の平維盛の軍と倶利伽羅峠で対峙した。
 義仲は牛の角に松明をくくりつけ、牛を先頭に山を駆け抜けて平家を破った。これは、その「火牛の計」にちなんだモニュメントで、合戦ではこのような牛が4、5百頭平家の陣に襲いかかったという。
 倶利伽羅峠の火牛の像は、源平合戦の昔が偲ばれる彫像である。
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南大門 金剛力士像 Nandai-mon Kongourikishi-zou 

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 東大寺(とうだいじ)は、奈良県奈良市雑司町にある華厳宗大本山の寺院である。本尊は盧舎那仏(るしゃなぶつ)。
 南大門(なんだいもん)は、鎌倉時代の正治元(1199)年に再建された東大寺の正門で、国宝に指定されている。
 俊乗坊重源が宋から伝えたといわれる、純粋な大仏様(だいぶつよう)方式で建築されており、全国に2棟しか現存していない。
 金剛力士像(こんごうりきしぞう)は、建仁三(1203)年に運慶・快慶他によって作られた高さ8.4mの巨大な木像であり、同じく国宝に指定されている。
 剛健なる姿、筋肉の躍動感あふれる造形美を持ち、息を吐き、手を開く開放型の阿形(あぎょう)、息を吸い、指を結ぶ姿の吽形(うんぎょう)の一対からなり、南大門の門内左右に配置されている。
 南大門の金剛力士像は、威厳と豪放さを備えた木像である。
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2007/12/21


錦織寺 Kinshoku-ji Kinshoku-ji Temple

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 錦織寺(きんしょくじ)は、比叡山延暦寺の三代座主であった慈覚大師が、夢のお告げに従って松の霊木を探し出し、御堂を建て、毘沙門天王像を安置したのが始まりとされている。
 それから三百数十年後の文暦二(1235)年、親鸞(しんらん)が本尊に阿弥陀像を安置し再興した。言い伝えでは、再興中に天女が下ってきて、蓮糸で織った錦を仏前に献じたという。このことから朝廷より「天神護法錦織之寺」という寺号を賜り、錦織寺の名となった。
 広い境内には、県指定文化財である本尊を安置する阿弥陀堂、親鸞の真影のある御影堂、他重厚な宝蔵・書院・講堂・鐘楼がある。
 火災も多かったが、東山天皇から大宮御所の一部を下賜されたという宮御殿は当時のままであり、親鸞が大著「顕浄土教行証文類」を書き終えた様子の絵像「満足の御影」など貴重な寺宝類が数多く残されている。
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2007/12/11


檜原村 五社神社 Hinohara-mura Gosha-jinja 

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 檜原村五社神社(ひのはらむらごしゃじんじゃ)は、東京都西多摩郡の檜原村に鎮座する古社だ。
 不動明王を中心に、降三世(ごうざんぜ)明王、軍荼利(ぐんだり)明王、大威徳(だいいとく)明王、金剛夜叉(こんごうやしゃ)明王の五大明王が全て揃っている全国でも数少ない神社である。
 また、境内には木造の一木造りによる蔵王権現立像や不動明王立像があり、損傷は見られるもののこれらは平安時代の彫刻といわれており、東京都の重要文化財に指定されている貴重なものである。
 本殿までは長い石段が続いており、登って行くと杉木立に囲まれた、静寂な空気の中に佇む神社が見えてくる。
 静かな境内を散策し、歴史と信仰のたゆまない流れに思いを馳せるのも良いかも知れない。
 九月の第二土日には例祭が行われて人里獅子舞が奉納されており、いつもの静けさとは違った、賑やかな境内も楽しむことができる。
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2007/12/10


