NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/10/17


沙沙貴神社 Sasaki-jinja Sasaki Shrine

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 沙沙貴神社(ささきじんじゃ)は、古墳時代の豪族、沙沙貴山君(ささきやまきみ)の氏神とされていた神社である。平安時代中期以降はこの地に根を張った近江源氏佐々木氏の氏神として崇拝され、その子々孫々まで篤い信仰を集めた。
 また「佐々木」という苗字のもとになったと伝えられている。
 楼門は、延享四(1747)年に建立されている。茅葺の屋根を用い、二階建てで軒下の組み物が美しい。平安・鎌倉様式を継承し、江戸中期に再建された。
 拝殿は弘化五(1848)年に建立されており、大型で開放感がある建物である。
 本殿も拝殿と同年に建立されており、五間社流造、銅板葺が用いられている。
 拝殿、本殿、権殿など大型木造建築八棟は、平成二(1990)年に県指定文化財に指定された。
 五月には、珍しい糸状に花穂が伸びたうらしま草や、白い可憐ななんじゃもんじゃの花を楽しむことができる。
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2007/10/1


知立 山車文楽 Chiryu Dashi-bunraku Chiryu Float Bunraku

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 愛知県知立市で毎年五月二日と三日に行われる、知立神社の祭礼である「知立まつり」で演じられるのが知立山車文楽(ちりゅうだしぶんらく)である。その歴史は古く、承応ニ(1653)年が始まりとされている。
 知立山車文楽は山車の上で行われる文楽であり、知立だけの独特なもの。現在は3台の山車の上で上演されている。延享四(1747)年から二五〇年以上も続いており、国の重要無形民俗文化財に指定されている。また、浄瑠璃は「からくり」だけで上演される大変珍しい文楽でもある。
 からくりの操りには高度な技術が必要とされ、このからくりも、重要無形民俗文化財に指定されている。
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2007/9/19


猿の子踊 Saru-no-ko-odori 

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 猿の子踊(さるのこおどり)は、鹿児島県指宿(いぶすき)市池田下門にて、不定期に開催されている伝統の民俗芸能である。市の文化財に指定されている。
 延享二(1745)年、今和泉島津家の領主・島津忠郷(しまづたださと)が、日向から猿使いを招き、猿の習性を面白おかしくふりつけ、春と秋の2回、人々の苦労をなぐさめたという。
 猿は山の神、田の神の使いとして考えられた事から、その後、豊作のお祭りとして猿の子踊りが伝えられるようになったとされる。
 踊りでは、子供が真赤な衣装で顔一面赤く塗って扮装した親猿や子猿が、猿使いの命令に従い入り乱れてさまざまな芸をする。
 この奇妙な動作が整然と続けられていく様は実に見事なもので、見る者を楽しませてくれる。
 猿の子踊は、ユーモラスで可愛らしい郷土芸能である。
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2007/6/1


旧有壁宿本陣 Kyu-arikabesyuku-honjin Old Arikabe-shuku Honjin

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 五街道の一つ「奥州街道」の金成宿(かんなりしゅく)と一の関宿の中間に位置する「有壁宿」は、元和五(1619)年に創設され、以来参勤交代の際には、松前・八戸・盛岡・一関の藩主や各藩重臣が宿泊する宿であった。
 現在残る有壁宿の本陣は、代々、佐藤家が検断を勤め、同家に伝わる文書によると江戸中期の延享元(1744)年に火災にあい、現在の場所に移してその時、再建されたものである。以来今日まで災禍を免れ貴重な資料とともに当時の建物が残されている。
 御成門、車寄せ、中座敷などの遺構を保ち、「宿駅検断文書」、「本陣宿泊文書」、「佐藤家内文書」などの重要な歴史資料が残されている。敷地内には土蔵や馬屋が残っていて、往時の武家社会の面影を伝えている。
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霊椿山大照院 Reichinzan-daishou-in Reichinzan Daishoin Temple

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 山口県萩の霊椿山大照院は、臨済宗の寺院で、毛利家2代藩主綱広が亡父の初代藩主秀就の菩提所とするため、明暦2(1656)年に再建した。
 現在の本堂、庫裏、鐘楼門は、延享四(1747)年に火災にあい、その後6代藩主宗広が寛延三(1750)年に再建したもので、特に庫裏は藩主の菩提寺にふさわしい規模と風格を備えている。
 鐘楼門や本堂、書院、経蔵、木造赤童子立像など、国の重要文化財も多数あり、その他に県の有形文化財の木造義翁和尚倚像などがある。このうち書院に安置されている赤童子立像は、庭園から拝観することができる。
 藩主夫妻の墓前には、重臣らが献上した600基余の石灯籠が並び、同じく毛利家の菩提寺である東光寺とともに、毎年8月13日に万灯会を催し、両寺の石灯篭に火が灯される。
 また、5月上旬には藤が開花し、彩りを添える。
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2007/4/16


神辺本陣 Kannabe-honjin Kannabe Honjin

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 本陣とは、江戸時代に参勤交代などで大名や公家、幕府役人が宿泊のために使う、街道沿いの宿場に置かれた宿泊所のこと。
 神辺は江戸時代に備中(現岡山県)や矢掛と備後今津の中間に位置する宿場町として栄えた。この名残をとどめるのが「神辺本陣」。江戸中期の延享五(1748)年に建てられた当時の姿をそのまま残す貴重な史跡だ。
 御成りの間・上段の間・三の間・札の間・玄関に至るまで往時の本陣施設がよく保存されている。安政二(1855)年の建築という表門は黒塗りの土塀に囲まれ、格式ある堂々とした存在感を放つ。
 江戸以来、当時の姿をそのままに約250年間伝える遺構として、神辺本陣は昭和二六年、県史跡に指定された。
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2007/3/7


笠間城 Kasama-jyou 

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 笠間城は茨城県笠間市、佐白山に位置した城である。
 承久元(1219)年、笠間持朝が叔父の下野守護、宇都宮頼綱の命により築城した。
 笠間氏は宇都宮一門として勢力を誇るが、天正十八(1590)年に小田原の役で豊臣秀吉に敵対、豊臣方に味方した同じ宇都宮一門の宇都宮国綱により滅ぼされた。
 戦国時代以降、多くの大名に転封が続いた後、延享四(1747)年から牧野氏が治め、幕末まで続いた。
 関東には珍しい石垣の城であり、山頂には総石垣造りの天守曲輪が現存し、山中のあちらこちらにも石垣が残る。
 城下の真淨寺には八幡櫓が移築されて現存しており、城郭遺構の姿を今に残している。
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