碁石山 浪切不動明王 Goishizan Namikiri-fudoumyouou 

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 碁石山(ごいしざん)は、香川県小豆郡小豆島町の岩窟内にある真言宗の寺である。小豆島八十八ヶ所霊場第3番札所とされる。
 開基は不詳で、伝説では行基菩薩によって開かれたと言われる。
 安永三(1774)年、下野国の人である一翁道夢居士が、この岩窟内で念仏を唱えながら入定したとされ、岩窟内には、祈願の為の宝篋印塔(ほうきょういんとう)がある。
 浪切不動明王(なみきりふどうみょうおう)は、この碁石山に安置されている本尊である。
 海難事故を防ぐ不動明王としてはるか昔より、漁師や海運関係者に広く信仰され、多くの危難を防いだと言われ、弘法大師も止錫したと伝えられる。
 1番札所の洞雲山、3番札所奥の院の隼山とともに、験者が修行した道場とされている。
 碁石山の浪切不動明王は、地元の人たちから浪切さんと呼ばれて親しまれている不動明王像である。
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2007/11/26


保泉院 木造閻魔大王坐像 Hosen-in Mokuzou-enma-daiou-zazou 

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 東京都の日の出町にある、豊かな緑に抱かれた古刹、保泉院(ほせんいん)。そこに、見る人の心まで覗き込むような迫力に満ちた坐像が手厚く安置されている。
 それが、木造閻魔大王坐像(もくぞうえんまだいおうざぞう)である。
 文明五(1473)年、仏師の了戒によって造られたといわれ、高さ89cmほどの檜の寄木造りで、鎌倉期彫刻の特徴である豪快な造作を良く現している。
 この造りは、日本各地に見られる江戸時代初期に造られた他の像の先駆的な例といわれており、歴史的にも貴重なため、東京都の文化財にも指定されている。
 江戸時代に入って彩色が施されており、今もその彩色の一部が残っている。
 つりあがった眉やカッと見開かれた目は、まさに地獄の裁判官である閻魔大王の持つ迫力を伝えている。
 地元の人々の間では「平井のえんま様」として親しまれており、五百年を経た今も、この世に睨みを利かせている。
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2007/8/24


岩手雪まつり Iwate-yuki-matsuri 

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 盛岡の北西、雫石町の小岩井農場で開催される「岩手雪まつり(いわてゆきまつり)」は、みちのく五大雪まつりの一つに数えられている。毎年二月上旬に十日間かけて行なわれる、本州最大規模の雪まつりである。
 会場のまきば園には、大小様々な雪像・氷像が造られ、夜になると色とりどりにライトアップされて、雪原に幻想的な世界を浮かび上がらせる。
 「雪の冒険王」など、毎年違う様々なテーマで趣向を凝らす雪像造りには、自衛隊員も含めて延べ四千人程も参加するという。
 雪像には様々な工夫が凝らされており、ただ眺めるだけでなく滑り台や迷路など、子供はもちろん大人も楽しめるようになっている。ステージショーや冬の夜空を彩る花火など、雪や氷の像に囲まれながらたくさんのイベントを見つつ楽しむことができ、思わず寒さも忘れてしまいそうだ。
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2007/8/14


延岡大師祭 Nobeoka-daishi-matsuri Nobeoka Daishi Festival

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 延岡大師祭(のべおかだいしまつり)は、宮崎県延岡市の今山を中心に毎年四月に開催される、宮崎県北最大の春祭りである。九州三大春祭りのひとつとされる。
 今山の頂上にそびえる弘法大師銅像は、昭和三二(1957)年に完成した、高さ17m、重さ11トンの日本一の大師像である。
 弘法大師は古くから「おだいっさん」の愛称で親しまれてきており、大師祭は、弘法大師の命日にあたる承和二(835)年の旧暦三月二一日を供養と感謝の日として、毎年3日間にわたり開催され、今日まで続けられている。
 メインイベントとなる最終日の市中パレードには延岡市長も参加する大名行列をはじめ、市内の団体約1700人が参加して踊りやパフォーマンスを盛大に披露し、市中を練り歩く。
 延岡大師祭は、延岡を代表する賑やかな祭りである。
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